「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「黄檗山萬福寺」(おうばくさん まんぷくじ)

2006年12月07日 12時32分34秒 | 古都逍遥「京都篇」
 総門の前に立つと、古代中国にタイムスリップしたかのような幻想におそわれる。中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国の牌楼式を用いた漢門が威風堂々とそびえ立っている。これを入り裏から見上げると、中央上部に円相が型取られており、風水的モチーフの一つ「白虎鏡」がある。 
山内へと進むと菱形に並べられた石條の参道が縦横に走る。これは龍の鱗をあらわすもので、禅寺ではよく見かけるものだが、ここのはその帯が長い。 本堂正面に木造金箔の布袋坐像(寛文3年・1663作)が威厳を放っている。布袋は名を「契此(かいし)」といい、南北朝末後、梁の高僧で、定応大師と号していた。布袋は弥勒菩薩の化身といわれ本山で弥勒仏として祀られている。

 本堂(大雄宝殿)は日本で唯一最大のチーク材を使った建築物で、寛文8年に建立。本尊は釈迦如来像、正面入り口に魔よけとされる桃の彫り物を施した「桃戸」、左右に「円窓」、上層の額「大雄寶殿」は隠元の書による。本堂内部の須弥壇の上にある額「真空」は、明治天皇の御筆によると聞く。

 萬福寺は、1654年中国福建省から渡来した隠元禅師(1592-1673年)が、後水尾天皇や徳川4代将軍綱公の尊崇を得て、1661年に開創された代表的な禅宗伽藍の寺院。ここには、木庵禅師の弟子、鉄眼道光が12年の歳月をかけ、民人の寄進を乞うて諸国を行脚。その寄進によって製作された大蔵経の版木56、229枚が宝蔵院に収められている。この物語が映画化され、中村賀津雄が扮する鉄眼、鉄眼を支援する石浜朗の名演に涙を流したものだった。  

 交通:京阪電鉄宇治線、JR奈良線黄檗下車、徒歩5分。
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