雨が降っています。
朝の散歩は、お休み。
ラジオ体操だけは、いつも通り。
これだけは、休んだことがない。
ヨガも、日に何度となく(寝室にマットを敷きっぱなし)
気持ちの良いポーズで、身体を緩めています。
子供の時って、
関節も筋肉も、柔軟で、痛みのないのが当たり前だけど、
年と共に、
固くなり、動きにくくなり、時に痛みが出る。
「若くなくては」なんて思ってはいないけど、
できるなら、自分の足で歩き、自分のことは自分でできる期間を
少しでも長く保ちたいものね。
そのためには、できる努力はしなくっちゃ。(笑)
今朝、朝の身支度をしていて、
ワイドパンツを履く時、
片足立ちになった途端、フラフラとよたりました。
あれ、片足立ちができない?と感じ、
ヨガマットの上で、やってみました。
まぁ、どうしましょう、ヨタヨタ、フラフラして、
何秒とカウントできないくらいの情けなさ。(笑)
何度挑戦しても同じ。
よし、これからは、片足立ちも、ルーティンに加えよう。(笑)
ずっと、若いつもりで生きてきて、
なんでも出来ると、いつも思ってきて、
夢や希望が溢れるほどあったのに、
母の介護を通して、
人の一生の儚さを、痛感しました。
強くて、元気で、誰よりもパワフルだった母の晩年は、
「出来なくなったこと」に対する「怒り」や、
その後の「諦め」
始終、付き纏っていた「苛立ち」がありました。
そんな母が、かわいそうでたまらず、
どうやって母の気持ちを穏やかにしてあげられるだろう?と、
そればかり考えていました。
そして、
母の肉体は、骨になり、煙になって、消えていった。
人の一生って、なんだろう?
何十年も生きてきて手に入れた人間関係も、尊厳もプライドも、
地位も名誉も、幻のようなもの。
幻に一喜一憂しながら、生きていくのが、
人の一生なのだろうか?
何事も成さずとも、
無名で、ちっぽけな存在でもいいじゃない。
感謝の気持ちを忘れず、小さな幸せに気付ければ、
「いい人生だった」と、思えるのではないかな。
母が、寝たきりになり、
会話も不自由になった頃、
「いろいろ、ありがとう」と、私が言うと、
「こちらこそ、ありがとう」と、か細い声で言ってくれた母の言葉が、
私の宝になっています。
そして、
私の心に、永遠の命になって、生き続けています。
お盆で、帰ってきていたからかな、
母のことを思い出すことが多くなっているここ数日です。
とりとめのない文章になってしまいました。
失礼しました。