「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

1月最後の太鼓練習

2025年01月19日 21時27分08秒 | 和太鼓
1月2回目練習。
 持ち曲をほぼおさらいし、課題の「枚方風情くらわんか船」を録画、併せて飛龍三段返しのイントロなし・「転禍招福息災延命」の掛け声なしでの入り方を後々のために録画保存する。
 「枚方風情くらわんか船」をYouTubeにアップするつもりで録画したが、なんだか楽しくなさそうなパフォーマンスになっていたのでこの曲らしくないためアップはまだ先に延ばす。浮かれ気分のパフォーマンスができないとこの曲の掛け合いの面白さが表現ができない。
 練習が終わり太鼓を積み終わるとサプライズが・・・
 愛車のお別れ式をしてくれた。皆さん有難う。目頭が熱くなってしまいました。「ガイヤの夜明け」ではありませんが、わが愛車トヨタ「ガイヤ」も勤めを終えてホットしているだろう・・・。












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宇治市植物公園

2025年01月18日 10時06分45秒 | 四季の花
ドライブを兼ねて宇治植物公園へ行った。
 この時期、撮るものはないが蝋梅が見ごろなはずと山茶花くらいだ。スノードロップとミニシクラメンが一輪二輪とヒイラギの花が咲き始めていた。




































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「鎮魂の日」阪神淡路大震災30年

2025年01月17日 22時00分29秒 | 日常のこと&写真
「鎮魂の日」
 阪神淡路大震災から今年で30年迎え、私の退職後30年目となる。
 その時、私は姫路市に単身赴任していた。お正月明けということもありその日、妻がたまたま私に会いに来ていた。
 火曜日午前5時46分、ドーンという地鳴りと同時に眠りこけていた私の身体が突き上げられて宙に浮いた。家が激しく揺さぶられ、「家が崩れる」と叫んだかと思うと、妻の手を取り「由紀子、由紀子はどうした」と見まわした。いるはずがない、娘は楠葉なのに。頭を布団で覆いながら優子をかばった。随分長い時間揺れていたように感じた。そして咄嗟に娘に電話を掛けた。幸い回線が混乱する直前だったので娘と繋がった。無事だった。マンションも大揺れしサイドボードからテレビも落下し茶碗類も散乱したという。
 頭のパニックも治まり冷静さを取り戻した私と妻、無事であったことにホットした。すぐに帰宅の用意をさせ駅へ送ろうと車を走らせたが鉄道は動かない。高速道路は倒壊し国道2号線も入れず、止むを得ず山越えとなる丹波篠山へと抜けデカンショ通りを亀岡へと走った。JR亀岡から汽車で京都へと向かわせ、私は亀岡から再び姫路へと戻ったが、車は大渋滞、大混乱で姫路へ戻ったのは夕刻近かった。
 神戸支社のことが気になったが行くに行けず、1週間ほど心配ばかりしていた。姫路港からメリケン波止場までの船便が開通し、神戸支社の支援に向かった。そのとき、あまりの悲惨さに本社報告のための写真を撮るのも被災者の方々に気が引けるほどだった。それから震災の支援と後始末がどうにか治まった9月末、私は会社を辞めた。その春、3月末で退職するため退職届を出していたが震災の始末の目途がつくまで待ってくれと社長に依頼されその責務をはたすため延ばしていた。神戸の従業員、お客様の中にも亡くなられたかたもいた。
 17日は大震災のほかに、若くして亡くした弟の命日でもある。今日この日はお線香をあげ鎮魂の時を送る日としている。
 会社勤め30年目の出来事で、また退職してから30年も経った、30年という年月に何か因縁がありそうだ。











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ちょっと早めの誕生日ランチ

2025年01月16日 18時39分29秒 | 日常のこと&写真
 車があるうちにということで誕生日ランチを早めにした。
夫婦ともども誕生日に行くところは毎年決まっていて、招堤元町にある「レストラン西本」へ。ここの創業当時(1996年9月)から行っていて、昔は創作料理「厨華」という店名だったが呼称を変えたようだがオーナーは代わっていない。
 フレンチと中華の創作料理で一品一品のボリュームが少ないので腹具合に程よかった。若者には物足りないかもしれないが。今日は材料が高騰していることもあるのだろうか、気持ち量が少なく感じたし、前菜も内容が変わっていた。前回は妻の誕生日で夏場だったが、その時よりもやや少なめで野菜の内容も。ご飯ものは炒飯にした。三口くらいで食べ終わる量だがむしろ丁度よい。
 だが味は落ちておらず好みで口当たりがよい。最後のオードブルがプチケーキと飲み物(われらはブラックコーヒー)で、プチケーキもワンランク上だと食べ放題となるが糖尿病になってからというもの4個コースのランチにしている。
 誕生ランチ、めでたし愛でたしであった。
 帰宅してからベランダの盆栽と花の手入れをして、Amazonプライムビデオ、新・女検事「霞 夕子 空白のアルバム」を見ていた。














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朝目覚めたら新しい自分がある「一瞬懸命」

2025年01月15日 21時33分59秒 | 朝目覚めたら新しい自分がある
朝目覚めたら新しい自分がある
「一瞬懸命」

  一年に四季があるように人生においても移り変わる時がある。その時々において心が揺れ動き、時には走り、時には立ち止まり、喜び、泣き、惑うことがあるものです。この人生の時々において生きがいをもってたくましく生きて行けるかどうかが問題なのだ。人の生き方に三つのタイプがあるが、あなたはどのような生き方をするのだろうか。
(1)いつかある日の生き方をする人
 「待ちぼうけ」という歌があるが、野良仕事をしていたお百姓さんの前に兎が跳んできてうっかり木の切り株に足をとられひっくり返ってしまった。お百姓さんは思いがけない獲物を手にするのです。それからというもの兎が切り株に足を奪われる日を待って過ごすようになるのです。いつか兎がやってきて切り株に足を奪われるかどうかもわからない、その「いつかある日」を待ち続けるのです。その日が来ることもない日のために無駄な時をただ待つのです。そして「今度やる」「その内やる」その日が来ることかせない「いつかある日」の生き方をするのです。
(2)明日に望みを託す
 アメリカの南北戦争を舞台に、スカーレットとバトラーの愛と葛藤を描いた不屈の名作「風と共に去りぬ」、そのラストシーンは感動的でした。
 ビビアン・リーの演ずる南部女性の気高き生きざまに感動を覚えずにはいられない。何もかも失ったスカーレットが紅に燃える空、荒廃した大地にたたずみ「私にはタラがある。だから明日に望みを託して生きていこう」と叫ぶのです。愛する子を失い夫からも捨てられ、すべてを失ったスカーレットが明日に託して生きようと決意する名場面でした。「明日に望みを託す」この生き方は希望を失わずの力強さを感じるものでした。
(3)すべてはこの瞬間にある
 日本曹洞宗の開祖である道元が次の言葉を残している。
「只今日今時ばかりと思ふて時光を失わず、学道に心いるべきなり」
 この言葉の意味を鎌田茂雄著「正法眼蔵随聞記講話」(講談社学術文庫刊)に、「学道はこのただ今の一瞬に賭けることである。ただ今の一瞬に命を賭ければ、今日もなく、昨日もなく、明日もない。それは不断であり、常であり、急ぐこともない」と解説している。
 人の一生というものは一瞬一瞬の刹那の時の流れであり、過ぎた一瞬はもはや過去であり、次の一瞬の未来は知る由もない。だから今この一瞬がまさに生きている証であるのです。いま鼓動の響きを感じる、この刹那に生きるすべてを賭けることが大切である。すべてはこの一瞬に賭ける生き方をする人。
 あなたはどのような生き方をするのだろうか?
 いつも宿題を先延ばしにして「いつかやる」「今度やる」と考えて目標のない生き方をするのでしょうか。それとも「今日のことはこれでいい。明日また頑張ろう」このような考え方を持つのでしょうか。あるいは「明日のことは分からない。今確かに生きているこの時にすべてを賭けよう」。このような生き方をするのでしょうか。
私があなたにお勧めしたいのは、生涯に通じるこの時を大切にして与えられた現在、与えられた仕事、一所を懸命に生き、この時この瞬間、トクトクと血の流れを感じる今、この瞬間に生き様を賭ける「一瞬懸命」という気概を持って頂きたいとそう願っています。
 時の始まりはいつもこの瞬間であり刹那である。いつかある日、明日に望みを託すでは遅すぎるのです。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」という事態が起こりうるかもしれません。沢庵和尚の不動智神妙録に「間髪を入れず」とあります。手と手をはっしと打ち合わせる瞬間、髪の毛一本も入れる間もない間に決断せよと言っている。
一瞬懸命の生き方というのは、チャンスの時の決断のために例え瞬時の時でも疎かにするな、目を離すな、気を抜くなという心構えであり、そのためには一つひとつの時の流れを大切にしてやるべきことはやり、すべき準備はし、打つべき手は打っておかねばならない。
 ビジネスマンとして成功願望を抱くとすれば、精魂込めて時計の秒針が時を刻むようにコツコツコツコツと努力を積み重ねなければなりません。一瞬懸命に気力をもって闘わねば願望は夢ときえるでしょう。それが道元がいう「・・・それは不断であり常であり、急ぐこともない。急ぐこともできない。坦々として一瞬一瞬を行ずるしかない」といった教えである。


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14日の土竜打ちの思い出

2025年01月14日 18時51分22秒 | 日常のこと&写真
七草粥も過ぎ、しめ縄、松飾を外しそれらを焼いて天に奉ずる「どんと焼き」が14日から15日に各地で行われる。この14日に「もぐら打ち」という子供たちの行事が農家を中心に行われる。私の子供時代のことだったが、その行事がいまだに行われているというのでうれしくなった。農家では野菜の根を荒らす「土竜(もぐら)」というのは嫌われ者。それを追い払う行事が1月14日にある。
 私たちのころはこんな歌を歌いながら地べたを叩くのだ。
「本年正月14日のモグラ打ちモグラ打ち、モグラ打って祝いましょ。鶴は千年 亀は万年 お前の父(とう)さん万万年、モグラ打っていわいましょ お前の母さん臆万年 めでたいなぁ めでたいなぁ モグラ打って祝いましょ」
 長い竹の竿の先に藁を巻き、縄で縛りつけたモグラ叩き竿でパターンパターンと子供たちが一斉に叩きつける。冬眠しているモグラが驚いて退散するという謂われがある。
 各地で歌の文句が異なり、土地の方言で歌っている。
 私が住んでいた地域は三菱鉱山の広大な社宅で、丘の頂に所長宅や副所長宅、そして部課長宅が40棟ほどあり、丘を下がると係長や主任、そして平社員と続き、丘を囲むように鉱員長屋が密集する。
 私たちの住んでいた丘の上の一帯は転勤族だったことから、ほとんどの世帯で標準語が使われていた。そんなところから「モグラ打ち」の歌い文句も標準語が使われていた。そして私の受け持ち地区はその40棟ほどを縄張りとされていた。
 各家を訪ね周りモグラ打ちをすると、お菓子やお餅、そしてお金がお礼としてもらえるというので正月のお年玉の次にお小遣いが稼げるのだ。一人10円以下と主婦会で取り決めされているのでそれ以上もらえることはなかったが、まだキャラメルが「銭」の単位で円ではなかったので、10円は嬉しいお小遣いだ。それが40軒ほどだから400円となり、今でいうと子供のお小遣いとしては大金だった。
 父の肩をもんで10円のお駄賃で喜んでいた時代なのだが、それでも多いと云えば多いお駄賃。
 あの当時の佐賀県多久市の三菱鉱山(現三菱マテリアル)は閉山となり跡形もない。わが中学校も取り壊されて無くなった。



           現在も行われている土竜打ちの


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成人式はたちの集い祝賀太鼓演奏

2025年01月13日 18時33分50秒 | 和太鼓
今日は第76回成人式はたちの集いが開催され、わが太鼓チームは祝賀太鼓を演奏、新成人の門出を祝った。
 我々が成人式で祝賀太鼓を演奏するようになったのは2007年1月からだった。この年から式典を各学校区で開催するように変更され、各地区単位で式典を運営するようになった。そしてアトラクションとして開会時に西中学校吹奏楽部の演奏、閉会時にわがチームが祝賀太鼓を演奏するこことなった。ということから今年で18年(4年間コロナ禍で中止)目となる。すっかり地元に根付いた感がある。
 残念なのは新成人の人数が年々減ってきているような感じだ。少子化の影響なのだろうか。
 今日の演奏は7分51秒でほぼ予定通りだった。
 新成人をはじめ主催者の皆様からも大きな拍手を頂き、晴れ舞台のふさわしい演奏を有難うございましたと感謝の言葉を頂き、また主催者の教育委員会主査から演奏のお礼と合わせて段取りの良さを高く評価され自分としてはこの上ない喜びだ。
 短い時間だったのだがすべてが終わり帰宅するとガクッときてしまった。あ~~ぁこれが歳ということか、とつくずく思った。18年前は活力にあふれていたなぁーーーと、時の流れを実感した。
 演奏はみな良く頑張ってくれた。緊張した面持ちも見えたが活き活きと打ち込んでいた、ピッチの狂いもなくややアップテンポで若者向けとなりラップでも聞くかのように新成人たち弾んでいた。拍手もわく場面では消音的に小さく手を叩いてくれていた。
 始まる前まで退屈そうにあくびをしていた男性、演奏が始まると食い入るように聞き入ってくれた。「よっしゃ!!」と心の中で喜んだ。
 メンバーたちと新成人たちをみながら喜んでいる自分が居た。










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成人式祝賀太鼓練習

2025年01月12日 21時07分13秒 | 和太鼓
今日は太鼓の初練習。
一か月振りとなるが明日、成人式で祝賀太鼓を演奏することからその演目の練習。そして持ち曲のおさらいを。
 参加者があいにく少なく8名となったが、会場でのセッティングの予行演習もしたが持ち時間7分40秒としていたが、セッティングで少し時間を取られ20秒ほどオーバーしてしまい、テンポをアップテンポで演じるようにする。
 久しぶりのせいか妻も疲れたとイビキをかいて寝ている。
私も夕食前に転寝してしまった。久しぶりに大声を出したせいか声がガラガラになってしまった。明日が本番、声がでるようにしておかねば。蜂蜜湯を飲んだ・・・。
 太鼓を積み込んで、メンバーの皆さんが私の車の労をねぎらってくれて「お世話になりました」という気持ちを込めて車が主役の記念写真を撮ってくれた。この車で3台目、太鼓のために買った車だがよく頑張ってくれた。来週日曜日の練習でラストランとなる・・・。最初の車から約30年、太鼓活動のためよく働いてくれた車たちに「感謝」


















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「雪が降る」・・・猫は炬燵で丸くなる

2025年01月10日 11時07分23秒 | 日常のこと&写真
天気予報の通り雪が舞った。
天王山颪の雪だろうか・・・
 雪が降ると「犬は喜び庭かけまわり」ではないが、ウキウキ勇んでカメラバックを担いで雪景色を撮りに出かけたものだが、昨今は何でか気持ちはあっても腰が重くなり「猫は炬燵で丸くなり」である。
 窓越しにマンションの子供広場に降る雪を撮っただけ・・・


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「鏡の中の自分」

2025年01月09日 10時03分18秒 | 朝目覚めたら新しい自分がある
朝目覚めたら新しい自分がある
「鏡の中の自分」

 鏡は心を映すもの、魂が宿るものと言われてきました。ですから曇りのないように磨いていたものです。また鏡は神の象徴として古来より祀り上げられてもきました。
鏡を自らの心を映すものとしてみるとき、どのような自分の顔を見ることができるでしょうか。我の強そうな顔を映しているでしょうか、それとも慈愛に満ちた顔を映しているでしょうか。
「かがみ」という言葉の真ん中の「が」の字を取り除いてみてください。なんという言葉になるでしょうか?
 「かがみ」という言葉から「が」、つまり「我」を取れば「かみ」、そう「神」のいう字になるのです。「我を取る」それは自我を捨てた心、人の喜びを自らの喜びとすることができる思いやり慈しみの心でもあるのです。
あなたは人に好かれたい、愛されたいと願うことはありませんか、もしそう願うのであれば、「されたい」という気持ちを捨てることです。
 「何々をしてもらいたい」「何々をして欲しい」これは自我の思いです。「されたい」「してほしい」と願うのであれば、あなたが人に「してあげる」ことが大切です。宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩にあるように、「東に病気の子供あれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲を背負い・・・」。この人を思いやる心を宿らせることです。見返りを求めない人を思いやる気持ちを持つことができたら、人間関係をとても豊かにしてくれるでしょう。
 昨今「心の時代」と云われているが、真の心の時代とは人のことを思いやる、人のために心を砕くことであって、人をないがしろにして自分の願望をかなえるためではないのです。


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