【前回のつづき】
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「祝卒業!パック旅行-わが家の北海道」-その5(最終回)
翌朝は、チェックアウトぎりぎりまで、いろいろな湯につかり、10時出発。きょうも晴。この日の一番の目的地は『夕張』。その前に『ウトナイ湖』に寄る。1時間もしないでウトナイ湖に着く。人と白鳥とカモの群れ。野鳥の聖域という静寂で神聖なイメージを持っていたが、想像していたのとちょっと違って、いやに世俗的だ。
暖かい日差しのなかで湖面にゆらゆら揺れていたのが、何を合図にか、カモがいっせいに飛び立つ時の勢いと羽の音。一瞬、何があったのかとこちらがびっくりする。大空を2~3回旋回したあと、再び湖面に揃って降りてくる。そんな様子を何度となく見ていると時の経つのを忘れる。
国道234号線にはいり、いよいよ夕張へ。夕張に近ずくにつれ胸が高鳴る。
夕張の炭坑事故が起きたのはいつだったか。『映画』の中でも事故が起こり、すすだらけの顔をした高倉健を倍賞千恵子が涙声で迎えるシーンがあったが、事故の報道を見た時にそのシーンがだぶった。それからしばらくして北炭夕張坑は廃坑になってしまったのだが、その後の夕張はどんなふうになっているのだろう。炭坑町は独特の雰囲気とたたずまいがある。
山間の街にそれを感じさせる風景が広がり、夕張が近いことを知らせる。と、黄色の四角の道案内が立っている。『幸福の黄色いハンカチ・想い出広場』とある。
ああー、やってきたんだ。その案内板の示す方に車をやる。映画のラストの方の音楽がかってに頑の中で響く。後ろの席から子供が
「あっ、あそこにもある。」
と、案内板の方を指さす。
「このシーンあったあった。ほらー、映画のと一緒。」
北炭の門の前を左にカーブし、正面の切り通しを左に迂回しながら上がっていく。坂を上り詰めた所で案内板にそってまた左に曲がる。
「それで勇さん、どっち?」
もうすっかり映画の中の登場人物になりきっている。左右を注意深くみながら進む。左手に変わった形の建物。
「あれ、銭湯じゃない。」と妻。
「違うよ。もっと大きかったよ。」とわたし。
また、子供が案内板を見つける。今度は矢印の代わりに『駐車場』とある。どこだろう。武田鉄也がやったように周囲をぐるっと見渡す。
「あれー、黄色いハンカチが。」
そういったのは、妻だった。
まさか映画と同じ黄色いハンカチを連ねて私達を迎えてくれるとは。映画でみるそれと同じ角度で、むかい側の山肌の木の緑をバックに黄色いハンカチがはためいているではないか。感動して見つめている傍らで、ゆずが袖をゆすって、
「うーちゃんが、いちばん初めに見つけたんだから。」と、きかない。
映画では風にふかれる萌え立つ緑の草が印象的だったが、今の地面は雪一色。駐車場からすねまで沈む道を踏みして『住居』へ行く。入り口には『島勇作』の表札。中にはセットがそのまま残してあり、役者を型どった人形がおいてあった。脇の部屋では『映画』のビデオを上映している。立って見ていたのが、椅子に腰をおろす。今、通ってきた道が画面の中に映し出される。クライマックスの30分位の所を真剣に見てしまった。周りを見ると家族全員が同じように見ていた。
広場は雪が深く足場が悪かったが、黄色い旗の前でパチリ。旅のクライマックスも終わった。
新しい大規模な娯楽施設もできていたが、後にする夕張はどことなく寂しげだった。
『岩見沢』から『道央自動車道』にのり『小樽』に着いたのは4時。
北海道ラーメンにこだわり、昼飯をまだ食べていなかった。市内をめぐつた後、ようやくラーメン屋を見つけ、遅すぎる昼食を取った。『北一ガラス』の装飾品の輝きも小樽運河の煉瓦の趣も、皆が空腹でどうしようもない時は、何も写らなかったに違いない。それから、どこをどうまわったか、再び夕闇迫る小樽運河に戻ってきたとき、街灯が浮き上がり、やけに情緒があった。小樽運河は夕方がいい。
6時半、『札幌厚生年金会館』に到着。
シャワーを浴びた後、さっそく外出準備。まだ時計は7時を回ったばかりで急ぐことばない。腹を空かせるのを兼ねて、歩いて『時計台』まで行く。長女と妻は「意外と小さいのね」と、感想を言う。
『すすき野』までタクシーに分乗する。あらかじめ調べておいた《お勧めの店》はいずれも日曜日で休みだった。曜日の事まで考えていなかった。近くの大衆的な店にはいる。まずビールとジュースとホッケを注文する。40cmもあろうかというのがボンと出てくるのだから、魚好きの都麦など感激してしまった。「イクラ井」、「男爵の○△」、「コーンの□◇」と各自好きな物を次々注文する。普段めったにありつけないものだから、「つくり」に「イカそーめん」等々、旨いうまいと食べる。1時間もしないうちに皆、満腹になってしまった。メニューをみるとまだ食べていないものもあるのだが、口だけが食べたくて、もう胃の中に入らない。もっと食べるかときくと、摩生も林太郎も降参という。どのくらい取られるのかと思ったら、締めて1万8千円弱。安い。外に出たら、ラーメン横町の看板が目にはいる。札幌にきてラーメンを食べない手はない。長男とわたしだけが注文する。他の4人は「ようやるわ」という顔でみている。さすがに食べた後、動くのが苦しい。その日はみんなホテルに帰るとゴロンと寝てしまった。
都麦はホテルの感触を味わえたのだろうか。
翌朝7時起床。あまり空いていないお腹で朝食をとる。そういえば、まだみやげを買っていない。大急ぎでチェックアウトをして、フロントの「朝市ではないから、まだ開いていないのでは」という言葉を無視し、『二条市場』に駆けつける。半開きの店に車を乗り付け、「ホタテの貝柱」と「氷下魚」と「するめ」、それに「ホッケのひらき」を家用に、その他十点程みやげ用に包み込み、小樽に急ぐ。9時15分乗船手続きを済ませ、ようやく落ちつく。
これから長いながい船旅が始まり、北海道ともお別れだ。甲板から見る小樽の街は印象的だった。
それまでの忙しい日程とは反対に退屈な時間が始まる。「さあ、これから敦賀に上陸するまでどうしよう」と、最初思ったのとは裏腹に、船中の時間も過ぎてしまえば結構楽しかった。
フェリーといえば、むかし四国に渡る時に感じた《あの耐え難い、窮屈で汗くさい、忍の一字》のイメージしか浮かばないわたしにとっては、むしろ楽しい経験となった。あわてる必要はないし、寝たければ専用のベッドで寝られるし、なんと言ってもあの風呂がいい。大きな窓からは、波が光る大海原の向こうに佐渡島らしき影も見える。船体がゆっくりと大きく揺れるにつれ、湯船の湯も傾き、あふれる。その中に身をおいて、されるがままに自分も揺られる。いつまでいても飽きはしない。
食事だけは時間をきめられ、内容が限定され、《捕らわれの身》のようで多少窮屈だったが、あれがもう少しリッチにできて、プールでもあったら3~4日いてもいいと思った。しかしそうなったら今度はお金の方が追いつかないであろうから、あれで分相応なのだろう。31時間、長いと思ったがその間、風呂に3回入り、映画を2本と『選抜の中継』を見せてもらい、本を3冊読んだ上に旅行のメモまで書かせてもらった。
子供達も狭い車内に閉じこめられることなく、船内を冒険したり、甲板で跳ね回った。ゆずには1時間ごとに『ゆずちゃん、あそぼ!』と部屋に訪ねてくる不思議な友達もできた。旅行に持っていく本など、わたしは最後まで読んだためしがないのに、休息までとれて、これなら明日からの仕事にも支障がない。そんなことを思うと、計画時の言い争いがうそのようだ。
まる1日がすぎ、さらに旅行最終日も終わろうとしている。甲板から敦賀湾を囲む山々を望みながら、今回の旅行は何だったのだろうと思う。
《もうこれで家族旅行は-少なくとも全員揃っての家族旅行はこれで最後かもしれない。》
考えてみればこの旅行も、わたしひとりが奔走し計画を練り、時間を気にし、道を間違えたといって悔やんではみても、所詮子供達にとっては、親の作った『パック旅行』だ。もう自分らで行ったらいい。そうだ、祝御卒業!家族旅行だ。
船は湾の奥へ奥へと進んで行く。予定より若干早く、4時30分敦賀入港。北陸・名神は通らず、国道367号線・鯖街道で6時京都の自宅に無事帰着。全走行距離2200キロメートル。総費用、51万7千円也。
【 終わり 】
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翌朝は、チェックアウトぎりぎりまで、いろいろな湯につかり、10時出発。きょうも晴。この日の一番の目的地は『夕張』。その前に『ウトナイ湖』に寄る。1時間もしないでウトナイ湖に着く。人と白鳥とカモの群れ。野鳥の聖域という静寂で神聖なイメージを持っていたが、想像していたのとちょっと違って、いやに世俗的だ。
暖かい日差しのなかで湖面にゆらゆら揺れていたのが、何を合図にか、カモがいっせいに飛び立つ時の勢いと羽の音。一瞬、何があったのかとこちらがびっくりする。大空を2~3回旋回したあと、再び湖面に揃って降りてくる。そんな様子を何度となく見ていると時の経つのを忘れる。
国道234号線にはいり、いよいよ夕張へ。夕張に近ずくにつれ胸が高鳴る。
夕張の炭坑事故が起きたのはいつだったか。『映画』の中でも事故が起こり、すすだらけの顔をした高倉健を倍賞千恵子が涙声で迎えるシーンがあったが、事故の報道を見た時にそのシーンがだぶった。それからしばらくして北炭夕張坑は廃坑になってしまったのだが、その後の夕張はどんなふうになっているのだろう。炭坑町は独特の雰囲気とたたずまいがある。
山間の街にそれを感じさせる風景が広がり、夕張が近いことを知らせる。と、黄色の四角の道案内が立っている。『幸福の黄色いハンカチ・想い出広場』とある。
ああー、やってきたんだ。その案内板の示す方に車をやる。映画のラストの方の音楽がかってに頑の中で響く。後ろの席から子供が
「あっ、あそこにもある。」
と、案内板の方を指さす。
「このシーンあったあった。ほらー、映画のと一緒。」
北炭の門の前を左にカーブし、正面の切り通しを左に迂回しながら上がっていく。坂を上り詰めた所で案内板にそってまた左に曲がる。
「それで勇さん、どっち?」
もうすっかり映画の中の登場人物になりきっている。左右を注意深くみながら進む。左手に変わった形の建物。
「あれ、銭湯じゃない。」と妻。
「違うよ。もっと大きかったよ。」とわたし。
また、子供が案内板を見つける。今度は矢印の代わりに『駐車場』とある。どこだろう。武田鉄也がやったように周囲をぐるっと見渡す。
「あれー、黄色いハンカチが。」
そういったのは、妻だった。
まさか映画と同じ黄色いハンカチを連ねて私達を迎えてくれるとは。映画でみるそれと同じ角度で、むかい側の山肌の木の緑をバックに黄色いハンカチがはためいているではないか。感動して見つめている傍らで、ゆずが袖をゆすって、
「うーちゃんが、いちばん初めに見つけたんだから。」と、きかない。
映画では風にふかれる萌え立つ緑の草が印象的だったが、今の地面は雪一色。駐車場からすねまで沈む道を踏みして『住居』へ行く。入り口には『島勇作』の表札。中にはセットがそのまま残してあり、役者を型どった人形がおいてあった。脇の部屋では『映画』のビデオを上映している。立って見ていたのが、椅子に腰をおろす。今、通ってきた道が画面の中に映し出される。クライマックスの30分位の所を真剣に見てしまった。周りを見ると家族全員が同じように見ていた。
広場は雪が深く足場が悪かったが、黄色い旗の前でパチリ。旅のクライマックスも終わった。
新しい大規模な娯楽施設もできていたが、後にする夕張はどことなく寂しげだった。
『岩見沢』から『道央自動車道』にのり『小樽』に着いたのは4時。
北海道ラーメンにこだわり、昼飯をまだ食べていなかった。市内をめぐつた後、ようやくラーメン屋を見つけ、遅すぎる昼食を取った。『北一ガラス』の装飾品の輝きも小樽運河の煉瓦の趣も、皆が空腹でどうしようもない時は、何も写らなかったに違いない。それから、どこをどうまわったか、再び夕闇迫る小樽運河に戻ってきたとき、街灯が浮き上がり、やけに情緒があった。小樽運河は夕方がいい。
6時半、『札幌厚生年金会館』に到着。
シャワーを浴びた後、さっそく外出準備。まだ時計は7時を回ったばかりで急ぐことばない。腹を空かせるのを兼ねて、歩いて『時計台』まで行く。長女と妻は「意外と小さいのね」と、感想を言う。
『すすき野』までタクシーに分乗する。あらかじめ調べておいた《お勧めの店》はいずれも日曜日で休みだった。曜日の事まで考えていなかった。近くの大衆的な店にはいる。まずビールとジュースとホッケを注文する。40cmもあろうかというのがボンと出てくるのだから、魚好きの都麦など感激してしまった。「イクラ井」、「男爵の○△」、「コーンの□◇」と各自好きな物を次々注文する。普段めったにありつけないものだから、「つくり」に「イカそーめん」等々、旨いうまいと食べる。1時間もしないうちに皆、満腹になってしまった。メニューをみるとまだ食べていないものもあるのだが、口だけが食べたくて、もう胃の中に入らない。もっと食べるかときくと、摩生も林太郎も降参という。どのくらい取られるのかと思ったら、締めて1万8千円弱。安い。外に出たら、ラーメン横町の看板が目にはいる。札幌にきてラーメンを食べない手はない。長男とわたしだけが注文する。他の4人は「ようやるわ」という顔でみている。さすがに食べた後、動くのが苦しい。その日はみんなホテルに帰るとゴロンと寝てしまった。
都麦はホテルの感触を味わえたのだろうか。
翌朝7時起床。あまり空いていないお腹で朝食をとる。そういえば、まだみやげを買っていない。大急ぎでチェックアウトをして、フロントの「朝市ではないから、まだ開いていないのでは」という言葉を無視し、『二条市場』に駆けつける。半開きの店に車を乗り付け、「ホタテの貝柱」と「氷下魚」と「するめ」、それに「ホッケのひらき」を家用に、その他十点程みやげ用に包み込み、小樽に急ぐ。9時15分乗船手続きを済ませ、ようやく落ちつく。
これから長いながい船旅が始まり、北海道ともお別れだ。甲板から見る小樽の街は印象的だった。
それまでの忙しい日程とは反対に退屈な時間が始まる。「さあ、これから敦賀に上陸するまでどうしよう」と、最初思ったのとは裏腹に、船中の時間も過ぎてしまえば結構楽しかった。
フェリーといえば、むかし四国に渡る時に感じた《あの耐え難い、窮屈で汗くさい、忍の一字》のイメージしか浮かばないわたしにとっては、むしろ楽しい経験となった。あわてる必要はないし、寝たければ専用のベッドで寝られるし、なんと言ってもあの風呂がいい。大きな窓からは、波が光る大海原の向こうに佐渡島らしき影も見える。船体がゆっくりと大きく揺れるにつれ、湯船の湯も傾き、あふれる。その中に身をおいて、されるがままに自分も揺られる。いつまでいても飽きはしない。
食事だけは時間をきめられ、内容が限定され、《捕らわれの身》のようで多少窮屈だったが、あれがもう少しリッチにできて、プールでもあったら3~4日いてもいいと思った。しかしそうなったら今度はお金の方が追いつかないであろうから、あれで分相応なのだろう。31時間、長いと思ったがその間、風呂に3回入り、映画を2本と『選抜の中継』を見せてもらい、本を3冊読んだ上に旅行のメモまで書かせてもらった。
子供達も狭い車内に閉じこめられることなく、船内を冒険したり、甲板で跳ね回った。ゆずには1時間ごとに『ゆずちゃん、あそぼ!』と部屋に訪ねてくる不思議な友達もできた。旅行に持っていく本など、わたしは最後まで読んだためしがないのに、休息までとれて、これなら明日からの仕事にも支障がない。そんなことを思うと、計画時の言い争いがうそのようだ。
まる1日がすぎ、さらに旅行最終日も終わろうとしている。甲板から敦賀湾を囲む山々を望みながら、今回の旅行は何だったのだろうと思う。
《もうこれで家族旅行は-少なくとも全員揃っての家族旅行はこれで最後かもしれない。》
考えてみればこの旅行も、わたしひとりが奔走し計画を練り、時間を気にし、道を間違えたといって悔やんではみても、所詮子供達にとっては、親の作った『パック旅行』だ。もう自分らで行ったらいい。そうだ、祝御卒業!家族旅行だ。
船は湾の奥へ奥へと進んで行く。予定より若干早く、4時30分敦賀入港。北陸・名神は通らず、国道367号線・鯖街道で6時京都の自宅に無事帰着。全走行距離2200キロメートル。総費用、51万7千円也。
【 終わり 】
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