「Yakkoだより」

お菓子のこと、わんこのこと、おいしいもの、そして今日のハッピーを書き綴ります。

裁判員制度

2009-05-23 13:06:28 | 今日のできごと
通勤の車の中で、CDを聞くのが楽しみな毎日だったけど、

最近、車のプレイヤーの調子が悪くて、ラジオを聞いています。

で、昨日、ラジオで言っていました。

「裁判員制度」のこと。

これには、私も、疑問が山とあるのだけど、なんとなく所詮、人ごとのような気がして(人ごとではない!)、まだピンときてないんですよね。


昨日も書いた海外ドラマ「ミディアム」で、ちょっと、そんな場面が出てきたんですよ。

実在する霊能力者アリソン・デュボワは、検事局に勤めていたんだけど、職を失い、弁護士事務所で働くことになるのです。

そこで、言われた言葉。

「依頼人(容疑者)が、たとえ真犯人だったとしても関係ない。われわれは、勝つ(無罪に持ち込む)ことだけを考えればいいんだ」

アリソンは、真犯人を弁護することはできないと考えるし、真犯人が無罪になってはいけないと考える。

それで、葛藤するわけだけど・・・。

今言いたいのは、そのことじゃなく、そこで、どう陪審員の心をつかんで、無罪に持ち込むか、打ち合わせをするシーンがあるの。

裁判をシュミレーションしながら、依頼人の言葉ひとつひとつにチェックをいれる弁護士。

たとえば、「絶対、わたしはやってないっ!!」と、依頼人(容疑者)が言うと、

「『絶対』という言葉は陪審員に、『強固な意志の持ち主』と思われてしまうので、言ってはいけない」・・・というように。

敏腕弁護士は、どうやったら、陪審員に「この人に殺人はできそうもない」と思わせるか・・・というテクニックを持っている。

聞く人の感情に訴え、事実より、情に負けるように仕向ける。

そして、素人である陪審員(善良な市民)は、コロリと騙される。

結果、公正な裁判ではなく、ただ踊らされた陪審員が、有罪か無罪か判決を下す。

まるで、マーケティングみたい。

いかに消費者に、買わせるか。

あるマーケティングの言葉に、「良い商品」が売れるのではなく、「良い商品と思われる商品」が売れる・・・というのを聞いたことがある。

これは、すごい言葉だなぁ~と、その時、驚いた。

それと、同じじゃないかなぁ。

有罪か、無罪かという真実より、有罪と思われるか、無罪と思われるかってことが真実になるってことだから。

これは、天と地ほども違う。

恐ろしいことですよね。

果たして、素人(善良な市民)である私たちは、そんな誤魔化しに騙されず、本当の真実を見ることができるのかしら!?

時として思う。

もし、野球や、ボクシングや、オリンピックなどスポーツの審判を、素人に行わせるって法律ができたら、

ファンは、おこるだろうなぁ~って。

私みたいな、スポーツ音痴の人間が、審判として駆り出されたら、

ものすごく、ヤジられそう・・・

「ひっこめ~っ!!ボケナスっ!!!」なんて、ヤジじゃ済まないと思う。

なのに、罪を裁くという、もっともっと重大なことを、素人がやっていいのだろうか?

そして、その重責に耐えうる精神力を持った人が、はたして、何パーセントいるのかしら?

そう思うと、怖い。

もう、施行された裁判員制度。

正常に運営されるためには、私たちは、何を考えたらいいんだろう?