ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

ジャン・ジュネ作「女中たち」

2019-01-26 18:04:11 | 芝居
12月10日シアター風姿花伝で、ジャン・ジュネ作「女中たち」を見た(演出:鵜山仁)。

ソランジュ(那須佐代子)とクレール(中嶋朋子)の姉妹は、お屋敷の女中。女主人の留守中、二人はいつものように「奥様と女中ごっこ」に夢中。
妹クレールが奥様に扮し、クレールになった姉ソランジュをこき使うのだ。白い靴を履かせ、真っ赤なドレスを着させるが、セットしておいた
目覚まし時計が鳴ると、二人は慌て出す。ソランジュの言葉使いが急にぞんざいになり、クレールは急いでドレスを脱ぎ、姉と同じメイドの白黒の
お仕着せ姿に戻る。それはいつもと同じだった。だが、この日、クレールの密告により警察に収監されていた女主人の夫が戻って来ると
電話がある。おまけに帰宅した女主人は、部屋のあちこちから二人の行動のあとを目ざとく見つけてしまう。取り乱した二人は現実と虚構の
区別がつかなくなり・・・。

初めて見る芝居で、原作も知らなかったので、話についてゆくのに精一杯。
ジュネの原作がとにかく濃密で圧倒された。
姉妹はごっこ遊びを延々と続けるかと思うと、急に現実に戻り、またいつの間にか別の人物を演じ出す。誰も見ていないのに相手もそれに
合わせる。目が回りそうだ。しかもそれはただの遊びではない。二人が演じているのは、現実の奥様対女中の関係を極端にデフォルメし、
女中が奥様への憎悪を募らせ、ラストでは奥様殺害に至る危険なシナリオなのだ。ただし、いつも時間切れでそこまで行かないのだったが。

評者は那須佐代子の大ファンなので意気込んで出かけたが、演技派の中嶋朋子との期待にたがわぬ演技合戦?を堪能できた。
火花が散りそうな体当たりの熱演を、しかも小さな劇場ゆえ、すぐ目の前で鑑賞できた。

ただ、原作では女中たちは奥様より若い設定(普通それが自然だろう)だが、今回の上演では逆に女主人の方が若いのが、少々残念だったし、
違和感が残った。

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三島由紀夫作「命売ります」

2019-01-18 10:33:04 | 芝居
12月8日サンシャイン劇場で、三島由紀夫作「命売ります」を見た(演出:ノゾエ征爾)。

三島由紀夫の極上エンターテイメント小説を舞台化。スリリングで寓意性に満ちたハードボイルド・エンターテイメント!
死と生の狭間に揺れる人間を、切実に、そしてユーモラスに描いた傑作(チラシより)。

ある日ふと「死のう」と思い立った羽仁男(はにお)は「命売ります」という広告を出す。すると訳ありげな怪しい男女がつぎつぎに
現れて・・・。
最初に彼の命を買いたいと言ってきたのは、「妻と浮気してほしい、そして一緒に殺されてくれ」とわけの分からないことを言う男(温水洋一)。
実はそれにはちゃんとわけがあるのだった。次は、弱ってきた母(樹里咲穂・実は吸血鬼)に血を吸わせてくれ、と言う母思いの青年(上村海成)。
その他、図書館勤めの若い女(家納ジュンコ)などが登場。ところが彼は、毎回死に損ない、そのうちなぜか黒服の男たちに追われるようになる。

謎解きの要素あり。
途中、冗長なところもある。
時々、歌(全員による合唱)が入るが、歌詞がよく聞き取れず、曲もどうということもなく、面白くない。

ラストで明かされる真実。黒服の男たちは始めから彼を狙っていたのだった。
組織の秘密を知り過ぎた女を殺すために彼を利用しようとしたが、うまくいかなかったらしい。

役者では、吸血鬼役の樹里咲穂が素敵だった。声もよく、印象的。

三島由紀夫はこんな作品も書いていたのか、と驚いた。
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イプセン作「民衆の敵」

2019-01-09 22:07:07 | 芝居
12月3日シアター・コクーンで、イプセン作「民衆の敵」を見た(英訳からの翻訳:広田敦郎、演出:ジョナサン・マンビィ)。

温泉の発見に沸くノルウェー南部の港町。医師トマス・ストックマン(堤真一)は、町の資本となるこの温泉が、工場の排水により汚染されて
いる事実を突き止め、告発を試みる。このことは、彼の実兄であり市長であるペテル(段田安則)、妻カトリーネ(安蘭けい)、新聞編集者
ホヴスタ(谷原章介)、船長ホルステル(木場勝己)ら、あらゆる階層を巻き込み、思わぬ方向へ加速していく。トマスは市民に真実を伝える
べく集会を開くが・・・。トマスが真実の先に見つけた正義とは・・・。(チラシより)

天井と周囲の壁に水道管が張り巡らされている。
音楽は趣味がいいが、やたら叙情的。
幕間中などの群舞は、意味が分からない。必要性も感じないし、趣味でもない。

この作品は2015年8月にオフィスコットーネの上演で見たことあり(上演台本:フジノサツコ、演出:森新太郎)。
あの時は、登場人物もセリフも大胆にカットされていた。何しろトマスには3人の子供がいるはずが全員カットされ、その代わりというわけか、
妻カトリーネが臨月のおなかを抱えていた。だがもちろんコンパクトになって主題がくっきり浮かび上がり、効果的ではあった。
今回は、その点、原作に忠実。一家のにぎやかな暮らしぶりが伝わって来る。

翻訳について。1939年発行の古い和訳(竹山道雄訳)を読んで臨んだので、読まずに見た前回と違って話の内容はよく分かったが、
今回の訳は当然ながら現代的なので、まるで印象が違うところもある。
4幕で、トマスがホヴスタのことを「無神論者」と言ったために民衆が騒ぎ出し、本人も必死で否定するシーンがあるが、その「無神論者」
という決定的な言葉が「革新的」だか「改革派」だかになっていて驚いた。それだったら別に大騒ぎすることもないだろうに。
原文はどうなっているのだろう。

町民集会で、トマスは最後に十字架上のイエスの言葉を口にする。しかも故意にかうっかりしてか、間違えて引用する。
だが戯曲では「『・・・』とは断じて言わんぞ」と言うのだが、「とは断じて言わんぞ」がカットされる。
前回の上演もそうだった。なぜ?これでは意味が逆になるのに。日本人には理解しにくいだろうからと忖度したのだろうか?

5幕はトマスの書斎が舞台だが、それが屋根裏のような部屋になっており、人々は出入りのたびに狭い階段を登り降りする(実際は、舞台
の床の穴から出入りする)。

役者では、兄ペテル役の段田安則が、期待通りの好演。

この作品は百年以上前に書かれたというのに、テーマは非常に現代的であり、「社会派ドラマの金字塔」というチラシの文句は正しい。
イプセンはこれを、前作「幽霊」への悪評に対する反駁として一気に書き上げた由。
「幽霊」も見たことがあるが、この作品に関する限り、作者の意図が、どうもよく分からない。
これは決して、一人の英雄が大衆に理解されずに迫害されるというような単純な話ではない。
主人公は純粋ではあるが、単純で世間知らずで脇が甘い。傍で見ていて恥ずかしいくらいだ。
作者は、彼に対しても容赦なく皮肉な眼差しを向けている。
複雑な、一筋縄ではいかない戯曲だ。

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