京都には歴史を偲ぶ町並み、心が癒される町並みというのがある。その中の一つ、上賀茂神社の南に賀茂社から流れ出る明神川に沿って、石垣を積み、白い土塀で囲った家が30軒余り続く。これらは同神社の神官らが住んだ屋敷(社家)で、風格のある家並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、唯一、数寄屋造の西村家別邸(錦部家旧宅)(料金:500円)が公開されており、社家の内部をうかがうことができる。このような町並みは、近隣では滋賀県近江八幡市や比叡山麓の坂本、岐阜県の郡上八幡、さらに遠くは山口県の津和野なども観光名所として知られている。
さて、上賀茂神社は京都市街の最北部、賀茂川にかかる御園橋の北東部にある。下賀茂神社(下社)に祀る玉依姫命の子、別雷神を祭神とする。上・下社を「賀茂社」と総称することもあり、賀茂氏の祖神を祀ったと考えられている。創祀は不明だが、社伝では天武天皇6年(678)に社殿を造営したと伝えられている。正式には賀茂別雷神社という。
上賀茂に社家集落が形成されたのは室町時代と言われる。上賀茂神社では、古くは賀茂氏人の中から社務職を選んでいたが、鎌倉時代以降は、後鳥羽天皇の長子と言われる氏久の系統につながる家々がこれを独占することになる。松下・森・鳥居大路・林・梅辻・富野・岡本の賀茂七家が、明治時代までは神主、禰宜(ねぎ)、祝(はふり)・権禰宜・権祝など九職を務めることになっていた。そしてそれらに携わる人々が社家町を形成して集住した。
神社境内を流れる清流「ならの小河」は、百人一首の藤原家隆の歌にある「風そよぐならの小河の夕暮れは ……」で「ならの小河」は上賀茂神社境内では「楢の小川」、境内をでると「明神川」と名を変える。神官たちはこの川の水で、神道の「禊(みそぎ)」行っていた。それは屋敷に引き込んだ明神川の水をかぶって身を清めた。
道路の北側の屋敷もまた社家なのだが、明神川に沿ってないだけに、川の水が利用できず、庭園は枯れ山水として造られていた。
現在、明神川沿いに見られる風格ある石橋・土塀や門、切り妻造りの棟の低い主屋、土塀の奥に見える緑豊かな樹木等、これらは全て社家と社家町を象徴する貴重な歴史的遺産となっており、その中に西村家別邸がある。錦部家の旧邸(現在は西村家別邸)は現存する社家の中では最も昔の面影をとどめる庭園が残っており、養和元年(1181)上賀茂神社の神主(現在の宮司)藤本重保が作庭したといわれている。
また、「賀茂七家」に数えられていた社家も健在で、現主屋の建築年代は不明であるが、天保9年(1838)頃にはほぼ現在の形になっていたと思われる。「賀茂七家」のなかでは現存唯一の遺構であり、昭和61年市文化財に指定された。
各家の中庭にはこの川より水が引きいれられており、母屋は流れに面して建ち、緩やかに弧を描く石橋が渡され、優雅な風景を作り出している。近くに杜若の群生地がある大田神社、沼地植物そして冬鳥の飛来地ともなる深泥池などもあり、そこに至る山裾の家並も落着きがある。道路は車の通行が多いが、明神川の水音が絶えずしていて、気分が落ち着く。
参考文献:「京都府の歴史散歩中」(山川出版社/山本四郎著)、「歴史の町並み事典」(東京堂出版/吉田桂二著)など他。
所在地:京都市北区上賀茂中大路町。
交通:京都市営地下鉄北山駅4番出口、市バス4系統で11分、上賀茂神社前下車徒歩3分。JR京都駅から市バス9系統で約27分、上賀茂御薗橋下車徒歩8分。
さて、上賀茂神社は京都市街の最北部、賀茂川にかかる御園橋の北東部にある。下賀茂神社(下社)に祀る玉依姫命の子、別雷神を祭神とする。上・下社を「賀茂社」と総称することもあり、賀茂氏の祖神を祀ったと考えられている。創祀は不明だが、社伝では天武天皇6年(678)に社殿を造営したと伝えられている。正式には賀茂別雷神社という。
上賀茂に社家集落が形成されたのは室町時代と言われる。上賀茂神社では、古くは賀茂氏人の中から社務職を選んでいたが、鎌倉時代以降は、後鳥羽天皇の長子と言われる氏久の系統につながる家々がこれを独占することになる。松下・森・鳥居大路・林・梅辻・富野・岡本の賀茂七家が、明治時代までは神主、禰宜(ねぎ)、祝(はふり)・権禰宜・権祝など九職を務めることになっていた。そしてそれらに携わる人々が社家町を形成して集住した。
神社境内を流れる清流「ならの小河」は、百人一首の藤原家隆の歌にある「風そよぐならの小河の夕暮れは ……」で「ならの小河」は上賀茂神社境内では「楢の小川」、境内をでると「明神川」と名を変える。神官たちはこの川の水で、神道の「禊(みそぎ)」行っていた。それは屋敷に引き込んだ明神川の水をかぶって身を清めた。
道路の北側の屋敷もまた社家なのだが、明神川に沿ってないだけに、川の水が利用できず、庭園は枯れ山水として造られていた。
現在、明神川沿いに見られる風格ある石橋・土塀や門、切り妻造りの棟の低い主屋、土塀の奥に見える緑豊かな樹木等、これらは全て社家と社家町を象徴する貴重な歴史的遺産となっており、その中に西村家別邸がある。錦部家の旧邸(現在は西村家別邸)は現存する社家の中では最も昔の面影をとどめる庭園が残っており、養和元年(1181)上賀茂神社の神主(現在の宮司)藤本重保が作庭したといわれている。
また、「賀茂七家」に数えられていた社家も健在で、現主屋の建築年代は不明であるが、天保9年(1838)頃にはほぼ現在の形になっていたと思われる。「賀茂七家」のなかでは現存唯一の遺構であり、昭和61年市文化財に指定された。
各家の中庭にはこの川より水が引きいれられており、母屋は流れに面して建ち、緩やかに弧を描く石橋が渡され、優雅な風景を作り出している。近くに杜若の群生地がある大田神社、沼地植物そして冬鳥の飛来地ともなる深泥池などもあり、そこに至る山裾の家並も落着きがある。道路は車の通行が多いが、明神川の水音が絶えずしていて、気分が落ち着く。
参考文献:「京都府の歴史散歩中」(山川出版社/山本四郎著)、「歴史の町並み事典」(東京堂出版/吉田桂二著)など他。
所在地:京都市北区上賀茂中大路町。
交通:京都市営地下鉄北山駅4番出口、市バス4系統で11分、上賀茂神社前下車徒歩3分。JR京都駅から市バス9系統で約27分、上賀茂御薗橋下車徒歩8分。