ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

チェーホフ作「ワーニャ伯父さん」(華のん企画)

2009-02-27 18:02:05 | 芝居
 2月26日あうるすぽっとで、チェーホフ作「ワーニャ伯父さん」(山崎清介演出)を観た。
 
 見終わって、改めて24日の朝日新聞に掲載された評を読み返してみると、その甘口振りに驚かされる。

 第一、台本をあそこまで変えるのなら、もはや「チェーホフ作」とは言えまい。「チェーホフ原作」とすべきだろう。
 最後の「アフリカの地図」についての会話には絶句。あれは英訳者マイケル・フレインが作ったのだろうか。誰が作ったにしても絶対おかしい。
ワーニャは田舎者だが学がないわけではない。チェーホフからどんどん離れていくばかりだ。
また、もしここで笑わせたいのだとしたら、勘違いも甚だしい。誰も笑えなくて客席は凍りついていた。

 それから信じ難いミスキャスト。これはチラシを見た時から分かっていたが・・・。
 
 この芝居を観て、チェーホフってつまらない、あるいは、こんなもんか、と思った人に、ぜひ観て欲しい映画がある。
 ルイ・マル監督の遺作「42丁目のワーニャ」だ。
 これは奇跡のような作品で、役者たちが普段着姿で通し稽古をするだけなのだが、芝居を観ているという感じがしない。
 観ているうちに、これは芝居じゃないんじゃないか、と思えてくる、などということが本当にあるのだ。
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2008年のシェイクスピア劇

2009-02-24 21:27:18 | 芝居
 前にも書いたように、‘08年に観たシェイクスピア劇は二つのみ。今回はそれらについて書きたい。と言ってもだいぶ前のことなので、ほんの覚え書き程度だが。
 
 ① ハムレット:International Theatre Company London(演出 P.Stebbings)5月12日早稲田大学大隈講堂   

 いきなり歌と太鼓とギターで始まる。
 舞台装置は台形に置いたベンチ(?)のみ。それを巧みに用いる。
 亡霊は黒い衣に白い人型のようなものが描いてあるのを着て、まるでゾンビのよう。ハムレットに語りかけるシーンではライトを落とし、4人が同時に語る。テーブルの下にもぐり込んでセリフを言うのはやめてほしい。

 ハムレットは声がいい。よう狂のシーンもうまい。
 オフィーリアは変身が素晴らしい。前半のおどおどした小娘ぶり、そして後半は(お決まりだが)白い衣に裸足。歌もうまいし声量も充分だ。
 ローゼンクランツとギルデンスターンはまるで道化。二人は顔も衣装もそっくりで、登場後しばし芸(?)を披露して客席の笑いを誘う。
 
 笛を吹け、というシーンはカット。
 一座の座長の「ヘキュバ」もカット。フォーティンブラスもカット。
 劇中劇はあやつり人形(に扮した人間3人)が演じる。
 
 王が "more light!"と言うと、会場のライトが一斉について休憩に入ったのがおかしい。
 
 王妃の部屋で、老人は布をかけたベンチの下に隠れる。ハムレットは剣を持たず、彼を絞殺する。
 
 ホレイショーは王子の手紙を何と王妃に渡す!王妃は何やら言うが、あれは一体誰のセリフなのか?

 墓掘りは1人だけ、つまり第5幕第1場のあの会話もカット。
 中央を一部布で隠して上手に墓掘りのシーンを作っていた。
 残念ながらオフィーリアはいない。

 最後は主役の "silence " というセリフで終わる。昔銀座セゾン劇場で観たリュビーモフ演出のハムレットを思い出した。

 全体に、少ない人数でやりくりして、カットも多いがうまくコンパクトな作品に仕上げていた。

 

② ロミオとジュリエット:オックスフォード大学演劇協会、8月9日、東京芸術劇場
    
 冒頭、正装の貴族たちがいきなりthumb bite から始める。しかも片方は一人というのはおかしい。
 剣の代わりにナイフ(dagger?)を使う。

 仮面舞踏会でどうやって恋に落ちるのか、といつも思わされるが、やはりその時二人は目隠しをはずしている。
 バルコニーがないのはやっぱりいやだ。
 二人だけの秘密の結婚のシーンがセリフに合わせて短く作られ、ジュリエットが歩くところからバッハの無伴奏チェロ組曲第一番の生演奏が流れた。俳優の一人がチェリストなのを利用したらしい。

 ロレンスをティボルトと同じ人がやるのはいいが、何と言っても若過ぎる。

 ロミオはティボルトをピストルで撃ち殺す。
 マーキューシオをベンヴォーリオが運び出さないから、そのそばでロミオがセリフを言う時、矛盾がある。

 第3幕第3場でロレンスがロミオを諭す素晴らしいセリフのあとの、これまた味わい深い乳母のセリフがカットされていて残念。

 中央に置かれたテーブルが、休憩後白布で覆われている。これが二人の新床、そして墓所になるようだ。

 キャピュレットがすごくうまい。恰幅がよく、どう見ても30代だ。この人はOBか?

 ベッドの二人の手前で、両親はパリスと結婚式の日取りを決める。

 ロミオが毒を仰いだ時、ジュリエットが動き出したのでびっくり!ほんの一瞬二人は再会し、ロミオは生き返ったジュリエットを見て死ぬ。
 ロレンスは墓でジュリエットと会わない。

 このように、ちょっと納得のいかないところもあったが、変わっててなかなか面白かった。





 
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プリーストリー作「夜の来訪者」(シス・カンパニー)

2009-02-21 21:28:28 | 芝居
2月17日、シス・カンパニー公演プリーストリー作「夜の来訪者」を観た(紀伊国屋ホール)。
 イギリス人の1947年の原作を1972年の日本に置き換えて翻案(内村直也)したもの。
 
 登場人物は皆ステレオタイプ。筋も分かり易く、予想通りに展開する。ただ、そこに少しひねったところがあるので、先に興味をつないでいくことができる。
 
 翻案者に一言。全体にとてもよく日本の風土に移し変えていると思うが、娘の言葉遣いが少し長ったらしい。成り上がりの上流家庭とは言え昭和47年の日本の若い娘の言葉にしては時代がかっている。皇族ではないのだから、敬語と丁寧語をもっと減らしたほうがいい。

 役者は皆なかなかいい。渡辺えりの着物姿が堂に入っていて驚いた。この人はこんなに似合うのだから、これからどんどん着物を着るといい。段田安則は12月の「舞台は夢」でも好演していたが、この日もよかった。
 
 10分の休憩をはさんで、同じシーンが二度繰り返された。(こんなのは初めて見た。)つまりこの芝居は一幕物で、どうしても切れるところがなかったのだろう。

 結局真相(女が一人なのか複数なのか、そして男の正体も)は分からずじまいだが、作者の意図はそこにはない。見えてくるのは社会正義を求めて観客に訴えかける、非常に道徳的倫理的な姿勢だ。作者プリーストリーは、当時第二のディケンズの出現として熱狂的に歓迎された、というのもうなづける。
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イプセン作「ちっちゃなエイヨルフ」

2009-02-19 15:21:00 | 芝居
 2月15日タニノクロウ演出のイプセン作「ちっちゃなエイヨルフ」(上演台本:笹部博司)を観た(あうるすぽっと)。

 灰色の円柱が左右に5本ずつ並んだ回廊のような整然とした舞台(美術:朝倉摂)。
 ピアノの音がD,A,F,D ・・・と響き始める。バッハの「音楽の捧げもの」。
 「ぼくら一族には何か独特のもの、共通点がある。みんな名前が母音で始まるし・・」とアルフレッドが妹アスタに言うセリフが面白い。

 非常に分かり易い展開。こうなるんじゃないか、と思っていると本当にそうなってゆくのがおかしい。
 アルフレッドの妻リタは独占欲の塊で、何ともいやな女に見えるが、そんな彼女も見方を変えれば夫を愛するという一点においては一途で、むしろ夫より深くて純粋な愛を抱いているということが終盤明らかになってくる。

 情けないのは夫アルフレッドだ。金持ちで働かなくても生きていけて、やりたいことも特になく暇を持て余している。自分だって子供の頃は貧乏で苦労したのに、金持ちの女と結婚したお陰で有産階級に成り上がり、今では貧乏人たちを「あの下の連中」と呼んで差別する。

 夫が「復活」という言葉を口にすると妻は聞きとがめ、いきり立つ。かつて信仰をあざ笑って捨てさせた・・というようなことを言うが・・・。そのあたりがよく分からなかった。原作を読んでみないといけない。 
「悲しみを分かち合うためでなく、喜びを分かち合うためにこそ連れ合いが必要・・」という言葉に打たれた。

 子供の事故死の後、夫婦が互いを責め合うシーンには既視感がある。「風と共に去りぬ」のレット・バトラーとスカーレットだ。しかしここでは、別れると思われた二人が、妻の思いがけない決意によって新たな関係へと導かれてゆく。

 演出家に頼みたいのは、台本を全然知らない人に、時々客席に座って稽古を聞いてもらってほしいということだ。自分たちは何度も練習しているからセリフをどんなに早いスピードで話しても全部聞き取れるように「なってしまっている」けれど、初めて聴くお客には必ずしもそうではない、ということをしっかり念頭に置いてセリフを発してほしい。
 セリフが聞き取れないことほど腹立たしいことはないのだから。

 しかし、イプセンの女(ここでは妹だが)は強い。いろいろあってもしまいには男を捨てて出て行く・・・。
 
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2008年に観た芝居

2009-02-14 21:38:29 | 芝居
 昨年は芝居を23本観たが、その内シェイクスピアはわずか2本。ITCL(インターナショナル・シアターカンパニー・ロンドン)の「ハムレット」(5月12日)とOUDS(オックスフォード大学演劇協会)の「ロミオとジュリエット」(8月9日)。これらは別格として(長くなるので)、他の21コのうち特に面白かったものを10コ挙げてみたい。順位をつけるのは難しいので、観た順ということで。

 ①「春琴」(S.マクバーニー演出、深津絵里主演、3月4日)
   深津絵里の声がとにかく素晴らしい。今でも耳に残っている。演出もよく練られ ているが、枠構造は必要だったろうか。かえって主題も印象もぼやけるのではないだろうか。役者たちの動きは恐ろしいほど熟練を感じさせるものだった。

 ②「歌わせたい男たち」(永井愛作・演出、3月21日)
   この作家は前から気になっていて一度観ておきたかったが、テーマもいいし 扱い方もうまい。同じテーマでコメディでなくシリアスで重い作品も作れるかも知れないが。

 ③「ダウト」( J・P・シャンリィ作、4月14日)
   現代アメリカ演劇。役者は皆うまいが、渋谷はるかの初々しい演技が特に印 象に残った。

 ④ 「本当の私を捜して」(ピランデッロ原作、6月26日)
   これが昨年観た芝居の中で一番面白かった。ストーリーは謎解きで、少しず つ真実が明らかになってゆくが・・・一筋縄ではいかず、結末は深く心に沁みる。主演の浅野温子は相変わらず美しく、その声の魅力的なことはため息が出るほどだ。

 ⑤ 「死の舞踏」(ストリンドベリ作、7月31日)
   舞台装置はいつになく凝った作りで、重厚な雰囲気。例によって暗い話だが、客席には時折笑いが溢れる。演出と台本を担当した安西徹雄(公演前に死去)は、演出の仕方でストリンドベリがこうも明るくなることを示そうとしたのだろうか。それにしても橋爪功の芸のすごさには参った。

 ⑥ 「ミセス・サヴェッジ」(J・パトリック作、9月19日)
   よくできた芝居。ラストには胸を突かれた。役者はさほどうまくもなかった が、涙が止まらなかった。知らない作品だとこんなこともある。

 ⑦ 「人形の家」(イプセン作、シス・カンパニー、9月25日)
   シアターコクーンを円形劇場のように使っていたが、なぜそんなことをする のか、どんな効果をねらっているのか分からない。主演の宮沢りえが素晴らしい。声もよく、前半と後半の気持ちの変化が自然に伝わってくる名演技だった。

 ⑧ 「いさかい」(マリヴォー作、TPT68、10月13日) 
   原作を知らなかったが、実に面白い。演出も素晴らしい。

 ⑨ 「1945」(原作は芥川龍之介の「藪の中」、青木豪・R・アッカーマン脚 本、アッカーマン演出)
   非常に面白いが、ちょっと長すぎる。衣装(朝倉摂)が素晴らしい。終戦直後の日本が眼前に広がる。役者たちもいい。特に大木襄役のパク・ソヒがうまい。

 ⑩ 「舞台は夢」(P・コルネイユ作、新国立、12月11日)
   これも知らない作品だったが、芝居の楽しさを充分味わわせてくれた。⑦の 「人形の家」ではさほどうまいとはいえなかった堤真一が、ここでは彼の持ち味を生かす演出の効果もあって、なかなかよかった。


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リゲティのオペラ「ル・グラン・マカーブル」

2009-02-09 17:12:10 | オペラ
 2月7日、またも日本初演のオペラを観てしまった。(東京室内歌劇場定期)
リゲティという人はハンガリー出身の現代作曲家で、題名はフランス語だが台本はドイツ語だというし、チラシを読むと何だか面白そうなので、無調のコンサートにもかかわらず出かけていった。

 会場(新国立劇場・中劇場)は満席。
 セリフはドイツ語のシャレや言葉遊びが多いが、訳者(字幕)はうまく日本語で韻を踏むように訳してくれていて楽しい。
 ゲイの女たちの衣装は一見の価値あり。あれはどうやって着るのだろう。かぶるのか。
 内容は過激。子供には絶対見せたくない。というより、見せたらその夜はうなされることだろう。
 でも筋は他愛ない。
 大臣が辞任する時のセリフは「アナタトハチガウンデス」、また別の所では「みぞうゆうの・・・」とやって客席を沸かせた。
 死神が金ピカの霊柩車に乗って舞台奥から近づいてくるシーンの音楽が素晴らしい。花輪が2つ、1つにはカタカナで「ネクロツァール」、もう片方にはその漢字の当て字が書いてある。こういう演出も楽しい。
 歌手たちが素晴らしい。特にヴィーナスとゲポポ役の森川栄子、そしてゴーゴー候役の池田弦。
 
 これは「アンチ・アンチ・オペラ」だそうだが、そもそも「アンチ・オペラ」を知らないのに「アンチ・アンチ・オペラ」を観るというのは無謀というか、順番が違う・・・と思ったが、結果的には行ってよかった。
 これまで無調のコンサートは敬遠していたが、意外といけるかも、と思えた。食わず嫌いだったのかも。

 ※ 今回はシェイクスピアでもなく、芝居でもないものになってしまったが、ま、いっか。
 
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リチャード三世・・・謹んで訂正

2009-02-05 20:13:36 | 芝居
 先日書いた記事に間違いを発見してしまった。「エリザベス役の三田和代」と書いたが、正しくは「故ヨーク公爵夫人(つまりリチャードの母)役の三田和代」とすべきだった。彼女のファーストネームはこの芝居には書かれておらず、時代をさかのぼって、彼女の夫ヨーク公や息子たちが活躍する「ヘンリー六世」を読んでみても、何とまったく登場しない、何だか影の薄い女である。そんな女があのリチャードの母として、この芝居でようやく登場するわけだ。彼女のファーストネームがエリザベスである可能性は十分あると思うが(ご存じのように西洋人の名前は数が極端に限られているから)、ここは残念ながら間違いと認めて訂正させていただきたい。
 それと「王妃役の久世聖佳」というのは間違いではないが、台本にあるようにこっちの方を「エリザベス役の久世聖佳」とすべきだった。

 いやあブログ書くのもなかなか大変だ。これからもどんな間違いや知ったかぶりをやらかすか分からないと思うと、ちょっと憂鬱・・・。そういう時にはどなたでも構いませんからぜひどんどん指摘して下さい。
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リチャード三世(パルコ・プロデュース)

2009-02-03 23:35:14 | 芝居
 1月28日いのうえひでのり演出の「リチャード三世」を見た。赤坂ACTシアターは、昔レイフ・ファインズが「リチャード二世」と「コリオレイナス」をやった所だが、建物はすっかり新しくなった。
 ステージ上にいくつもディスプレイがあり、題名役古田新太は小型マイクを口に当てて独白を語り、そのセリフはディスプレイに横に流れる。
 衣装(前田文子)はぶっ飛んでいるが、ヘイスティングスの黄色い縦じまズボンなど識別し易くて便利だ。
 エレベーター(!)で舞台に出入りする役者たち。
 マーガレット役の銀粉蝶はものすごい存在感。場をさらうとはこういうことか。
 エリザベス役の三田和代は声がいい。clearで、さすがだ。
 王崩御の「速報ニュース」、「街頭インタビュー」、バラエティ番組に出演(!)して世論を操作しようとするバッキンガムの映像、誰かのセリフに人名が出てくると、モニターに写真が現れ、時には系図まで出てくる。とにかく親切なこと、まるでNHKの大河ドラマだ。しかし、もともとややこしい話なのだから大いに助かる。
 エドワード王役の久保酎吉もなかなかいい。
 王妃役の久世星佳も、非常にclearな造形で、うまい。
 アン役の安田成美は平板。
 携帯を使ったり、演説するリチャードらをテレビカメラで撮影し、「ライブ映像」を流したり、しまいにはリッチモンドの演説に「Change,Yes,I can!」と字幕を流したり・・・これは今しかできない技だ。一年前にはできなかったろうし、半年後でもちょっと気が抜けているかも知れない。こんな生き生きした言葉が使えて、この演出家は実にlucky?
 一言で言えば、非常に分かり易くてmodernな作品だった。
 いのうえひでのりという演出家の作品は初めて見たが、原作をよく読み込んで消化し、食べ易く客に提供してくれて、好感が持てた。これからもどんどんシェイクスピア作品を料理してほしい。







 
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