いわき民報はいわき市民向けの夕刊紙である。
俺がいわき市に来た20年前に、「サンマ燃える」という見出しの記事が載った。
ある家から凄い煙が出ていたので、消防団の人が駆けつけたらサンマが燃えていた、って内容。
かなり脂の乗ったいいサンマだったのだろう。
面白かったので、切り抜いて教室の後ろに貼っておいた記憶がある。
一昨日(2月28日)の「くらしと随筆」というリレーエッセイにこんなのが載った。
書いたのは市内の学生、吉田武史さん。
(以下原文のまま)
「笑える思い出」
先日ある出来事がありました。久しぶりに地元の友人宅に遊びに行ったときです。友人宅の表札の一番最後に『たま』とありました。私は友人に『猫ちゃんでも飼っているの?』と聞くと、『・・・・婆ちゃん』と言われました。とても恥ずかしい出来事でした。
しかし、私がこの20年間で一番恥ずかしかったのは思い出は、紛れもなく小学3年のころに起きた事件です。私は給食の時間に、おならがしたくなりました。小学校でおならがバレるということは、イスラム教徒が豚肉を食べるのに等しいレベルのタブーなので、バレないようにすることを考えました。
考え抜いた私が出した作戦は、その名も『叫び屁(へ)』。叫び声とともに屁を出し屁の音を紛らわす戦法です。叫び声の理由は後からなんとでも説明できますが、おならの理由はおならでしかありません。
私は心の中でカウントダウンをして、いざ!『わああああー!・・・・っぷぅ』。完全にタイミングを間違えてしまいました。ただ皆の注目を集めて屁をするという最悪の結果に。それから一週間ぐらいはあだ名が『爆弾魔』でした。
何が言いたいかというと、恥ずかしい出来事も時間が経てば笑える思い出になるという事です(笑)。
(以上)
最後が文章が学生らしい。
そういえば学生時代、俺はなんと山岳部の部長だったのだが、部長になって初めて皆と山に登ったときの話。
新潟県の八海山だった。
俺が先頭を歩いて下山している途中、道の脇にマムシがいるのを見つけた。
「あ!マムシ」と言って、後続の人たちに注意を促した。
「皆、注意して行け!」と言って、後続の人たちを先に行かせ、俺は最後に小走りでマムシの脇を通った。
そのとき、足を滑らして転んだ。
それがちょうどマムシがいる脇だった。
俺は慌てふためいて「おぉぉ!」と叫んで逃げた。
そのとき近くから高らかに笑う声が聞こえた。
カッパちゃん、今でも忘れんぞ。
恥ずかしい出来事はいつでも笑い話になるんだな。