ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「歌え!悲しみの深き淵より」

2023-03-24 22:22:41 | 芝居
3月14日俳優座劇場で、ロバート・アンダーソン作「歌え!悲しみの深き淵より」を見た(劇団東演公演、演出:鵜山仁)。



1年前に妻キャロルを亡くしたハリーは、現在、カリフォルニアに住む医師ペギーと交際中で、結婚を考えている。
両親の家はニューヨーク州にあり、彼も近くに住んでいる。
姉アリスはユダヤ人との結婚をきっかけに、父に絶縁されている。
両親はハリーに何かと頼っているため、彼は、カリフォルニアに移住したいという気持ちを抑えつけている。
母は再婚を勧めてくれるが、頑固な父は、息子が遠くに移住することを認めようとしない。
そんな時、母が心臓発作で倒れる・・・。
(ネタバレあります)

母は社交的で、さまざまな会を主催したり関わったりしていたが、過去に何度も大病を患ったことがあった。
ハリーと母とは深い愛情で結ばれていた。
だが父は、過酷な生い立ちと、その後のがむしゃらな仕事、そして成功し、市長まで勤めた立身出世の過去を誇るあまり、頑固で頑なな性格。
息子は、そんな父親を否定せず、できる限り我慢して受け止めてやろうと努めている。

ハリーはあまりにも誠実で親思いの息子で歯がゆいくらいだが、姉アリスには本音をぶちまける。
曰く、知人たちは「いいお父さんだ」と言うが、みんな父の本当の姿を知らないんだ!わがままで自己中心的で・・。
母さんが死んだのも、そんな父さんのせいで・・。
姉は彼を慰め、「これからどうするか決めないと」「ペギーと結婚してカリフォルニアに住むべきよ」とはっきり言う。
母の死をペギーに知らせたか、とも尋ねるが、ハリーはペギーを自分の家族の問題に巻き込みたくないので電話することを躊躇している。
姉と弟は、父親と向かい合う。
アリスは父に、住み込みの家政婦を雇ったらどうか、と提案するが、案の定、父は言下に「何?その女と一緒に暮らすのか?
いらん!無理だ」「ハリーが週に1度か2度、来てくれれば」と繰り返す。
アリスが「ハリーは結婚したいのよ」と言うと、父は怒り、またしても、自分が働き続けてお前たちに着せ、食べさせてやった、
おれは今まで何千人もの人間を雇ってきたんだ、お前たち、そんなに人を雇ったことがあるか?と、話が妙な方向に展開していく。

父は最近、時々ぼんやりして忘れっぽくなり、それを人に指摘されると「ザル頭でな」と言ってはいるのだが。
父が「おれは元気だ、どこも悪くない」と言うと、アリスが「お父さん、立つ時、時々目まいがするでしょ?」
「そんなことあるもんか」と言いながら立ち上がるが、少しよろけてしまう(能登剛のよろけ方が、実に自然でうまい)。
結局父は、「おれはお前たちの世話にはならん!出て行け!」と言い放ち、寝室へ。

ハリーが父の寝室に入ると、父はパジャマ姿で片づけ中。
父の父親の写真を初めて見せてもらうハリー。母親のも。
父の母親は26歳で亡くなり、葬儀の日、出奔していた父親が突然戻って来ると、9歳だった彼は激怒して父親を追い返した。
その時から父は、弟妹を養うために働き続けた。誰も助けてくれなかった。
父親への憎しみは生涯続いた。
突然、父は「こんなはずじゃなかった。おれが先に逝くはずだったんだ」と妻の死を嘆く・・。

ハリーは声が良く、大学でグリークラブに入っていた。
家で彼が歌うと、母がピアノで伴奏したものだった。
父はそれを隣の部屋で聴くのが好きだったが、父が部屋に入って来ると、二人は音楽を止めるのだった・・・。

最後の最後に、息子はようやく父に対して本音を言う。
僕は母さんを愛してた。パパのことも愛したかった、と・・・。

老いてゆく父親を描いたフロリアン・ゼレールの戯曲「父」を思い出した。
もちろんだいぶテイストが違うが。

役者では、父トム役の能登剛がメチャメチャうまい!
頑固で厄介で、家族を困らせる父親を、見事に造形する。
今までどうしてこの人を知らなかったのか不思議だ。
しかも、80歳の役なのに、実はもうすぐ59歳だという!
評者はすっかり騙された。
今年度の最優秀男優賞は、この人で決まりかも。

原題は、I NEVER SANG FOR MY FATHER 。
心優しい息子の悩む姿、苦労人の父親の心情、いずれも普遍的で、翻訳劇とは思えない。
この日、劇場中が温かいもので満たされた感じがした。

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「ハムレット」

2023-03-18 09:26:58 | 芝居
3月6日世田谷パブリックシアターで、シェイクスピア作「ハムレット」を見た(翻訳:河合祥一郎、構成・演出:野村萬斎)。



父である先王の亡霊から死の経緯を知らされたハムレットは、その死を仕組んだ叔父クローディアスへの復讐を誓い狂気を装う。
この復讐計画により、ハムレットを慕うオフィーリアやその兄レアティーズ、王妃である母親ガートルードをはじめ、彼の周りの人々は
その運命の歯車を狂わせていく(チラシより)。
ネタバレあります注意!

今回、野村萬斎は戯曲を構成し直し、クローディアスと亡霊とを演じ、息子野村裕基がハムレットを演じる。
そのプレビュー公演の日に、若村麻由美のガートルードと、たぶんホレイショー役の采澤靖起目当てで足を運んだ(予想は当たった)。
構成というのでカットが多いかと思ったが、休憩を含めて3時間半かかるという。
ではしっかりやってくれるのかと期待したが・・・。

冒頭、「誰だ!」という言葉がこだまして何度も響き渡り、舞台から張り出した階段にハムレットが倒れている。
ここで早くもいやな予感。その後も、やたらと余計なことをつけ足し、肝心の原文のセリフはカットし・・。

亡霊は甲冑姿どころか能のお面と衣装をつけている。音楽も和(笛や太鼓)。
新王クローディアスと王妃登場。王は変な金の頭飾りをつけていて、それが和というより無国籍風で、実に奇妙だ。
二人の衣装も和風。妃は真紅。王は紫と赤。
王のしゃべり方は癖があって妙だが、亡霊の方は(同じ萬斎だが)悪くない。異形のものだからか。
ポローニアス役の村田雄浩がうまい(この人は墓堀り1も兼ねる)。コミカルで面白い。
彼はハムレットがオフィーリアに宛てた恋文を王と妃に読んで聞かせる時、思い切っておかしな読み方をする。

芝居の順序を変えたりしているので、所々矛盾している。つまり破綻あり!

劇中劇がいい。
座長(河原崎國太郎)が王と妃の二役をやり、黒子が衣装を半分つけたり脱がせたり着替えさせたりと慌ただしいが、
河原崎が声音を見事に変えるのでまったく問題ない。
  
 ~休憩~

<2幕>
クローディアスが一人神に祈るシーンでも、セリフをだいぶつけ加えている。これではもはや翻案ではないか。腹立たしい。
王妃の間の、いわゆる「クローゼットシーン」で、妃は白とブルーのドレス。
ポローニアスを殺した後のハムレットのセリフも、原文とだいぶ違う。
その後の追っかけっこを、軽快な音楽を流しながら長々とやる。かりにも人一人殺されたというのに、その神経が理解不能。

王宮前で、民衆が「レアティーズを王に!」と騒ぎ出した時、王は妃に状況を説明するが、同じセリフを二度繰り返したりして危なっかしい!
聞いていてハラハラドキドキ。プレビューだからか。

オフィーリア狂乱の場で歌われるのは、ちゃんとした歌でなく断片的なもの。
ここでもまたセリフが少し違う。

妃がオフィーリアの死を語る時、二階にオフィーリアが現れ、水に飲まれるシーンを表現する。

ホレイショーのところに船乗りが来てハムレットからの手紙を渡すシーンで、王宛ての手紙と王妃宛ての手紙も差し出す。
この2通を、なぜかそこに置いたまま二人は去り、王妃がそれを見つけて読むという場面がつけ加えられる。なにゆえ?

墓堀り二人が客席側に退場する時、口を覆って「飛沫が・・」とか時事ネタで笑いを取る。

決闘。途中で剣が入れ替わるはずが、なかなか替わらずドキドキ。
王妃は王がワインの盃に毒を入れる時、じっと見ている!なに?!
彼女はその盃を王の手から取って飲もうとし、王が止めようとすると真顔で「飲みます!」などと強く主張する・・なに?
彼女は自殺しようとしているのか??

ハムレットが「どうした、みんな、顔青ざめて」と言う時、それまで周りを取り囲んでいた廷臣たちは一人もいない。
それでは困るでしょうが!
彼が王に毒杯を突きつけて「飲め!」と言うと、王は周りを見回し、困ってニヤニヤし、「乾杯」と言って飲み、ハハハと笑いながら
階段を降り、倒れている妃のそばに近づいて自分も倒れる。
こんなカッコ悪いクローディアスは初めて見た。
ハムレットの死後、フォーティンブラスが軍を率いて来る。
そのシーンがまた、うんざりするほど長い。

主演の野村祐基は好演。声が父親そっくり。セリフの言い方もそっくり。
ただ、状況によって、もっと違う言い方もできるようになると、なおいい。

この日の演出には失望のひと言。
萬斎の演出・主演の「マクベス」を見たことがある(2010年3月)が、その時の自分のブログを読み返してみると、絶賛していた(笑)。
主に彼の声の美しさ、日本語の美しさを褒めていたのだが、萬斎はその時、戯曲を驚くほど大胆にカットしていた。
何しろたった5人で「マクベス」をやったのだから当然だが、そのため、芝居の筋にとって不可欠な要素すら無くなっていた。
たとえばマクダフ一家皆殺し。
あの事件がなかったら、マクベス夫人は気が狂うことはなかったかも知れないのだから、カットすることで芝居に無理が生じる。
その他、バンクォー殺しもない、フリーアンス省略、逃亡する王子たち省略、医師と侍女もいない。
これでは、この芝居のおいしいところ、深い味わいが、まるでなくなってしまう。
そして、ただひたすら魔女たちの存在を強調して、全体をそれで押し通している。
しかもラストでは、絶望しているはずのマクベスが「おれは明日を信じるぞ」と言う。
実は、これが一番いけないのだが。

この人がシェイクスピアのどこを面白いと感じているのか、が今回ようやく少しわかった。
今回も、亡霊が出てくるのが面白いと思ったのだろう。
それと、全体を和風にしたら面白かろう、オリジナリティが出せるだろうとも。
もちろん日本趣味を前面に押し出し、わが国の伝統とシェイクスピアを絡めたのは面白かったが。
幼い頃から日本の伝統芸能の中で厳しく育てられてきた彼は、神とか罪とか良心の呵責などという概念には、あまり関心がないのだろう。
シェイクスピアの芝居の根底には、そういうものががっしりとあり、そこを無視しては一番面白いところが抜けてしまうと思うのだが。
そこでは人間がこの世で経験するありとあらゆる感情、心情が描かれていて、見ている私たちも、それらを共に経験できるのだ。
それが観劇の醍醐味だろう。
例えば、クローディアスは悪い奴だが、彼だって、2008年に RSC でパトリック・スチュアートが演じたように、演じ方次第で胸が締めつけられるほど
観客の同情心をかき立てることもできるのだ。
だが萬斎にとっては魔女だの亡霊だのというのが演劇として面白いというだけのことのようだ。
まあ、何を面白いと思うかは、人それぞれだからかまわないが。
彼は、これを持って「世界に打って出る」と言っているようだが、少なくとも、順序を変えたために破綻しているところだけは直した方がいい。




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「ペリクリーズ」

2023-03-11 17:47:03 | 芝居
3月2日シアターχで、シェイクスピア作「ペリクリーズ」を見た(演劇集団円公演、翻訳:安西徹雄、演出:中屋敷法仁)。



過酷な運命にもてあそばれるペリクリーズの波乱万丈の物語。
ツロの王ペリクリーズはアンティオケの王女に求婚するが、父王と娘のおぞましい関係を見抜いて命を狙われる。
彼は国を忠臣に任せて旅に出るが、嵐で遭難し、ペンタポリスにたどり着く。その国の王が主催する槍試合に勝利した彼は王女サイサと結ばれる。
二人してツロに帰国する途中、またも嵐にあい、身重のサイサは船上で娘を出産するが命を落とし、ペリクリーズは泣く泣く妻を海に葬る。
だが棺はエペソスに流れ着き、貴族セリモンによってサイサは命を救われる。
ペリクリーズは船上で生まれた娘マリーナをタルソの太守夫妻に託し、一人ツロに帰国。
15年たち、太守の妻は美しく成長したマリーナを妬み、命を狙うが、マリーナは海賊に誘拐され、ミティリーニの女郎屋に売られてしまう。
だがマリーナは、その美しい声と説教で次々と客を改心させ、太守ライシマカスも彼女に心惹かれる。
娘との再会を待ちわびたペリクリーズは、娘が亡くなったと聞かされ、再び絶望の底へ突き落される。
憔悴した彼は、ライシマカスの計らいでマリーナと対面する。
互いの身の上話で親子と確信した二人は歓喜のうちに女神ダイアナに導かれ、エペソスの神殿に向かうとそこには・・・。

この作品は、1976年に演劇集団円が安西徹雄訳で日本初演した由。
パンフレットに地図を載せてくれたお陰で、ペリクリーズの長い旅の位置関係が初めてわかった。



上演前、会場にはリュートの奏でるバッハが流れた。それだけで夢見心地になり、期待が高まる。
装置:青い椅子と机がたくさんあるのみ。これらが船になったり、遺体を入れる箱になったり、墓になったりする。
衣装:全員揃いの海を思わせる青い服。男性は三つ揃いのスーツ。女性はワンピース。
踊りや動きが多い。場面転換ごとに、役者たちが前述の机と椅子を目まぐるしく動かす。
これには少々違和感を覚えた。シェイクスピアの芝居はセリフを聴いて楽しむものだと思うが、最近、視覚に訴える演出が多い。

語り手ガワ―役の藤田宗久は、初演時主役を務めた人だが、今回滑舌があまりよくない。
声も小さく、最前列にいた評者にも聞き取りにくかった。
この人は何度も見たことがあるが、これまでそう感じたことはなかった。残念。

暗殺者サリアード役の清田智彦がうまい(この人はライシマカス役も兼ねる)。
暗殺者が二人出て来るが、二人共、右手に真っ赤な革の手袋をはめている。それがわかりやすくて効果的。
ペンタポリスの漁師役の3人を、女性3人が演じるが、これがうまい。
ここの翻訳も面白いし、楽しい。

槍試合に出場する騎士たちは、長い槍を持つはずが、水道管のようなパイプを手に持って登場。奇妙だ。
死んだサイサが、死んだ後も舞台の奥や横に立っているのは変だ。やめてほしい。
セリモンがサイサを生き返らせると、サイサは台の上で立ち上がる。
目を開けてゆっくり上半身を動かすくらいがいいのに、激し過ぎる。
全体に、この演出家はリアリズムを好まないようだ。
ペリクリーズが赤子と乳母リコリダ(杉浦慶子)をタルソの太守夫妻に預けて帰国したところで休憩。

<2幕>
タルソの太守夫人ダイオナイザは乳母リコリダを絞め殺す!
戯曲では乳母は「急死」したとガワ―が報告するだけなので、ここは普通演じないところだが、今回ダイオナイザは思いっきり悪い女にされている。
まあ確かにそんなこともやりかねない女ではある。
そのダイオナイザ役を磯西真喜が好演(女神ダイアナも兼ねる)。

女郎屋の女将役の杉浦慶子もうまい!
マリーナ(古賀ありさ)が女郎屋の客3人を改心させるシーンは、セリフがないが、(たぶんオリジナルの)音楽を使ってうまくできている。
音楽と役者の動きが合っていて、楽しい。

船で、嘆きのあまり誰にも会おうとしないペリクリーズは、茶色い布をかぶってはいるが、その下は今までと同じパリッとしたスーツ。
マリーナに出会えて元気を取り戻し、「新しい服を用意してくれ」と言わねばならないのに変だ。
ここはやはりボロボロの服を着ていてほしいし、(二度とひげを剃らぬと誓ってしばらくたつのだから)ひげぼうぼうがいい。
マリーナが女郎屋に売られた時、着ていた服も、みんなと同じ青いワンピース。
「服もいいねえ」というセリフがあるのだから、ここも何とかしてほしい。
セリフと齟齬があるのは困る。

死んだと思っていた娘に会えたペリクリーズは狂喜して神々に感謝し、ふと「音楽が聞こえないか?」と言う。
評者の一番好きなシーンだが、今回ここで、それまで流れていた音楽がそのまま続く。これはどうだろう。
むしろ何もない方がいい。あるいは、それまで何も流れていなかったところに、かすかに霊妙な音楽が聞こえて来る、とか。

ペリクリーズの妻となる王女の名前はサイサ、タイーサ、セーザ、と翻訳によっていろいろ。
蛇足だが、チラシに「妻を失い、娘と生き別れ、狂気におちながら」とあるが、果たしてそうだろうか。
狂気におちてはいないと思うが。

役者はみなうまい。特にペリクリーズ役の石原由宇とサイサ役の新上貴美の熱演のお陰で、気持ちよく涙を流せた。
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「聖なる炎」

2023-03-06 16:01:08 | 芝居
2月28日俳優座劇場で、サマセット・モーム作「聖なる炎」を見た(演出:小笠原響)。



ロンドン郊外の大邸宅。第一次世界大戦後、新型飛行機の試験飛行中に墜落事故を起こし、半身不随となってしまった長男モーリス。
愛情溢れる家族や友人に囲まれて平穏に暮らしていたのだが、ある朝、彼は謎の死を遂げる。残された者たちの言葉の応酬から、信じがたい事実が
次々に明らかになり・・・(チラシより)。

ネタバレあります注意。

<1幕>
車椅子のモーリス(田中孝宗)と医師ハーヴェスター(加藤義宗)がチェスをしている。
母タブレット夫人(小野洋子)は刺繡をし、看護婦ウェイランド(あんどうさくら)は本を読んでいる。
そこに母の長年の友人リコンダ少佐(吉見一豊)がやって来る。
モーリスの弟コリン(鹿野宗健)は父の遺産の取り分をもらってグアテマラに行き、農園をやって成功していた。今は一時帰国中。
あと一か月で、またグアテマラに戻る予定。

モーリスの妻ステラ(大井川皐月)とコリンは、モーリスに勧められてオペラ「トリスタンとイゾルデ」を見に行ったが、夕食を取らずに帰宅。
ステラは感動して食べる気がしなくて、と言うが、ふらついて倒れ、皆心配する。

母はステラに、モーリスが半身不随になってからこれまで5年間、あなたが自分を犠牲にして尽くしてくれたことに感謝している、と言い出す。
ステラは、どうしてそんなことを言うのかと驚く。
ステラと二人きりになると、モーリスはどういうわけか興奮して「あの(事故の)時、死んでいればよかった・・」と言う。
僕たちに子供がいたら、とも。
皆が去ってコリンと二人になったステラは怯えながら言う。
「彼は私たちのこと、気づいたかしら」
「私たち、どうなるの・・どうしてあなたは私を愛したの・・どうして私はあなたを愛したの・・」(!)

<2幕>
翌朝、モーリスは死んでいるところを発見される。
看護婦が検死をして欲しいと医師に言い出し、医師と少佐は驚く。
その根拠を問われて彼女は答える。
睡眠薬の錠剤が瓶の中に5錠残っていたのに、今朝見ると空っぽになっていた。本人が取れないように棚の上に置いておいたから自殺ではない、と。
つまり誰かがモーリスを殺したというのだ。
二人は何とか彼女を説得しようとするが、うまくいかない。

何も知らないステラが入って来る。白いドレス姿。
モーリスは、自分が死んでも喪服を着ないでほしい、と言っていたらしい。
彼女は看護婦に向かって言う。
あなたはお姉さんが日本にいると言ってたでしょう?〇〇ポンドあげるから日本に行ってしばらくゆっくりして来たら?
すると看護婦は怒り出す。「そんな申し出を、私が受けると思いますか」

殺人だなんて、そもそも誰にも動機がないじゃないか、と言われると、彼女は「知らないんですか、ステラさんは妊娠してらっしゃるんですよ!」と爆弾発言。
皆、驚愕して固まる。
そこに女中が、食事の用意ができました、と知らせに来る。
医師が「食事できるわけないだろう」と言うが、母は一人落ち着いて、嫁ステラに手を差し伸べ、「行きましょう」と促す。
   
  ~ここで休憩~
<3幕>
ステラはコリンと二人だけになると、「私はやってない」と言う。
コリンは「本当なの?妊娠してるって」「どうして教えてくれなかったの」「教えてほしかった」
ステラ「あなたに迷惑をかけたくなかった。あと一か月もすればあなたはグアテマラに戻る。その後、医師にお願いして転地療養と称してどこかで産むつもりだった・・。」

看護婦は、ステラが妊娠を気づかれ、自分の立場が危うくなることを恐れてモーリスを殺害したと信じ、彼女を憎んでいるらしい。
ステラは彼女に「そんなに私が憎い?」そして思い切って言う、「あなたはモーリスを愛していた」
すると看護婦はすぐさま傲然と言い返す。「だから何?」
「そう、私は彼を愛していた。私にとってモーリスは子供であり友達であり・・神様だった・・」
「モーリスも知っていた。そんな私に憐れみを感じていた・・」

コリンがステラの肩を抱いて「父親は僕だ」と告白。
一同またも驚愕。看護婦も「あなたが!?」と驚く。

看護婦は、言うべきことを言ったから出て行く、と言う。
母はタクシーを呼ばせ、看護婦に語り始める。皆も聞いている。
「私は若い頃、結婚して2人の子供をもうけた後、ある男性を好きになりました。警察官で・・・」
少佐があわてて止めようとするが、彼女は構わず続ける・・。
「私は恋を諦めたけど、若い二人には諦めてほしくないの。性欲は健全なものよ」
ここで看護婦と母は性欲について議論する。

タクシーが来たという。皆がそろうと再び母が語り出す。
「事故の後、私はモーリスと約束しました・・・」

夫人は看護婦に優しく言う、「あなたはステラに嫉妬する必要はなかったのよ。人の心は矛盾だらけ。モーリスにもいくつかの心があった。
その内の一つは、間違いなくあなたのものだった」と。

久々にずっしりと見応えのある芝居だった。
ラストでは気持ちよくもらい泣きしてしまった。
役者はみなうまい人ばかり。
演出も(初めて見たので他と比較できないが)、優れていると思う。

嫁から見ると、あまりに出来過ぎた姑。
「あなたはまだ若い」「自分を犠牲にすることはないのよ」「自分を大切に生きるのよ」
嫁の不倫の相手が自分の息子だからということも、もちろんあるだろうけど。

翻訳について一点だけ。
「ハーヴェスター医師」とか「ウェイランド看護婦」とか、盛んに口にされるのが、何とも耳障りだ。
原文では「ドクター〇〇」と「ナース〇〇」だろうが、どちらも呼びかけの言葉として普通に使われる言い方だ。
だから日本語に直すなら、「先生」と「ウェイランドさん」の方がふさわしいと思う。

非常によくできた芝居。
1幕のラストシーンなど、まるで運命的な出会いをしてしまったトリスタンとイゾルデのようで、戦慄を覚えた。
一方、夫人と少佐とのくだりは実におかしい。
タイトルは何を意味しているのだろうか。
残念ながらよくわからない。いろいろ考えさせられる。

サマセット・モームがこんな戯曲を書いていたとは!
評者は昔々「月と六ペンス」を読んだだけ。
彼がゲイだったことも知らなかった。
物書きには本当にゲイが多い。

素晴らしい戯曲ではあるが、謎解きの要素が大きいので、他の芝居と違って、しょっちゅう見るものではないだろう。
今回、38年ぶりの上演というのももっともだ。
いつか、内容をだいぶ忘れた頃に、またぜひ見たい。






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