令和2年3月20日(金)
春分の日 : 彼岸の中日
二十四節気の一つ。太陽の黄経が零度となる。
太陽が真東から昇って真西へ沈む日で、昼と夜
の長さがほぼ等しくなる。この日を境にして、
昼の方が夜より長くなっていく。
春分の日を中日として、その前後三日づつの
計七日間を彼岸という。
その間、寺や墓に詣でたり、寺院では「彼岸会」
の法要が行われる。
我が家では例年,この日は墓参をし、牡丹餅を供
え食べる、、、習慣の様になっていた。
先日(16日)夜遅く、私の長姉が亡くなったと
の知らせが在った。
自宅で子供達が見守る中、食事を一、二口を
与えて暫くすると、、、急変し息を引き取った
との事である。
明くる日、「3月19日は友引の為、葬儀をず
らし、3月19日を通夜、3月20日を葬儀と
します」との知らせがある。
私の家族は戦時中の「産めよ増やせよ」の時代
6人兄弟の大家族で在った。
一番末っ子の弟が中学2年の1月に交通事故で
亡くなり、突然の訃報に両親は悲嘆に暮れた。
その後、、、他の兄弟、姉妹は伴侶を迎えて
伴に子を授かる。
両親もホットしたのか、或る年の夏に父親が、
後を追う様に母親が年の瀬に亡くなった。
皆、夫々の子供達も成長し、やがて伴侶を迎
へ、夫々の生活も落ちつき、、、、
夫々が少し老年期を迎えたこの10年の間に
先ず、私の2歳年上の姉がなくなり、数年後
家族の支えとなって居た、長兄が亡くなった。
4年前、私の直ぐ下の弟が亡くなった。
そして昨夜、長姉の通夜を執り行い、本日葬
儀の日を迎えた。
とうとう、私一人が残されてしまった。
よくよく考えてみれば、一番親不孝であった
私が残ったのは、両親が「お前は未だ未だ
未熟で苦労が足りない、今少し修行を、、」
との事なのかも知れない。
私自身は「もう充分、、これ以上何も良き事
のないこの世に余り未練はない」と、思って
居るのだが、、、、、
今日の1句
お彼岸や父母の許へと姉の逝く ヤギ爺