【2010年2月20日(土)】 旅行8日目(つづき)
昼食のピッザは皿からはみ出るくらい大きく、とてもひとりで食べられる量ではないと思ったが、パスタとサラダを合わせて、結局平らげてしまった。
さて、これからどちらに向かうか考える。ここから、西に行って「ナボーナ広場」とか「パンテオン」のある方向に行くか、それとも足を伸ばして、郊外に出て「アッピア街道」に行き水道橋でも見ようかと考える。でも、3時からの「クイリナーレ宮」の衛兵交代式を見ようと思ったら間に合わない。『交代式』より『水道橋』の方に興味があったが、ここは折れて妻の主張する「クイレナーレ宮」の交代式を選ぶ。
【 ローマ市街中心部 】
そうなると行き先が限定されてくる。「ヴェネチア広場」から「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」に向かう。
『記念堂』は遠くからでも目立つが、近寄るとその馬鹿でかさに驚く。
いつか「桃山御陵」に行ったとき、その敷地の広さと、それを祀り営々と守っていく人々の存在というか、そうしたことを営ませる力の源泉は何かと、感じるものがあったが、似たような感覚に襲われる。
《偉大な存在を祀る》表現のしかたは異なるが、イタリア国民にとっての「エマヌエーレ2世」はどんな存在かと考えさせられる。
日本でいえば『明治天皇記念堂』とも言える存在なのか?!
建てのもの中をひととおり見た後、裏手から『真実の口』のある「コメスディン教会」に向かう。前回の旅行では行けなかった所だ。
【真実の口】
「マルッチェッロ劇場跡」の横を通り、塔の聳える『教会』に近づくと、人の列。『真実の口』を見る(触る)ために待つ観光客の列だ。どうも、像の前で記念写真を撮るのに、お金を取って入場を制限しているようだ。30秒刻みくらいにペアの観光客が像のそばまで行ってポーズをとってシャッターを押しては次のグループと入れ替わる。その様子を、鉄格子の外から眺める。それで充分だ。
【広い運動場のような「チルコ・マッシモ」】
『真実の口』の教会から裏手にまわり、地下鉄の駅まで「チェルコ・マッシモ」を歩く。縦長の競技場の様な跡地で、緑の広場が伸びている。
広場の中程で、『ここはチェルコ・マッシモか?』と外国の女学生らしきグループに尋ねられる。こんなところで『日本人のオレに聞くなよ。』と思ったが、「そうだ。」と答えると、うれしそうに飛び跳ねて行ってしまった。
「チェルコ・マッシモ駅」から地下鉄B線に乗って「カヴール駅」まで戻り、そこから「クイリナーレ宮」まで歩くことにする。
【落書きだらけの地下鉄の車両】
その『地下鉄B線』だが、同じローマ市の地下鉄なのに『A線』と違って、どの車両も落書きだらけなのだ。『A線』の車両は比較的新しく、落書きも無いので、この違いは何なのかと思う。
「クイリナーレ広場」には3時前に到着。『交代式』準備をしているところだ。観光客も集まりはじめてくる。
『交代式』はたいそうなものだった。誰と誰が交代したか良くわからなかったが、高々数人の衛兵の交代のためにパレードが出て百人以上の兵士が30分以上掛けて広場を行進し、それを指揮官が見守る。ご苦労なことだ。
列の最後尾が建物の中に消えて式は終わった。建物の中庭からはまだかけ声が聞こえていたが。見物客もそぞろに解散していく。
と、1台の白バイがそばに止まり、運転していた警官は広場の仲間とおしゃべり。主のいない白バイと記念撮影をする。
【クイレナーレ宮の前で白バイと記念撮影】
間もなくその『主』が戻ってきて、軽く会釈してバイクにまたがる。にっこり笑ってカメラを構えるとポーズをとってくれる。サービス心旺盛だし気さくなのだ。日本の警察官には考えられない。なんせ、組合もスト権もあったというから。
【気さくでサービス精神旺盛な白バイのお巡りさん】
再び、「エマヌエーレ2世記念堂」を横から見て「トラヤヌスの市場」の前をとおり「フォロ・ロマーナ」に向かう。
添乗員から、『「コロッセオ」側の発券場はいつも人が一杯にならんで混雑するので「フォロ・ロマーナ」の入場口で券を買えば並ばないで済む』と教えてもらったので、そうすること。なるほど、すんなり入ることができた。「フォロ・ロマーナ」と「コロッセオ」は共通入場券で行けるのだ。
元来、私は「考古学」というのが苦手だ。土器やら住居跡の穴を確認して何がわかるというのか。断片をもってもっともらしい解説を聞くとどこまで本当か疑ってしまう。
建物や遺跡が残っていたらまだしも、ほじくり返した平面を見てもどれも同じに感じてしまい、それ以上興味がわかない。
【カエサル(シーザー)の銅像】
「フォロ・ロマーナ」の中を歩いていて、『ここで、古代ローマの政治が行われていたのだ。カエサルやアウグスティヌスがここを歩いていた』と思うと確かに感慨深いものがある。だが、そこまでだ。1つ1つの遺跡を念入りに見て回ろうとは考えない。その辺の雰囲気を漠然と感じるだけで良い。
しかし、『コロッセオ』は別だ。前回、外から眺めただけだったので、是が非でも中に入り、どんな風になっているかこの目で確かめたかった。折しも、トイレに行きたくなり、広い「フォロ・ロマーナ」の敷地の中でトイレを探しているうちに時間が過ぎる。
【夕方の「コロッセオ」-閉門時間で入れず】
4時を回り、人で一杯の「コロッセオ」の入場口に駆けつけると、もう『終了の時間』という。「そんな馬鹿な!」と思ったが、気を取りなして、チケットを示しながら係員に『明日、この券で入場できるか?』と尋ねると、ジェスチャーを交え『OK!』という。その言葉を信用して、明くる日、出直すことにするが、それでも未練がましく、芝に座り込み夕陽が迫りつつある「コロッセオ」をしばらく眺める。その時、ちょうど通りかったツアーの仲間に記念にと、シャッターを押してもらう。
まっすぐホテルに帰るには、まだ早すぎる。「コロッセオ」は閉まってしまったが、開いているところはあるはずだ。
夕食もどこかで食べないといけないが、ホテルにワインは残っているし、持ってきた保存食の食べ残しも少しある。駅で野菜とつまみを買って帰り、部屋で残りの食料を食べることにしよう。
「テルミニ駅」に行ってみることにする。「ミラノ中央駅」のあの雰囲気には負けるが、夕方の駅というのはいつ行っても哀愁がつきまとっているようでいいものだ。
止まっている列車と到着する列車、どこから来た列車か掲示板を見る。「ボローニャ」や「ミラノ」の文字がある。
【テルミニ駅で】
ひとしきり列車を眺めた後、駅前の広場を南西方向に行く。しばらく行くと「サンタマリア・マジョーレ教会」があるはずだ。
【人影のない「サンタ・マリア・マジョーレ教会】
教会の前の広場は、もうひっそりとしていて中にも入れなかった。ローマは教会がそこいら中にあるが、今朝回った美術館以外に思いあたる大きな美術館が思う浮かばない。フィレンツェの「ウフィッツ美術館」やウィーンの「美術史美術館」やパリの「ルーブル」、マドリッドの「プラド美術館」に相当する様な。
仕方ないので、ホテルに戻ることにする。
空を見ると月が浮かんでいる。ローマは夜景がきれいだ。月は日本のそれと同じはずだが、照明が日本のそれより情緒があるように感じるし、どぎついネオンが少ないこともあるのか。
【テルミニ駅近くの「サンタ・マジョーレ教会」の前で】
明日は、いよいよ最終日だ。
【つづく】
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昼食のピッザは皿からはみ出るくらい大きく、とてもひとりで食べられる量ではないと思ったが、パスタとサラダを合わせて、結局平らげてしまった。
さて、これからどちらに向かうか考える。ここから、西に行って「ナボーナ広場」とか「パンテオン」のある方向に行くか、それとも足を伸ばして、郊外に出て「アッピア街道」に行き水道橋でも見ようかと考える。でも、3時からの「クイリナーレ宮」の衛兵交代式を見ようと思ったら間に合わない。『交代式』より『水道橋』の方に興味があったが、ここは折れて妻の主張する「クイレナーレ宮」の交代式を選ぶ。
【 ローマ市街中心部 】
そうなると行き先が限定されてくる。「ヴェネチア広場」から「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」に向かう。
『記念堂』は遠くからでも目立つが、近寄るとその馬鹿でかさに驚く。
いつか「桃山御陵」に行ったとき、その敷地の広さと、それを祀り営々と守っていく人々の存在というか、そうしたことを営ませる力の源泉は何かと、感じるものがあったが、似たような感覚に襲われる。
《偉大な存在を祀る》表現のしかたは異なるが、イタリア国民にとっての「エマヌエーレ2世」はどんな存在かと考えさせられる。
日本でいえば『明治天皇記念堂』とも言える存在なのか?!
建てのもの中をひととおり見た後、裏手から『真実の口』のある「コメスディン教会」に向かう。前回の旅行では行けなかった所だ。
【真実の口】
「マルッチェッロ劇場跡」の横を通り、塔の聳える『教会』に近づくと、人の列。『真実の口』を見る(触る)ために待つ観光客の列だ。どうも、像の前で記念写真を撮るのに、お金を取って入場を制限しているようだ。30秒刻みくらいにペアの観光客が像のそばまで行ってポーズをとってシャッターを押しては次のグループと入れ替わる。その様子を、鉄格子の外から眺める。それで充分だ。
【広い運動場のような「チルコ・マッシモ」】
『真実の口』の教会から裏手にまわり、地下鉄の駅まで「チェルコ・マッシモ」を歩く。縦長の競技場の様な跡地で、緑の広場が伸びている。
広場の中程で、『ここはチェルコ・マッシモか?』と外国の女学生らしきグループに尋ねられる。こんなところで『日本人のオレに聞くなよ。』と思ったが、「そうだ。」と答えると、うれしそうに飛び跳ねて行ってしまった。
「チェルコ・マッシモ駅」から地下鉄B線に乗って「カヴール駅」まで戻り、そこから「クイリナーレ宮」まで歩くことにする。
【落書きだらけの地下鉄の車両】
その『地下鉄B線』だが、同じローマ市の地下鉄なのに『A線』と違って、どの車両も落書きだらけなのだ。『A線』の車両は比較的新しく、落書きも無いので、この違いは何なのかと思う。
「クイリナーレ広場」には3時前に到着。『交代式』準備をしているところだ。観光客も集まりはじめてくる。
『交代式』はたいそうなものだった。誰と誰が交代したか良くわからなかったが、高々数人の衛兵の交代のためにパレードが出て百人以上の兵士が30分以上掛けて広場を行進し、それを指揮官が見守る。ご苦労なことだ。
列の最後尾が建物の中に消えて式は終わった。建物の中庭からはまだかけ声が聞こえていたが。見物客もそぞろに解散していく。
と、1台の白バイがそばに止まり、運転していた警官は広場の仲間とおしゃべり。主のいない白バイと記念撮影をする。
【クイレナーレ宮の前で白バイと記念撮影】
間もなくその『主』が戻ってきて、軽く会釈してバイクにまたがる。にっこり笑ってカメラを構えるとポーズをとってくれる。サービス心旺盛だし気さくなのだ。日本の警察官には考えられない。なんせ、組合もスト権もあったというから。
【気さくでサービス精神旺盛な白バイのお巡りさん】
再び、「エマヌエーレ2世記念堂」を横から見て「トラヤヌスの市場」の前をとおり「フォロ・ロマーナ」に向かう。
添乗員から、『「コロッセオ」側の発券場はいつも人が一杯にならんで混雑するので「フォロ・ロマーナ」の入場口で券を買えば並ばないで済む』と教えてもらったので、そうすること。なるほど、すんなり入ることができた。「フォロ・ロマーナ」と「コロッセオ」は共通入場券で行けるのだ。
元来、私は「考古学」というのが苦手だ。土器やら住居跡の穴を確認して何がわかるというのか。断片をもってもっともらしい解説を聞くとどこまで本当か疑ってしまう。
建物や遺跡が残っていたらまだしも、ほじくり返した平面を見てもどれも同じに感じてしまい、それ以上興味がわかない。
【カエサル(シーザー)の銅像】
「フォロ・ロマーナ」の中を歩いていて、『ここで、古代ローマの政治が行われていたのだ。カエサルやアウグスティヌスがここを歩いていた』と思うと確かに感慨深いものがある。だが、そこまでだ。1つ1つの遺跡を念入りに見て回ろうとは考えない。その辺の雰囲気を漠然と感じるだけで良い。
しかし、『コロッセオ』は別だ。前回、外から眺めただけだったので、是が非でも中に入り、どんな風になっているかこの目で確かめたかった。折しも、トイレに行きたくなり、広い「フォロ・ロマーナ」の敷地の中でトイレを探しているうちに時間が過ぎる。
【夕方の「コロッセオ」-閉門時間で入れず】
4時を回り、人で一杯の「コロッセオ」の入場口に駆けつけると、もう『終了の時間』という。「そんな馬鹿な!」と思ったが、気を取りなして、チケットを示しながら係員に『明日、この券で入場できるか?』と尋ねると、ジェスチャーを交え『OK!』という。その言葉を信用して、明くる日、出直すことにするが、それでも未練がましく、芝に座り込み夕陽が迫りつつある「コロッセオ」をしばらく眺める。その時、ちょうど通りかったツアーの仲間に記念にと、シャッターを押してもらう。
まっすぐホテルに帰るには、まだ早すぎる。「コロッセオ」は閉まってしまったが、開いているところはあるはずだ。
夕食もどこかで食べないといけないが、ホテルにワインは残っているし、持ってきた保存食の食べ残しも少しある。駅で野菜とつまみを買って帰り、部屋で残りの食料を食べることにしよう。
「テルミニ駅」に行ってみることにする。「ミラノ中央駅」のあの雰囲気には負けるが、夕方の駅というのはいつ行っても哀愁がつきまとっているようでいいものだ。
止まっている列車と到着する列車、どこから来た列車か掲示板を見る。「ボローニャ」や「ミラノ」の文字がある。
【テルミニ駅で】
ひとしきり列車を眺めた後、駅前の広場を南西方向に行く。しばらく行くと「サンタマリア・マジョーレ教会」があるはずだ。
【人影のない「サンタ・マリア・マジョーレ教会】
教会の前の広場は、もうひっそりとしていて中にも入れなかった。ローマは教会がそこいら中にあるが、今朝回った美術館以外に思いあたる大きな美術館が思う浮かばない。フィレンツェの「ウフィッツ美術館」やウィーンの「美術史美術館」やパリの「ルーブル」、マドリッドの「プラド美術館」に相当する様な。
仕方ないので、ホテルに戻ることにする。
空を見ると月が浮かんでいる。ローマは夜景がきれいだ。月は日本のそれと同じはずだが、照明が日本のそれより情緒があるように感じるし、どぎついネオンが少ないこともあるのか。
【テルミニ駅近くの「サンタ・マジョーレ教会」の前で】
明日は、いよいよ最終日だ。
【つづく】
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