令和3年3月25日(木)
春の小川
長い冬から解放されて伸びやかに流れる川、
地方によっては雪解けの水が滔滔と音を立てて流れる
のも、如何にも春らしい感じがするものである。
水の音から春は来るとさえ思え、冬の終りを告げる
希望と喜びの音とも受け取れる。
春の川とは、待ちに待った季節の移り変わりが顕著に
現れるもにのである。
岸に膨らむ猫柳、芽柳などが川面に映え、いよいよ春
の到来である。
シンガーソングライターで作家の合田道人さんの著書
「童謡の風景」に、春の小川の歌詞・解説が在った。
春の小川
作詞 : 高野 辰之、作曲 : 岡野真一
戦後の歌詞
1)春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
2)春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたで泳ぎ
あそべあそべと ささやきながら
戦前の歌詞
1)春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
のおいめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如し
2)春の小川は さらさら流る
えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたに出でて
あそべあそべと ささやく如し
3)春の小川は さらさら流る
歌の上手は いとしき子ども
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如し
詩の解説
東京五輪で消えた情緒。私が住む東京都渋谷区代々木
にこの歌の碑が建てられている。
春の小川の歌碑(代々木八幡駅付近)
碑には、こう歌詞が刻まれている。
「春の小川はさらさら流る」え、確か私は「さらさら
行くよ、、、」と学校で教わったはずだが。
そう、現在は「行くよ」なのだが。1912年(大正
元年)、この歌が初めて教科書に載った時には「流る」
として発表されていたのである。 然し、文語体だった
唱歌を戦時中に日常会話に書き直すという事になり、
「流る」は「行くよ」に変わった。
今では都会のど真ん中ともいえるこの場所に。その当時
には実際に「河骨川」という小川が流れていた。
だが、今ここに川は存在しない。小川は何処へ行ったの
か? 代々木と言えば、1964年(昭和39年)に
開かれた東京オリンピックの競技場が在った場所。
此処に選手村が建設されることになった。
川は地下水路にされ、「春の小川」は姿を消していった
のだった。 河骨川は渋谷の田園地帯を流れた宇田川の
支流であった。 東京オリンピック開催のため区画整理
のために、埋め立てられた。
小田急線の「代々木八幡駅」の近くに、「春の小川」の
歌碑がある。(合田道人著:童謡の風景より)
先の東京オリンピック(昭和39年)開催の頃に、私
(ヤギ爺)は、下北沢の寮に住んで居た。私の友人が
代々木八幡駅近くのアパートに住んで居り、よく此処
を訪ねた。
この場所から代々木の競技場が見渡せ、休日には其処
まで散歩し、渋谷の街へ出かけた、、、
5年ほど前、東京を訪れ、新宿から小田急線に乗り、
代々木八幡、下北沢を訪ねたが何処にも当時の痕跡は
見当たらない、、、、、
代々木八幡駅付近(昔は木造の、、、)
今日の1句(俳人の名句)
春の川きらりきらりと失念す 夏井いつき