ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

シーラッハ作「TABU タブー」

2015-07-30 21:43:16 | 芝居
6月9日新国立劇場小劇場で、シーラッハ作「TABU タブー」をみた(上演台本:木内宏昌、演出:深作健太)。

敏腕弁護士ビーグラー(橋爪功)の元に仕事の依頼が来る。依頼者は若い女性を誘拐して殺したとして緊急逮捕された容疑者ゼバスティアン
(真田佑馬)。彼は捜査官に強要されて殺害を自供してしまったが無罪だと言う。迷宮のような事件の中に分け入り、ついに法廷に立つビーグラー。
果たしてゼバスティアンは有罪か無罪か…。

2013年12月に、この作者の短編集「罪悪」の中の幾つかを、やはり橋爪功が朗読劇として一人で演じたのを見たことがある。その時は
たまたま手元に原作があったので、ちょっと無理してドイツ語原文に目を通してから芝居を見るという面白い経験ができた。橋爪功はこの人に惚れ
込んでいるらしい。だが彼はドイツではベストセラー作家だが、癖があって万人向けではない。エロ・グロとまでは言わないが、評者には人間の
醜い面ばかりを強調しているようにも思えていささか辛い時もある。今回も一応斜に構えての鑑賞…。

被告にはゾフィア(大空祐飛)という元恋人がおり、彼女は彼の無実を信じている。被告は色彩に関する人並み外れた共感覚を持ち、写真家として
成功し、売れっ子カメラマンだというが…。

タイトルがオーバー。どこがタブー(禁忌)なのか?
被告(と共犯者である妹)はこの事件をでっち上げたことによって、それこそ日本でよく言われる表現だが「世間を騒がせた」し、警察・検察・
裁判所を愚弄したことに対して賠償金を請求されて然るべきではないだろうか。

橋爪功がやっぱりうまい。この人のを見てしまうと、もう他の人は考えられない。
刑事役など4役を演じた池下重大も好演。この人は初めて見たが、セリフ回し、演技も的確でまことに喜ばしい。

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オペラ「遥かなる愛」

2015-07-24 21:59:09 | オペラ
5月28日東京オペラシティコンサートホールで、カイヤ・サーリアホ作曲のオペラ「遥かなる愛」をみた(演奏会形式、フランス語上演)。
日本初演。

12世紀。領主リュデルは貴族階級の享楽的な生活に嫌気がさし、遥かなる真実の愛を渇望している。そこへ海を渡ってきた巡礼の旅人が、
まさにリュデルの望むような女性、トリポリ女伯クレマンスに会ったと言う。
巡礼の旅人が二人の間を行き来し互いの存在を知らせると、想いの募ったリュデルは彼女のもとに赴くことを決意し、海を渡る。しかしその
途上で彼は、「遥かなる愛(恋人)に会いたい気持ちと同時に、その人を実際に目の前にすることを恐れている自分との間で苦悩する。
苦悩はやがて病を呼び、トリポリに到着する時には死の瀬戸際まで来ている…。
船が着き、トリポリの城砦で出会った二人は、互いの思いを告げ、抱き合い、愛を誓う。クレマンスの腕の中でリュデルが息を引き取ると、
彼女は天に怒りをぶつけ、修道生活に入ることを決める。クレマンスの祈りの先にあるのは、遥かなる神か、それとも遥かなる愛(恋人)か。

12世紀フランスの偉大な吟遊詩人ジョフレ・リュデルの詩をもとに、レバノン生まれの作家アミン・マアルーフが台本を書いたという。

この作曲家はフィンランド出身の女性で、この作品は初めてのオペラ。2000年に初演され大成功を収めた由。

観念的な恋。だがクレマンス(林正子)が、彼女に恋しているという詩人(与那城敬)のことを旅人(池田香織)から聞き、詩人の抱く自分の
イメージが相当美化されていて現実の自分と違うことに気づき、正直に戸惑うところなど、リアリティがあるし好感が持てる。

歌手は3人共好演かつvisual的にも美しい。

音楽はよく分からないが、現代曲であるにもかかわらず(?)聴き易く美しい。
コメント (2)
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イプセン作「海の夫人」

2015-07-20 21:48:10 | 芝居
5月26日新国立劇場小劇場で、H.イプセン作「海の夫人」をみた(演出:宮田慶子)。

北部ノルウェーのフィヨルドを臨む小さな町。灯台守の娘エリーダは初老の医師ヴァンゲルと結婚し、先妻の二人の娘ボレッテとヒルデ
と共に穏やかに暮らしていた。エリーダにはかつて結婚の約束を交わした船乗りの恋人がいた。彼との関係が途絶え、生活が保証された
ヴァンゲルの後妻となり愛される日々を過ごしてきたが、生まれたばかりの息子を亡くし、ここ数年は精神が不安定で空虚な生活を送って
いる。毎日海で泳いでばかりいる彼女を近所の人々は「海の夫人」と呼んでいた。
そんな中、突然かつての恋人が現れ、一緒にここを出ていこうと言う。自分の意志で結婚したわけではなく、ずっと自由への憧れを胸に
秘めていた彼女は、海と同じ引力を持つその男の登場で心揺れるが…。

舞台装置が斬新。中央の細長い舞台を両側から客席が挟む形だが、舞台の片方の端が小高くなっている。もう片方は反り返った壁だが、
足がかりがついているので、少し上まで登れる(美術:池田ともゆき)。

原作は1888年に出版され、翌年の初演は大成功だった由。
北欧らしく重苦しい話だが、笑えるシーンも幾つかある。
年頃の娘ボレッテ(太田緑ロランス)を巡る恋の駆け引きは面白いが、当時の女性にとって、成人した後は誰かと結婚するという選択肢
しかなかったという厳然たる社会構造が、改めて胸に迫って来る。

エリーダのかつての恋人(真島秀和)は黒づくめの衣装で不気味に現れる。「さまよえるオランダ人」のような印象で、非常に魅力的。
彼は武器を所持しているが、決してちからづくで元カノを拉致しようとはしない。「そんなことをして何になる」と言うように、見た目と
違って意外と紳士的だから、尚更エリーダも揺れ動く。

ヴァンゲル夫人エリーダ役の麻美れいが、いつもながら素晴らしい。

「人形の家」とは異なる結末に、初演時のたいていの観客はほっとしたのではないだろうか。だから当時大成功だったのかな、と、これは
うがち過ぎか?
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三島由紀夫作「近代能楽集」より「熊野」・「道成寺」

2015-07-14 22:13:50 | 芝居
5月19日銀座みゆき館劇場で、三島由紀夫作「近代能楽集」より「熊野」と「道成寺」をみた(アンフィニの会公演、演出:大間知靖子)。

この小さな劇場は、アンフィニの会第1回公演でイヨネスコの「禿の女歌手」と「授業」を見た、忘れがたい思い出のある場所だ。
今回の作品は、三島由紀夫が能の謡曲を翻案したもの。

「熊野」…大実業家の宗盛は美しいユヤを、今を盛りの花見に連れ出そうとしている。
     だがユヤは悲しい顔でそれを拒む。母親が病気なので見舞いに行きたい、これからすぐに北海道へ帰りたいと言うのだ。
     母親からの手紙に「命のあるうちに一目お前に会いたい」とあるのを読んで心情を訴えるが、宗盛は耳を貸そうとしない。
     互いに譲らない二人…。

美しくけなげでひたすら親思いのように見える妾が、実はとんでもないしたたかな女だったとバレるが、それでもなお男はこのままの関係
でいようとする。元の謡曲の純情を皮肉に歪めてみせた三島らしい作品。


「道成寺」…古美術店で巨大な衣装箪笥が売りに出されている。
      競りに集まった五人の客たちは、次々に値を上げていく。三百万円を超えて値が上がった時、「三千円!」という声と共に
      若くて美しい踊り子が現れる。そして巨大な箪笥の由来と、その箪笥の中でおびただしい衣装と香水の匂いに包まれて
      潜んでいた青年のことを語る…。


後半、なるほどそうか、と膝を打った。お寺の鐘が巨大な箪笥に化け、安珍が安男に、清姫が清子になったわけだ。

どちらもなかなか面白かった。「熊野」で実業家の男が携帯電話を使うなど、現代に合わせている。
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「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」

2015-07-08 23:41:30 | 芝居
5月11日下北沢OFFOFFシアターで、トム・ストッパード作「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」をみた(演出:鵜山仁)。

シェイクスピア「ハムレット」に学友として束の間登場する端役、ロズとギル。主役たちが表舞台で活躍しているその裏で、すでに
書かれている運命も知らず、ただ大きな流れに翻弄され、退場することも許されずに行き暮れる二人。
俺たちは誰だ、ここはどこだ。
そして待ち伏せる唯一の退場「死」に気づいた時、二人は…。(チラシより)

文学座の中堅俳優である浅野雅博と石橋徹郎による二人芝居。
この作品は、かつて生瀬勝久と古田新太が関西弁で演じた時に初めて見て、非常に面白かった。
今回、「ロズギル」と略して呼ばれているようだ(確かにこのタイトルは長い)。

最初と最後にチェンバロの曲。
人形使いの黒衣の人物が座長として登場し、かなりのセリフをしゃべる。

何も知らず、大きな陰謀の中に「巻き込まれ」た二人。
不条理な死。いや人生そのものがすでに不条理。
哲学的なセリフに溢れ、ぐいぐい引き込まれる。
そもそも死というものについてのストッパードの感覚と表現が評者にとっては好ましい。同類という感覚。

かつて見た時、パウロについての挿話(彼がかつて迫害した人と天国で出会うという)があって印象的だったが、今回はなかった。
省略したのか。

二人共、素晴らしい集中力で熱演。
石橋徹郎は昨年「尺には尺を」で典獄役を務め、その美声とキレのいい演技で精彩を放っていたが、残念ながら、声のデカさは小劇場では
かえって邪魔。調整して欲しい。それと、いささか一本調子なのでメリハリが欲しい。

暗い話のようだが、意外にユーモアもあり、笑える所もいくつかある。
さすが鵜山仁。非常にスタイリッシュな舞台だった。
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ヤスミナ・レザ作「ART」

2015-07-03 22:18:41 | 芝居
5月5日サンシャイン劇場で、ヤスミナ・レザ作「ART」をみた(演出:パトリス・ケルブラ)。

チラシによると「男3人90分ノンストップの大ヒットコメディ。初演メンバーが16年の時を経て再集結!!」とのこと。

中年男マーク、セルジュ、イワンは親友同士。15年のつき合いだ。事の起こりはセルジュが現代アートの高い絵画を買ったこと。それは
白い線の入った白いだけの絵。マークにはセルジュの行動がさっぱり分からない。「白いだけの絵、どうしてこの絵に何百万もの価値がある?」
イワンは言う、「あの絵には何かがあるよ」「あれに何があるっていうんだ!?」3人の男がいい年して大喧嘩。大親友だったのに、長いつき合い
だったのに。すべてはこの『アート』のせいだ!!(チラシより)

ヤスミナ・レザと言えば、2011年に「大人は、かく戦えり」という邦題の4人芝居をみたことがある。大竹しのぶ、秋山菜津子、段田安則、
高橋克実という豪華な配役で、楽しかったが。

イワン役の平田満はセリフが全部聞こえたが、あとの二人は一部聞こえなかった。

ラストでなぜセルジュ(益岡徹)が、惚れ込んだ絵よりも暴君的に支配しようとする友人マーク(市村正親)の方をとるのか、そこがイマイチ
分からなかった。

この作品も数々の賞を取っているというが、今回、やたらと間延びしているように感じたのは評者だけだろうか。
役者は皆、好きな人たちなのに、まだるっこしくて、かえってイライラ。
「大人は、かく戦えり」の方がずっと面白かった。
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