遅く訪れた灼熱の夏が居座ったまま、彼岸も近づいたというのに衰える気配がない。書斎には長時間こもることから、冷房病にかかることを避けるためクーラーをあえて設置していないため、額に背中にと汗がにじむ。仕事に区切りがついた午後2時、自然の涼風をもとめてふらりと宇治の興聖寺を訪ねた。
宇治は源氏物語全54帖の最後の10帖の舞台となり、「宇治10帖」(第45帖・橋姫から第54帖・夢浮橋まで)として薫の君と匂の宮と浮舟を中心とした恋物語が描かれている。
宇治川の流れを右に見ながら歩を進めると宇治神社、恵心院を過ぎ小橋を渡れば当寺の名を刻んだ大きな石柱が目につく。朽ちかけた山門をくぐると総門までなだらかな傾斜のある参道。この参道は「琴坂」と呼び親しまれてきた。
脇を流れる谷川が琴の音色に聞こえるということからそう呼ばれるようになったそうだが、誰ひとりとして、その琴の音を楽しみながら参道を上がっていく様子は見られない。参道の両脇から楓が覆い、秋はそれは見事な紅葉が楽しめる。春は桜、特に5月のヤマブキは、宇治12景に数えられるほどの美しさだ。
当寺は「仏徳山」と号する曹洞宗の寺で、道元禅師によって1236年に開祖。当初は伏見深草にあったものだが荒廃し、1649年、当時の淀城主の永井尚政によって宇治7名園の1つ「朝日茶園」であった場所に再興した。境内の奥にある天竺堂には、宇治十帖古跡の「手習の杜」に祀られていた「手習観音」が安置されている。
所在地:京都府宇治市宇治山田27-1
交通:京阪電鉄宇治駅から徒歩10分、JR宇治駅から徒歩20分。
このルポは3年ほど前の夏に行ったもの。
宇治は源氏物語全54帖の最後の10帖の舞台となり、「宇治10帖」(第45帖・橋姫から第54帖・夢浮橋まで)として薫の君と匂の宮と浮舟を中心とした恋物語が描かれている。
宇治川の流れを右に見ながら歩を進めると宇治神社、恵心院を過ぎ小橋を渡れば当寺の名を刻んだ大きな石柱が目につく。朽ちかけた山門をくぐると総門までなだらかな傾斜のある参道。この参道は「琴坂」と呼び親しまれてきた。
脇を流れる谷川が琴の音色に聞こえるということからそう呼ばれるようになったそうだが、誰ひとりとして、その琴の音を楽しみながら参道を上がっていく様子は見られない。参道の両脇から楓が覆い、秋はそれは見事な紅葉が楽しめる。春は桜、特に5月のヤマブキは、宇治12景に数えられるほどの美しさだ。
当寺は「仏徳山」と号する曹洞宗の寺で、道元禅師によって1236年に開祖。当初は伏見深草にあったものだが荒廃し、1649年、当時の淀城主の永井尚政によって宇治7名園の1つ「朝日茶園」であった場所に再興した。境内の奥にある天竺堂には、宇治十帖古跡の「手習の杜」に祀られていた「手習観音」が安置されている。
所在地:京都府宇治市宇治山田27-1
交通:京阪電鉄宇治駅から徒歩10分、JR宇治駅から徒歩20分。
このルポは3年ほど前の夏に行ったもの。