令和2年3月3日(火)
雛 祭 : 雛人形
3月3日 雛祭、もともと中国の古俗に三月上巳
(初めての巳の日)、または重三(三月三日と三
が重なる)に、水辺で禊を行ったところから来た。
現在の様に三月三日の雛祭が盛んになったのは、
近世以降の事で、徳川綱吉の時代(1690~1709年)
といわれる。
それ以前、元和寛永(1615~1644年)の頃、後水
天皇が座右に人形を置いて愛好したことが公家の
社会に広まり「寛永雛」という美しい雛が作られ、
この時代の雛人形は現在も「名古屋市徳川美術館」
で、雛祭の季節(1カ月間)に展示されている。
また、一般世間には「享保の雛」の様な手の込ん
だ雛が作られる様になり、幕府から嗜侈(しゃし)
を禁ずる「お触れ」が出た。
この三月三日は「桃の節句」ともいわれる。
桃は古来より邪気を祓う仙木とされ、古くは三月
上巳の日に宮中で「桃の花」を浮かべた酒を飲む
風習があった。 これが一般にも広まり行われる
様になった。現在では雛を飾り、白酒や雛菓子を
供えて、雛飾りの前で食事を楽しみ遊ぶ春の伝統
行事として定着していった。
最近では「七段飾り」を飾りつけるのが大層な事
で、雛の出し入れ(ひな人形、小物等の道具)が
面倒で、また場所を取るために敬遠される。
手狭な各家庭では七段飾りより、夫婦雛(対雛)
だけを飾る家が多くなった。
我が家でも、娘が生まれた頃には毎年七段飾りを
部屋一杯に、一日掛かりで飾りご近所の子等が
集まったが、娘が高学年になると自分の部屋が
と、、、、止めてしまった。
今では孫娘には、夫婦雛を用意している。
あの、七段飾りはご近所にあるカミさん仲間
のクラフト教室の居間に、毎年夫婦雛だけを
飾り付けている。
我が家では、カミさん手作りの雛(紙の雛、
卵の殻の雛、吊るし雛)を眺めて居る。
紙の雛、
卵の殻の雛、
吊るし雛
今夜は、ちらし寿司と貝の澄まし汁を、、、
今日の1句
現世の寂しき貌の紙の雛 ヤギ爺