【 ヴァチカン市国のサンピエトロ広場 】
【 2010年2月19日(金)】 旅行7日目
前夜は、ローマ市内に入りレストランで食事だけを済ませ、郊外のホテルに向かい、チェックインを済ませると夜の10時を回っていた。
実際の観光は今日からである。
朝8時にホテル前を出発。まず向かうのは「ヴァチカン美術館・サンピエトロ寺院」である。サンピエトロ広場からいうと裏側となる右手のずっと奥にある美術館の入口からヴァチカンに入る。
そういえば、前回7年前のこと、自由行動で「ヴァチカン」を訪れたときのことを思い出す。地下鉄を降りて、方向がわからずどちらに行ったらよいか迷ったとき、やや通勤時刻から外れていたか、向こうから身なりの良い紳士が悠然と歩いてきたので、"バチカン博物館"への出口を尋ねた。
すると、その紳士は、はたと立ち止まり身体の向きを変え、こちらに正対すると、"バチカン"ではなく"ヴァチカン"だと何度も発音してみせる。こちらはそれをまねて"バチカン"と言い直すのであるが、首を横に振り、上歯で下唇をかむのだと指導してみせる。
こちらは開場前の時間に間に合わせようと焦っていたのだが、向こうはあわてもしないで、どうでもいい一外国人に発音の指導をしてくれる。その熱心さにつき合うこと数回を繰り返した後、ようやく合格点をもらえ、地下鉄の出口を教えてもらった。
いったいあのこだわりは何であったろうと今でも不思議に思う。
以前と同じように、博物館の入口はすでに行列ができていて、今回我々は団体入口から待たずに入れた。入場に際しても空港並みの持ち物チェックがあるのは前と同じである。
ガイドが建物の全体像を案内した後、順路に従って人混みの中を進んでいく。
【ヴァチカン美術館の長い通路状のギャラリー】
システィナ礼拝堂に至る、まっすぐの廊下に「タペストリーのギャラリー」やら「世界地図のギャラリー」が並んだ長い通路を、時折天上を見上げたり、来た方向を振り返ったり、両サイドの展示物に見入ったらり、あるいは時折立ち止まり説明を受けながら進んでいく。
前回訪れた「エジプト博物館」や「ラファエロの間」やら諸々の展示室には回らず、「システィナ礼拝堂」の方向に一直線に進むのみである。
だいたい、この「ヴァチカン」を一時間半で観ようということに無理がある。
「システィナ礼拝堂」内部は撮影が一切禁止だ。昨年訪れた鳴門の「大塚国際美術館」の『システィナ・ホール』を思い浮かべながら、天井画やら『最後の審判』をじっくり観る。
やはり、こちらは建物の構造と一体だからそこに描かれた絵画の存在感が違う。額に納まった一枚の絵とは別のものだと実感した。
システィナ礼拝堂を出て、サンピエトロ大聖堂に入る。やはり圧倒的に大きい。さすが、カソリックの大本山という威厳を感じる。
【サンピエトロ寺院内部】
しかし、1個の建造物としての迫力は「ミラノ大聖堂」の方が大きかったと思う。空に突き刺すように伸びる尖塔群。サンピエトロが正面の姿しか見せないのに対し、あらゆる方向からその姿が眺められる「ミラノ大聖堂」。
内部も、サンピエトロがあらゆるものを寄せ集めた『権力の誇示」に対し、「ミラノ」は圧倒的大きさ・包容力と整然とした美しさを兼ね備えている。
外観の美しさは、なんといってもフィレンツェの『花の大聖堂』である。
『ジョットの鐘楼』と共に、はじめて見たときの、《これぞ、イタリアの美の象徴》ともいうべき、あの衝撃は忘れられない。
「サンピエトロ大聖堂」の外に出て、広場からクーボラのある建物を振り返ると、皮肉なことに、利害の入り交じった《世俗の世界》を感じてしまう。
『花の大聖堂』の傍らにいるときのような清らかな気持ち、ではなくて。
昼食の時間である。広場をまっすぐ東に向かい、「サンタンジェロ城」の前まで来る。橋を渡り、城をバックに記念撮影をする。
前回は、訪れた時の自由時間に、夕闇迫る時刻に「サンタンジェロ城」に入った。
要塞のような、監獄のような異様な雰囲気と古色蒼然としたたたずまいから、ここで「ローマの休日」にあるような賑やかなダンスパーティーが催れた場所とは想像しがたかった。
今回は、昼間で子供用のアイス・スケートリンクが設けられていたり売店がでたりで、子どもや家族連れで賑わっている。
バスに乗り昼食会場の『長龍飯店』に向かう。中華である。パンとチーズとハムの世界に多少うんざりしていたので、助かった。中華料理は世界中どこに行っても、だいたいあるし、当たり外れも少ない。ご飯が食べられるのも良い。ただ、ここのご飯は日本のものとはかなりかけ離れていたが。
ともかく腹一杯食べられたて、満足。
再び、バスで移動。『トレビの泉』の近くでバスを下りて、後は徒歩での異動。
前回、『トレビの泉』周辺ではスリが多いので《要注意》と添乗員にさんざん脅かされ警戒したものだが、今回はリラックス。
【トレビの泉】
ジェラートをなめながら、『スペイン広場』に移動する。
【スペイン階段】
前回、この『スペイン階段』をみて、どんなに興奮したか。初めての海外旅行ということもあって、映画の中の世界が、現実に自分の目の前にあるということが信じられなかった。
あの興奮、再びである。失った写真を再度、取り直す。
その後、以前にもいった「ローマ三越」に案内され、そこで解散・自由行動となる。
時間は4時。『三越』で買い物をする趣味はない。夕食はフリーだったので、事前に「カンツォーネ・ディナー」を予約しておいた。その集合時間が6時なので、時間がある。近くの『タバッキ』で地下鉄券を購入し、再び『サンタンジェロ城』に行くことにする。
地下鉄を「レパント駅」で下りて、時間があまりないので、早足で『最高裁判所』の大きな建物を目指し、早足で歩く。裁判所の前の広場まで来ると、右手に『サンタンジェロ城』の姿が見えてくる。
城の内部は、やはり幻想的な雰囲気に満ちている。ここは、やはり夕暮れ時が似合っている。暗い建物の内部を上がって行き、屋上に出る。
【サンタンジェロ城から】
城塞のギザギザの壁の向こうに、テレベ川やサンピエトロの建物が映る。ローマにいるんだと実感する。
ずっと、その景色に浸っていたかったが、時間がない。地下鉄の駅に急ぐ。
何をあわてていたのか、「レプブリカ」で下りたら集合場所の『三越』は目の前で充分間に合ったのだが、1つ手前の「バルベリーニ」で降りてしまった。『ベネト通り』沿いの、近くに『骸骨寺』のある駅である。多少見覚えのある所なのと、次の駅まで距離にして500mもないから、歩いて行こうというのが、間違えだった。
ローマの街は東京同様、方向感覚が全くつかめない。気がついたら逆方向を歩いていて、結局タクシーで『三越」前に駆けつけた。集合時間を5分ほど過ぎていた。あと、2~3分遅れていたら見切り発車され、《置いてきぼり》になるところだった。参加者に謝り倒して、会場に向かう。
それがどうだろう、着いた会場が、さっき時間を焦って、地下鉄の駅に向かって歩いていた『サンタンジェロ城』のすぐ近くではないか。思わず、苦笑する。
【カンツォーネ・ディナーの会場】
『カンツォーネ・ディナー』の方は、狭い会場(単なるレストラン)に押し込められ、いかにも観光客用の副業をしているという感じの、ギターとアコーディオンとボーカルの3人グループが席の間だ移動しながら、演奏するというものだった。参加者は、ほとんど全員が日本人観光客。(中には中国人・韓国人もいたかもしれない。)
リクエストするのに1曲500円のチップが必要と、あらかじめ耳打されて、『乾杯の歌』をリクエストしたのだが、隣のグループの伯母さんは、悪のりして《チップなしに》どうでもいい曲を2曲もリクエストしていた。
チップなしでも、当然聞けると思っていた『オーソレ・ミオ』は、結局、演奏されず、聞けずじまい。
ナポリ民謡やらローマにはあまり関係ないヒット・ソングも歌い、確かに声は悪くはなかったが、やはり《ちゃち》っぽかった。
ひとり1万円も払うなら、もう少しましな料理や音楽が聴けたかとおもうが、やはり旅先である。
何かもの足りないないというか、すっきりしない『カンツォーネ・ディナー』だった。
【 つづく 】
【 2010年2月19日(金)】 旅行7日目
前夜は、ローマ市内に入りレストランで食事だけを済ませ、郊外のホテルに向かい、チェックインを済ませると夜の10時を回っていた。
実際の観光は今日からである。
朝8時にホテル前を出発。まず向かうのは「ヴァチカン美術館・サンピエトロ寺院」である。サンピエトロ広場からいうと裏側となる右手のずっと奥にある美術館の入口からヴァチカンに入る。
そういえば、前回7年前のこと、自由行動で「ヴァチカン」を訪れたときのことを思い出す。地下鉄を降りて、方向がわからずどちらに行ったらよいか迷ったとき、やや通勤時刻から外れていたか、向こうから身なりの良い紳士が悠然と歩いてきたので、"バチカン博物館"への出口を尋ねた。
すると、その紳士は、はたと立ち止まり身体の向きを変え、こちらに正対すると、"バチカン"ではなく"ヴァチカン"だと何度も発音してみせる。こちらはそれをまねて"バチカン"と言い直すのであるが、首を横に振り、上歯で下唇をかむのだと指導してみせる。
こちらは開場前の時間に間に合わせようと焦っていたのだが、向こうはあわてもしないで、どうでもいい一外国人に発音の指導をしてくれる。その熱心さにつき合うこと数回を繰り返した後、ようやく合格点をもらえ、地下鉄の出口を教えてもらった。
いったいあのこだわりは何であったろうと今でも不思議に思う。
以前と同じように、博物館の入口はすでに行列ができていて、今回我々は団体入口から待たずに入れた。入場に際しても空港並みの持ち物チェックがあるのは前と同じである。
ガイドが建物の全体像を案内した後、順路に従って人混みの中を進んでいく。
【ヴァチカン美術館の長い通路状のギャラリー】
システィナ礼拝堂に至る、まっすぐの廊下に「タペストリーのギャラリー」やら「世界地図のギャラリー」が並んだ長い通路を、時折天上を見上げたり、来た方向を振り返ったり、両サイドの展示物に見入ったらり、あるいは時折立ち止まり説明を受けながら進んでいく。
前回訪れた「エジプト博物館」や「ラファエロの間」やら諸々の展示室には回らず、「システィナ礼拝堂」の方向に一直線に進むのみである。
だいたい、この「ヴァチカン」を一時間半で観ようということに無理がある。
「システィナ礼拝堂」内部は撮影が一切禁止だ。昨年訪れた鳴門の「大塚国際美術館」の『システィナ・ホール』を思い浮かべながら、天井画やら『最後の審判』をじっくり観る。
やはり、こちらは建物の構造と一体だからそこに描かれた絵画の存在感が違う。額に納まった一枚の絵とは別のものだと実感した。
システィナ礼拝堂を出て、サンピエトロ大聖堂に入る。やはり圧倒的に大きい。さすが、カソリックの大本山という威厳を感じる。
【サンピエトロ寺院内部】
しかし、1個の建造物としての迫力は「ミラノ大聖堂」の方が大きかったと思う。空に突き刺すように伸びる尖塔群。サンピエトロが正面の姿しか見せないのに対し、あらゆる方向からその姿が眺められる「ミラノ大聖堂」。
内部も、サンピエトロがあらゆるものを寄せ集めた『権力の誇示」に対し、「ミラノ」は圧倒的大きさ・包容力と整然とした美しさを兼ね備えている。
外観の美しさは、なんといってもフィレンツェの『花の大聖堂』である。
『ジョットの鐘楼』と共に、はじめて見たときの、《これぞ、イタリアの美の象徴》ともいうべき、あの衝撃は忘れられない。
「サンピエトロ大聖堂」の外に出て、広場からクーボラのある建物を振り返ると、皮肉なことに、利害の入り交じった《世俗の世界》を感じてしまう。
『花の大聖堂』の傍らにいるときのような清らかな気持ち、ではなくて。
昼食の時間である。広場をまっすぐ東に向かい、「サンタンジェロ城」の前まで来る。橋を渡り、城をバックに記念撮影をする。
前回は、訪れた時の自由時間に、夕闇迫る時刻に「サンタンジェロ城」に入った。
要塞のような、監獄のような異様な雰囲気と古色蒼然としたたたずまいから、ここで「ローマの休日」にあるような賑やかなダンスパーティーが催れた場所とは想像しがたかった。
今回は、昼間で子供用のアイス・スケートリンクが設けられていたり売店がでたりで、子どもや家族連れで賑わっている。
バスに乗り昼食会場の『長龍飯店』に向かう。中華である。パンとチーズとハムの世界に多少うんざりしていたので、助かった。中華料理は世界中どこに行っても、だいたいあるし、当たり外れも少ない。ご飯が食べられるのも良い。ただ、ここのご飯は日本のものとはかなりかけ離れていたが。
ともかく腹一杯食べられたて、満足。
再び、バスで移動。『トレビの泉』の近くでバスを下りて、後は徒歩での異動。
前回、『トレビの泉』周辺ではスリが多いので《要注意》と添乗員にさんざん脅かされ警戒したものだが、今回はリラックス。
【トレビの泉】
ジェラートをなめながら、『スペイン広場』に移動する。
【スペイン階段】
前回、この『スペイン階段』をみて、どんなに興奮したか。初めての海外旅行ということもあって、映画の中の世界が、現実に自分の目の前にあるということが信じられなかった。
あの興奮、再びである。失った写真を再度、取り直す。
その後、以前にもいった「ローマ三越」に案内され、そこで解散・自由行動となる。
時間は4時。『三越』で買い物をする趣味はない。夕食はフリーだったので、事前に「カンツォーネ・ディナー」を予約しておいた。その集合時間が6時なので、時間がある。近くの『タバッキ』で地下鉄券を購入し、再び『サンタンジェロ城』に行くことにする。
地下鉄を「レパント駅」で下りて、時間があまりないので、早足で『最高裁判所』の大きな建物を目指し、早足で歩く。裁判所の前の広場まで来ると、右手に『サンタンジェロ城』の姿が見えてくる。
城の内部は、やはり幻想的な雰囲気に満ちている。ここは、やはり夕暮れ時が似合っている。暗い建物の内部を上がって行き、屋上に出る。
【サンタンジェロ城から】
城塞のギザギザの壁の向こうに、テレベ川やサンピエトロの建物が映る。ローマにいるんだと実感する。
ずっと、その景色に浸っていたかったが、時間がない。地下鉄の駅に急ぐ。
何をあわてていたのか、「レプブリカ」で下りたら集合場所の『三越』は目の前で充分間に合ったのだが、1つ手前の「バルベリーニ」で降りてしまった。『ベネト通り』沿いの、近くに『骸骨寺』のある駅である。多少見覚えのある所なのと、次の駅まで距離にして500mもないから、歩いて行こうというのが、間違えだった。
ローマの街は東京同様、方向感覚が全くつかめない。気がついたら逆方向を歩いていて、結局タクシーで『三越」前に駆けつけた。集合時間を5分ほど過ぎていた。あと、2~3分遅れていたら見切り発車され、《置いてきぼり》になるところだった。参加者に謝り倒して、会場に向かう。
それがどうだろう、着いた会場が、さっき時間を焦って、地下鉄の駅に向かって歩いていた『サンタンジェロ城』のすぐ近くではないか。思わず、苦笑する。
【カンツォーネ・ディナーの会場】
『カンツォーネ・ディナー』の方は、狭い会場(単なるレストラン)に押し込められ、いかにも観光客用の副業をしているという感じの、ギターとアコーディオンとボーカルの3人グループが席の間だ移動しながら、演奏するというものだった。参加者は、ほとんど全員が日本人観光客。(中には中国人・韓国人もいたかもしれない。)
リクエストするのに1曲500円のチップが必要と、あらかじめ耳打されて、『乾杯の歌』をリクエストしたのだが、隣のグループの伯母さんは、悪のりして《チップなしに》どうでもいい曲を2曲もリクエストしていた。
チップなしでも、当然聞けると思っていた『オーソレ・ミオ』は、結局、演奏されず、聞けずじまい。
ナポリ民謡やらローマにはあまり関係ないヒット・ソングも歌い、確かに声は悪くはなかったが、やはり《ちゃち》っぽかった。
ひとり1万円も払うなら、もう少しましな料理や音楽が聴けたかとおもうが、やはり旅先である。
何かもの足りないないというか、すっきりしない『カンツォーネ・ディナー』だった。
【 つづく 】