令和2年9月12日(土)
お弁当
先日、向田邦子さんの著書「海苔と卵と朝めし」という
エッセイを読んだ。
海苔と卵と朝めし:向田邦子著
向田邦子さんは幼少期、父親の仕事柄転勤が多く、何度も
引っ越しを余儀なくされた。
その影響で、全国各地の様々な土地で多くの体験をされ、
都度、色々なその土地の食べ物に纏わる思い出がある。
それらは、大人になってからも忘れられない味となり、
エピソードとともに心に残っている様だ、、、、、
この本には、その頃の各土地での体験と食べ物の味、、
当時の生活を思い出させる一つ一つの物語がある。
中でも「お弁当」という記述が、当時の貧しい世相が伴に
現代に通ずるものがある。
日の丸弁当、
目刺し弁当、
「自分が中流であると思っている人が91%を占めると
いう。 この統計を見たとき、私はこれは学校給食の影響
だと思った。 毎日一回、同じものを食べて大きくなれば
そういう世代が増えて行けば、そう考える様になって無理
はないという気がした。
小学校の頃、お弁当の時間というのは、嫌でも自分の家の
貧富、家族の愛情というか、かまって貰っているかどうか
を考えない訳にはいかない時間であった。
豊かなうちの子は豊かなお弁当を持ってきた。家が大きく
ても親がかまってくれない子は、子供にそう判るおかずを
持ってきた。 時々お弁当を持ってこない子も居た。
「忘れた」「おなかが痛い」と、二つの理由を繰り返して
その時間は教室の外へ出ていた。
お茶の当番の時、先生にお茶をつぎながら、先生のおかず
を覗いた。 先生のにもあまり大したものは入っていなか
った。 子供達の事を考えて、殊更つましいものを詰めて
こられたのか、それとも薄給だったのか、、、、
私がもう少し利発な子だったら、何よりも政治、経済、社
会について、人間の不平等について学べた時間であった。
残念ながら私に残っているのは、思い出と感傷である。」
鮭、卵焼き、ウインナー、、今の定番、、
最近では、学校給食は当たり前の時代であるが、
先の新聞記事に「学校給食費が払えない児童がよく在る。
彼らは給食の時間になると、黙って教室を出るという、、
格差社会が激しく、親と居ても給食費を払えない子が多く
なった様である。 コロナが広がり、職を失う貧困家庭が
益々増えて、給食費どころかその家のその日の食事も、、
ボランテアを休止している所も在るそうな、、、、、
皆、中流のうたい文句に踊らされるが、現実には非正規
雇用ばかりが増え、200万円に届かぬ家庭も多く、、
そういった人達が真っ先に首を切られる、、、、
格差社会、、これも政治の貧困のなせる業、、、、、、、
早くも「菅首相」に期待されるが、寄ってたかって選挙
に担ぎ、自分(何もせぬ)自身の保身(選挙に勝つ)が
見え見えである、、、本当にこの国は大丈夫、、、、?
今日の1句
淋しさに只じつと耐へ秋の風 ヤギ爺