ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「吾輩は漱石である」

2022-11-23 21:17:08 | 芝居
11月15日 紀伊國屋サザンシアターで、井上ひさし作「吾輩は漱石である」を見た(こまつ座公演、演出:鵜山仁)。




ネタバレあります注意!
幕が開くと、そこは修善寺。漱石(鈴木壮麻)は病で、もう一週間も臥せっている。
妻鏡子(賀来千香子)がそばで見守っている。
下女(栗田桃子)は漱石から「世話焼きのおせん」というあだ名をつけられている。
弟子(木津誠之)が来て、妻鏡子のことを漱石先生は「女親分」と言っていたと言う。
彼女は漱石の弟子たちにあれこれ指図していたようだ。
この夏、漱石はある病院に入院していたが、もう大丈夫、退院してよい、その後、どこか温泉で休養するとよい、と医師に言われて
ここに来たのに吐血した。だから鏡子は医者に責任がある、と当然ながら不信感を募らせている。

ここで場面は変わり、とある中学の職員室。
新入生(石母田史朗)が入ってみると、上級生だが万年一年生だと言う男(鈴木壮麻)が立たされている。
彼によると、ここは経営が厳しく、先生方はみんなで内職をしている。ラッパの組み立て作業。
全校生徒が彼一人なので、先生方がなるべく授業をしなくて済むように、先生を怒らせて「立ってろ」と言わせるように仕向ける。
そのために、各先生方の心の痛みを覚えておくんだ、と言って、新入生に教える。
これが教師たちの紹介になる。
教師は、小川三四郎(若松泰弘)、ランスロット(平埜生成)、おっちゃん(木津誠之)。
小川三四郎は文学士だが、崖下の家に三千代という妻と住んでいる(笑)。⇒ この人は三部作「三四郎」「それから」「門」の合体!
ランスロットは英国人で、かつて王の妻と不倫し、国外へ。⇒ アーサー王物語より (「かい露行」の「かい」の字が変換できません💦)
おっちゃんは、かつて坊ちゃんというあだ名で中学の数学教師をしていた。⇒ 「坊ちゃん」より
このように、漱石の作品から抜け出した人物が続々と登場する。

この学校の校長は、一度も姿を見せたことがなく、時々手紙で要件を伝えてくるのみ。
今また彼から手紙が届き、それを読むと、資金繰りが行き詰まり、自殺するとある。
教師たちは驚くが、話すうちに、もはやこれまで、みんなで死のう、ということになる。
と、そこに真紅のドレス姿もまばゆい女性(賀来千香子)登場!
おつきの女性(栗田桃子)を伴い、「ここを買います」と告げるので、みな死ぬのをやめる。

<2幕>
暗い中、賀来千香子の声が響く。手紙を読んでいるようだ。
幕が開くと、中央の壇上に、男装した賀来が黒いシルクハットをかぶり、ひげをつけてかしこまっている。
今まで校長をしてきたが、一度も学校に来なかったことをわびる。
故郷の田畑、家屋敷を叔父に騙し取られ、ここの敷地もネコの額より狭く、みんなの給料もスズメの涙より少なく・・・と嘆く。
小使い(山本龍二)は実物の校長を見られて感激。体に触りたい、と嫌がる校長の体を触る。
教師たちは校長に、寸劇をお見せしたいと言う。
正岡子規の俳句を使った「俳劇」で、活人画のようなものだという。
彼らが奥で準備している間に二人の生徒が現れ、校長に「おばさん」と呼びかける。
この校長、実は先日の真紅のドレスの女性で、あの後、新入生に、校長役を演じてほしい、と頼まれたのだった。

彼らの「俳劇」の後、突然、先日のおつきの女性が、泥棒のように緑色の風呂敷包みを担いで登場。
「ハナコ様、早く逃げてください!」
こう言われてハナコは観念してかつらをはずし、男装を解き、別室で女学生の恰好へ。
彼女は別にお金持ちのお嬢様ではなく、「裸写真」を撮らせて金を稼ぐ女だった。
その写真家が警察に捕まったので、今にハナコも捕まる、と下女が知らせて来たのだった。
みな驚くが、小使いはなかなか信じようとしない・・・。

ラストは、また漱石と弟子の場面。
だが、オチがない!これで終わったのか、とびっくり。

冒頭の修善寺の場面から、突然某中学に舞台が変わったが、その二つがどうつながるのかさっぱりわからない。
結局すべては漱石が病気で寝ている間に見た夢なのだろうと思ったが、最後に「夢オチ」だと明かされるわけでもなく、
唐突に終わるので、観客は置いてきぼりにされる。
若書きなのだろう。この作品がめったに上演されないのは当然だ。

井上の戯曲には、たいてい中盤でエロティックなことが起こったり、ここでのようにセリフに出てきたりする。
たぶん作者は、観客にサービスしているつもりなのだろう。
庶民はこういうのを喜ぶだろう、こういうのがないと芝居を楽しめないだろう、と思っているとしたら、実に腹立たしい。
エロティック な要素が皆無でも面白い芝居は山のようにあるではないか。
観客をバカにするなと言いたい。

さっぱり面白くなかったが、賀来千香子の艶やかな姿を拝めただけで良しとするか。


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[ラビットホール」

2022-11-17 21:18:15 | 芝居
11月8日、Pit 昴 サイスタジオ大山で、デイビッド・リンゼイ=アベアー作「ラビットホール」を見た(劇団昴公演、訳・演出:田中壮太郎)。




ニューヨークに住むベッカとハウイー。彼らの4歳の息子ダニーが事故死した後、子供の遺した服や絵本を捨て続けるベッカ、思い出を残そうとする
ハウイー。自由な妹イジ―と11年前に息子を亡くした母ナットと過ごす日常の中で、かみ合わない嘆きと悲しみを抱え苦しむ二人。
そんな時、ダニーを轢いた少年ジェイソンからの手紙が届く・・・(チラシより)。

半円形の小さな舞台を客席が囲む形。奥にキッチンがあるようだが、評者の席からは見えなかった。
ベッカ(あんどうさくら)と妹イジー(坂井亜由美)が話している。
イジーがまた仕事をクビになったと言うので姉は呆れる。
しかも、実は彼女はミュージシャンである彼氏の子を妊娠していた(数週間前に分かった)。
母にはとっくに話して喜んでもらえたが、4歳の息子を亡くしたばかりの姉にはなかなか話せず、この日、やっと伝えることができた。

ハウイーとベッカは子供を亡くした親たちが集うセラピーの会に行っていたが、ベッカはもう行くのをやめてしまった。
夜、ハウイー(岩田翼)はワインを用意し、部屋の灯りを少し落とし、音楽をかける。
イライラしているベッカに、リラックスした方がいいよ、と言って肩をもむ。
「わかった・・・誘ってる?」とベッカ。だが彼女はそんな気分じゃない。
「もう8ヶ月だよ」とハウイー。息子の事故死からそれだけの日が過ぎていた。
また新しく作ろう・・・と夫が言いかけると、妻は「そういう話だったの!?ムリ!」と激しく拒絶して部屋を出て行く。
一人になると、ハウイーはビデオを見る。息子と最後に撮った動画だ。
可愛い男の子の声が響く。
「ボクは魔法使いだよ。パパを透明人間にしてあげる・・」

ベッカの母ナット(要田禎子)と夫婦は、4人でイジーの誕生会を開く。それぞれからのプレゼント。
母はケネディ家の人々の話を始め、そこから、オナシスの息子が事故死した後、オナシスが息子の死を受け入れられず、誰が事故の責任者だったか、
事故は誰かの過失じゃないか、と多額の金を使って調べたが、結局分からず、そのストレスとショックで2年以内に死んじゃったのよ、と言う。
ベッカは、母がダニーの死を受け入れられない自分のことを当てこすっている、と言う。
母が、私も息子アーサーを失ったと言うと、彼は30歳でヘロイン中毒で死んだ、アーサーとダニーは違う、と娘は答える。
母が、私は何も当てこすってはいない、と言うと、お母さんは、いつだって、何かを言おうとして言っている、と娘は責める。
彼女の言葉にはいつも何らかの意図があるというのだ。
食卓は険悪なムードになる。
イジー「これ、私の誕生会じゃないの?」(笑)

ダニーを轢いた少年ジェイソンから手紙が届いた。
彼は高校3年生。SFのような自作の小説が同封されていた。
ハウイーが、またダニーのビデオを見ようとすると、TV番組が上から録画されていた。ベッカが間違えて録画してしまったのだ。
怒るハウイー。夫婦の諍い。
ベッカは引っ越したいと言う。この家には亡きダニーの思い出が詰まっていて、彼女には耐えられないのだ。
<2幕>
イジーと義兄ハウイーが家にいる。
ベッカとハウイーは、家を売るためオープンハウスの看板を出しているが、安くしようとして代理店を通さなかったためか、なかなか人が来ない。
イジー「ダニーの部屋、何とかした方がいいよ」
男の子向きの柄のベッドカバーがそのままなので、客は当然「ああ、男の子がいらっしゃるんですか。何歳ですか?」と尋ねる。 
 ⇒ 事故死したことを話さないわけにはいかない ⇒ 客は引いてしまう ⇒ 買う気をなくす・・と、もっともなアドバイスをするイジー。
この子、ハチャメチャなようだが意外とまともで常識がある。
むしろハウイーの方が想像力に欠けるところがあるようだ。
もともと彼はこの家が気に入っていて、売る話に乗り気でなかったせいかも知れない。

ベッカとナットがスーパーから帰宅。何やら言い争っている。
店に4歳くらいの子を連れた母親がいて、子供がお菓子を買ってと駄々をこねるのに買ってやらない。
子供が可哀想になったベッカが母親に話しかけて説得しようとしたが、言うことを聞いてくれないので、何とその母親をひっぱたいたという。
その後、ナットが事情を話してわびたらしい。
ベッカの怒りはまだ収まらず、夫は呆れるがイジーは共感する。

ベッカとナットはダニーのおもちゃや靴を仕分けしている。キープして箱詰めか、ゴミ袋行きか。
ベッカはカルチャースクールに通い出した話をする。今ディケンズの「荒涼館」を読んでいるという。
イジーと義兄ハウイーが家にいる。
イジーの友人が、レストランでハウイーを見かけた。誰か女性と一緒で、ハウイーはその女性の手を握っていた。
イジーがそう言うと、ハウイーは怒り出す・・・。

ベッカはジェイソン(町屋圭祐)を自宅に招き、手作りのケーキを出してもてなす。
彼は事故の日のことをポツリポツリと語り出す。
「犬が飛び出してきて、あわててハンドルを切った」「制限速度を少し越えていたかも・・」
プロムの日のことを聞かれ、愉快に過ごした話をしていると、突然ベッカが泣き出す。
それも号泣。
しばらくして泣き止んだベッカは、彼が送ってきた小説に出てくるパラレルユニバースの話を面白いと言う。
ギリシャ神話のオルフェウスの物語を思い出した、とも。
宇宙が無限なら、どこかにこの私と同じ人間がいて、幸せに暮らしている・・。
彼が帰ると、ベッカは一人、舞台中央に立つ。
ミラーボールが回り、色とりどりの照明。パラレルユニバース。

ベッカとイジーとナットが家にいると、珍しく早くハウイーが帰宅。
今日はセラピーの会に行くのを止めた。と言う。
それを聞くと、イジーは気を利かせて母親を急き立て、出て行く。
二人はソファに並んで座る。
結局、家は売らないことになりそうだ。
ベッカはハウイーの手に自分の手を添える・・・。

翻訳がいい。特に若いイジーのセリフが生き生きしていて魅力的で、聴衆の心をつかむ。
オーマイガー!とかジーザスとかF・・とかを訳さずにそのまま使うのは、ちょっと手抜きかも知れないが。

子供を亡くした夫婦は、往々にして別れることがある。
この夫婦もそうなりそうだったが、何とか危機を乗り越えていけるかも知れないという予感を与えるラストだった。
仕事を辞めて専業主婦となっていた妻にとって、4歳という可愛い盛りの男の子を失うことは、自分の身がもがれるのと同じくらい大変なことだろう。
自分の存在価値が全否定されたようにも感じただろう。
夫には今までと変わらず仕事があるし、二人の悲しみと絶望は、どうしたって同じというわけにはいかない。
ベッカは信仰も失った。
母親がどうして神を信じないの?と言うと、神様なんてサディスティックよ!と答える。
だが、加害者である少年が書いたSF小説が、彼女に救いをもたらしたようだ。
いや、救いとまではいかないかも知れないが、とにかく彼女が前を向いて歩き出すきっかけを与えたらしい。
評者には、無限の宇宙のどこかに自分がいて、幸せに暮らしている、と考えたからといって、どうして楽になれるのか、さっぱりわからないが。
この作品のタイトルは、異世界に通じる「うさぎの穴」・・「不思議の国のアリス」に出てくるあれだ。

ところでチラシに「子供の遺した服や絵本を捨て続けるベッカ」とあるが、そんな事実はない。
ベッカは息子の服をきれいに洗濯してきちんとたたみ、寄付しようとしているし、絵本を捨てるというセリフもシーンもない。
どうしてこんな間違いをチラシに書くのか理解不能。

役者はみなうまいが、特に母ナット役の要田禎子がいい。
この役がまた、味があって面白い。
イジー役の坂井亜由美という人も印象に残った。
この人は滑舌がメチャメチャいい。セリフがすべてよく聞き取れて、実に気持ちがいい。

作者は昨年9月に亀戸で上演された「グッドピープル」を書いた人。
この「ラビットホール」で2007年、ピューリツァー賞戯曲部門を受賞した由。






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「検察官」

2022-11-07 10:21:56 | 芝居
11月1日俳優座劇場で、ニコライ・ゴーゴリ作「検察官」を見た(劇団1980公演、演出:ペトル・ヴトカレウ)。



文化庁芸術祭参加作品。演出家はモルドバ共和国のウジェーヌ・イヨネスコ劇場芸術監督。
コロナ禍で2年順延された公演の由。

ある地方の官吏たちが、たまたま旅行に来たペテルブルグの若い下級官吏を検察官と間違えて右往左往する。
皆、すねに傷持つ身だったのだ。その男は彼らの誤解をいいことに、思うさま賄賂を取りまくり、しまいに姿をくらます。

舞台にはスチールの網の張った箱をたくさん組み合わせた階段が正面に横向きに設置され、その中央に奇妙な狭い出入り口。
人々はいちいち階段を登って降りて中央の狭い戸口から登場する。
舞台奥には「影あるいはMr.N 」という役の男(堀之内真平)が仮面のような顔に終始皮肉な笑みを浮かべ、人々の様子を伺っている。

ペテルブルグの下級官吏フレスタコフ(田部圭祐)は、旅行中、父親からもらった金を使い果たし、宿の主人から、もうツケでは一切食事を出さない、と言われている。
従者オーシップ(戸谷昌弘)と共に腹ペコで弱り切っていて、何とか主人に食べ物を持って来てもらおうとする。
そんな時、彼を検察官と思い込んだ市長(柴田義之)がやって来る。
始め、二人はどちらもおびえているが、次第に落ち着きを取り戻し、市長は彼に言われるままに金を貸してやり、宿のツケも全額払ってやる。
フレスタコフは大喜びで上機嫌になる。
市長は自分の悪事が露呈せずに済むようだとわかり、ほっとして勢いに乗り、フレスタコフを自分の家に客人として泊めることにする。
市長の妻(上野裕子)と娘(光木麻美)はキテレツな衣装で登場するが、その知らせを聞くと、急いで着替えて競っておめかしする。

ここで市長の夢のシーンが長々と繰り広げられる!まさに悪夢。
大きなネズミたちが現れ、彼の妻と娘は処刑され、彼の前に自分の生首が運ばれてくる。
戯曲にはまったくないシーン(冒頭の市長のセリフにちょっと出てくるだけ)を丸々一つ作ったのにはびっくり!

<2幕>
翌朝、二日酔いのフレスタコフは女物のピンクの薄い下着姿であだっぽい。
昨夜の歓待を思い出して、ここはいいところだ、とひとり言を言っているところに、判事、郵便局長、病院長らが一人ずつ、おっかなびっくりやって来る。
フレスタコフは彼らをいいようにあしらい、みんなから300ルーブル、400ルーブルと金を巻き上げる。
田部圭祐が実にうまい。
最後にボブチンスキーがフレスタコフに頼み事をするシーンで、突然、歌舞伎調になる。
照明も変わり、彼にスポットライトが当たる。これがおかしい。

その後、市長の妻と娘がやって来ると、フレスタコフは二人に色目を使い、どちらもその気にさせてしまう。
だが結局彼は、娘の方と結婚したいと言い出し、市長は驚くが、二人を祝福する。
その直後にフレスタコフとオーシップは、すぐに戻るからとみんなを安心させておいて旅に出る。
市長と妻は、思いがけない成り行きに興奮し、娘が結婚したら自分たちもこんな田舎に住んでいないで、ペテルブルグに住もうかと語り合う。

ラスト、人々はフレスタコフに騙されたとわかると驚き、怒り狂い、誰が最初に彼を検察官だと言ったか、思い出す。
あの二人だ!人々はドブチンスキーとボブチンスキーを取り囲み、気がつくと、市長がその一人の首を絞めて殺していた。
さすがにギョッとして黙り込む人々。
すると電話が鳴り、天井から赤い受話器がぶら下がる。
市長がそれに向かって声をかけると、奥にいた謎の男・「影あるいはMr.N 」がこちらを向き、別の受話器を持って、最後の憲兵のセリフを語る。
「特命によりペテルブルグから到着された官吏の方が、即刻ご一同をお召しです」
今度こそ本物の検察官がやって来たのだった・・・!

この日は千秋楽だったので、演出家のあいさつがあった。
モルドバ語なのだろうか。ロシア語に似た響きがした。

音楽は、最初のうちシーンごとにいちいち短く入れるのが邪魔だと思ったが、後半、フレスタコフの元に役人たちが一人また一人とやって来る時の
コミカルな行進曲風の部分が素敵だ。実に楽しい。
原作の戯曲には冗長な部分もあるのでごっそりカットするのはわかるが、戯曲の流れが自然に感じられるセリフも多いので、それらがカットされているのが残念。
だが、演出家にはこの戯曲を使って表現したいことがはっきりとあり、そのためには、これくらい大胆に再構成する必要があったのだろう。
その強い意欲と情熱に胸を打たれた。

モルドバ共和国がどこにあるかも知らず、地図で確認したら、ウクライナの南に隣接する小さな国だった。
東欧の戯曲は、今までいくつか見てきたが、いずれも私たちの感性やメンタリティーとはいささか違うものだった。
例えばシェイクスピアの戯曲でも、1994年3月に見たルーマニアの劇団の来日公演「冬物語」など、我々とはとらえ方と表現方法が若干違うと感じた。
今回の公演でも、大国に挟まれた小国という地理的環境が民族にもたらす厳しいものが、彼らのメンタリティーを形成していると思った。
だが、その独特な世界観、独創性が、実に興味深く、また魅力的だ。

この日のために遅まきながら原作を読んだが、さすが名作の誉れ高い作品、そのストーリー展開のうまさ、至る所にきらめく機知と風刺に
圧倒された。
この戯曲が初めて印刷された時、植字工や校正係が笑いの発作のために仕事がなかなか進まなかったという有名な逸話が残っているという。


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