11月15日 紀伊國屋サザンシアターで、井上ひさし作「吾輩は漱石である」を見た(こまつ座公演、演出:鵜山仁)。
ネタバレあります注意!
幕が開くと、そこは修善寺。漱石(鈴木壮麻)は病で、もう一週間も臥せっている。
妻鏡子(賀来千香子)がそばで見守っている。
下女(栗田桃子)は漱石から「世話焼きのおせん」というあだ名をつけられている。
弟子(木津誠之)が来て、妻鏡子のことを漱石先生は「女親分」と言っていたと言う。
彼女は漱石の弟子たちにあれこれ指図していたようだ。
この夏、漱石はある病院に入院していたが、もう大丈夫、退院してよい、その後、どこか温泉で休養するとよい、と医師に言われて
ここに来たのに吐血した。だから鏡子は医者に責任がある、と当然ながら不信感を募らせている。
ここで場面は変わり、とある中学の職員室。
新入生(石母田史朗)が入ってみると、上級生だが万年一年生だと言う男(鈴木壮麻)が立たされている。
彼によると、ここは経営が厳しく、先生方はみんなで内職をしている。ラッパの組み立て作業。
全校生徒が彼一人なので、先生方がなるべく授業をしなくて済むように、先生を怒らせて「立ってろ」と言わせるように仕向ける。
そのために、各先生方の心の痛みを覚えておくんだ、と言って、新入生に教える。
これが教師たちの紹介になる。
教師は、小川三四郎(若松泰弘)、ランスロット(平埜生成)、おっちゃん(木津誠之)。
小川三四郎は文学士だが、崖下の家に三千代という妻と住んでいる(笑)。⇒ この人は三部作「三四郎」「それから」「門」の合体!
ランスロットは英国人で、かつて王の妻と不倫し、国外へ。⇒ アーサー王物語より (「かい露行」の「かい」の字が変換できません💦)
おっちゃんは、かつて坊ちゃんというあだ名で中学の数学教師をしていた。⇒ 「坊ちゃん」より
このように、漱石の作品から抜け出した人物が続々と登場する。
この学校の校長は、一度も姿を見せたことがなく、時々手紙で要件を伝えてくるのみ。
今また彼から手紙が届き、それを読むと、資金繰りが行き詰まり、自殺するとある。
教師たちは驚くが、話すうちに、もはやこれまで、みんなで死のう、ということになる。
と、そこに真紅のドレス姿もまばゆい女性(賀来千香子)登場!
おつきの女性(栗田桃子)を伴い、「ここを買います」と告げるので、みな死ぬのをやめる。
<2幕>
暗い中、賀来千香子の声が響く。手紙を読んでいるようだ。
幕が開くと、中央の壇上に、男装した賀来が黒いシルクハットをかぶり、ひげをつけてかしこまっている。
今まで校長をしてきたが、一度も学校に来なかったことをわびる。
故郷の田畑、家屋敷を叔父に騙し取られ、ここの敷地もネコの額より狭く、みんなの給料もスズメの涙より少なく・・・と嘆く。
小使い(山本龍二)は実物の校長を見られて感激。体に触りたい、と嫌がる校長の体を触る。
教師たちは校長に、寸劇をお見せしたいと言う。
正岡子規の俳句を使った「俳劇」で、活人画のようなものだという。
彼らが奥で準備している間に二人の生徒が現れ、校長に「おばさん」と呼びかける。
この校長、実は先日の真紅のドレスの女性で、あの後、新入生に、校長役を演じてほしい、と頼まれたのだった。
彼らの「俳劇」の後、突然、先日のおつきの女性が、泥棒のように緑色の風呂敷包みを担いで登場。
「ハナコ様、早く逃げてください!」
こう言われてハナコは観念してかつらをはずし、男装を解き、別室で女学生の恰好へ。
彼女は別にお金持ちのお嬢様ではなく、「裸写真」を撮らせて金を稼ぐ女だった。
その写真家が警察に捕まったので、今にハナコも捕まる、と下女が知らせて来たのだった。
みな驚くが、小使いはなかなか信じようとしない・・・。
ラストは、また漱石と弟子の場面。
だが、オチがない!これで終わったのか、とびっくり。
冒頭の修善寺の場面から、突然某中学に舞台が変わったが、その二つがどうつながるのかさっぱりわからない。
結局すべては漱石が病気で寝ている間に見た夢なのだろうと思ったが、最後に「夢オチ」だと明かされるわけでもなく、
唐突に終わるので、観客は置いてきぼりにされる。
若書きなのだろう。この作品がめったに上演されないのは当然だ。
井上の戯曲には、たいてい中盤でエロティックなことが起こったり、ここでのようにセリフに出てきたりする。
たぶん作者は、観客にサービスしているつもりなのだろう。
庶民はこういうのを喜ぶだろう、こういうのがないと芝居を楽しめないだろう、と思っているとしたら、実に腹立たしい。
エロティック な要素が皆無でも面白い芝居は山のようにあるではないか。
観客をバカにするなと言いたい。
さっぱり面白くなかったが、賀来千香子の艶やかな姿を拝めただけで良しとするか。
ネタバレあります注意!
幕が開くと、そこは修善寺。漱石(鈴木壮麻)は病で、もう一週間も臥せっている。
妻鏡子(賀来千香子)がそばで見守っている。
下女(栗田桃子)は漱石から「世話焼きのおせん」というあだ名をつけられている。
弟子(木津誠之)が来て、妻鏡子のことを漱石先生は「女親分」と言っていたと言う。
彼女は漱石の弟子たちにあれこれ指図していたようだ。
この夏、漱石はある病院に入院していたが、もう大丈夫、退院してよい、その後、どこか温泉で休養するとよい、と医師に言われて
ここに来たのに吐血した。だから鏡子は医者に責任がある、と当然ながら不信感を募らせている。
ここで場面は変わり、とある中学の職員室。
新入生(石母田史朗)が入ってみると、上級生だが万年一年生だと言う男(鈴木壮麻)が立たされている。
彼によると、ここは経営が厳しく、先生方はみんなで内職をしている。ラッパの組み立て作業。
全校生徒が彼一人なので、先生方がなるべく授業をしなくて済むように、先生を怒らせて「立ってろ」と言わせるように仕向ける。
そのために、各先生方の心の痛みを覚えておくんだ、と言って、新入生に教える。
これが教師たちの紹介になる。
教師は、小川三四郎(若松泰弘)、ランスロット(平埜生成)、おっちゃん(木津誠之)。
小川三四郎は文学士だが、崖下の家に三千代という妻と住んでいる(笑)。⇒ この人は三部作「三四郎」「それから」「門」の合体!
ランスロットは英国人で、かつて王の妻と不倫し、国外へ。⇒ アーサー王物語より (「かい露行」の「かい」の字が変換できません💦)
おっちゃんは、かつて坊ちゃんというあだ名で中学の数学教師をしていた。⇒ 「坊ちゃん」より
このように、漱石の作品から抜け出した人物が続々と登場する。
この学校の校長は、一度も姿を見せたことがなく、時々手紙で要件を伝えてくるのみ。
今また彼から手紙が届き、それを読むと、資金繰りが行き詰まり、自殺するとある。
教師たちは驚くが、話すうちに、もはやこれまで、みんなで死のう、ということになる。
と、そこに真紅のドレス姿もまばゆい女性(賀来千香子)登場!
おつきの女性(栗田桃子)を伴い、「ここを買います」と告げるので、みな死ぬのをやめる。
<2幕>
暗い中、賀来千香子の声が響く。手紙を読んでいるようだ。
幕が開くと、中央の壇上に、男装した賀来が黒いシルクハットをかぶり、ひげをつけてかしこまっている。
今まで校長をしてきたが、一度も学校に来なかったことをわびる。
故郷の田畑、家屋敷を叔父に騙し取られ、ここの敷地もネコの額より狭く、みんなの給料もスズメの涙より少なく・・・と嘆く。
小使い(山本龍二)は実物の校長を見られて感激。体に触りたい、と嫌がる校長の体を触る。
教師たちは校長に、寸劇をお見せしたいと言う。
正岡子規の俳句を使った「俳劇」で、活人画のようなものだという。
彼らが奥で準備している間に二人の生徒が現れ、校長に「おばさん」と呼びかける。
この校長、実は先日の真紅のドレスの女性で、あの後、新入生に、校長役を演じてほしい、と頼まれたのだった。
彼らの「俳劇」の後、突然、先日のおつきの女性が、泥棒のように緑色の風呂敷包みを担いで登場。
「ハナコ様、早く逃げてください!」
こう言われてハナコは観念してかつらをはずし、男装を解き、別室で女学生の恰好へ。
彼女は別にお金持ちのお嬢様ではなく、「裸写真」を撮らせて金を稼ぐ女だった。
その写真家が警察に捕まったので、今にハナコも捕まる、と下女が知らせて来たのだった。
みな驚くが、小使いはなかなか信じようとしない・・・。
ラストは、また漱石と弟子の場面。
だが、オチがない!これで終わったのか、とびっくり。
冒頭の修善寺の場面から、突然某中学に舞台が変わったが、その二つがどうつながるのかさっぱりわからない。
結局すべては漱石が病気で寝ている間に見た夢なのだろうと思ったが、最後に「夢オチ」だと明かされるわけでもなく、
唐突に終わるので、観客は置いてきぼりにされる。
若書きなのだろう。この作品がめったに上演されないのは当然だ。
井上の戯曲には、たいてい中盤でエロティックなことが起こったり、ここでのようにセリフに出てきたりする。
たぶん作者は、観客にサービスしているつもりなのだろう。
庶民はこういうのを喜ぶだろう、こういうのがないと芝居を楽しめないだろう、と思っているとしたら、実に腹立たしい。
エロティック な要素が皆無でも面白い芝居は山のようにあるではないか。
観客をバカにするなと言いたい。
さっぱり面白くなかったが、賀来千香子の艶やかな姿を拝めただけで良しとするか。