冬は野菜が少ない季節なのだということに気づいたのは、やはり佐渡に移り住んでからのように思います。
昔の人が大根や白菜の漬物ばかりで寒い冬を乗り切った、という知識も、ここに来るまでは昔話にすぎなかったのですが、ここで暮らしていると
「なるほど、納得」と思ったりします。
大根、白菜、チンゲン菜…、こんなわずかな野菜だけで食事をしていたのなら、
昔の人は冬場、イライラして仕方がなかったんじゃないかしら、と想像します。
山の下におりずに3,4日家の中にいると、
家にある食材だけで乗り切ろうと努力をしていると、
時に生の食材(生野菜、生肉、生魚)が冷蔵庫から完全になくなる時があります。
そんな時に登場するのが、秋に収穫した各種色とりどりのお豆や、
春の間に乾燥させた山菜類(ぜんまいとかこごみとか)、さらに漁村さんから購入した
わかめやあらめの乾燥海藻。
いずれも水やお湯で1日はつけておかなくてはいけない食材です。
乾燥食材の有難さを感じるなんて、実ははじめての経験です。
いつも保存食材を作るはいいけれど、使うことは実はまれでした。(特に惣菜系のもの。
お店で新鮮な食材を購入していると使うタイミングがみはかれず…。)
夏の時期は畑にいけばいくらでも(?)あった野菜も、今は厚い雪に覆われています。
今日は、とてもいい天気でしたので、雪に覆われた畑にずぼずぼ突っ込んで、
雪が積もる前に土にうめておいた大根を掘り出しました。
何十センチも雪が積もっているので、この辺かなと思って掘ってみたのですが
検討が外れ、しばらく掘り進むことになりました(笑)
ようやく2本の大根を掘り当てた時には汗びっしょり。
連れ合いの言う通り、竹の棒を立てておけばよかったです。
「検討つけて掘るからいいよ」と言ってしまったのです。後悔…。
さて、雪に埋もれていた大根は、切るときの音からして違います。
普段は野菜を「生き物」な視点ではとらえないようにしているのですが
雪の下で必死になって生きていたんだろうなあ、なんて思わず感じてしまうほど
秋の時と味が変わっています。「生き物の味」とでもいうのでしょうか、
冬の大根は、ちょっと貴重な味がします。
昔の人が大根や白菜の漬物ばかりで寒い冬を乗り切った、という知識も、ここに来るまでは昔話にすぎなかったのですが、ここで暮らしていると
「なるほど、納得」と思ったりします。
大根、白菜、チンゲン菜…、こんなわずかな野菜だけで食事をしていたのなら、
昔の人は冬場、イライラして仕方がなかったんじゃないかしら、と想像します。
山の下におりずに3,4日家の中にいると、
家にある食材だけで乗り切ろうと努力をしていると、
時に生の食材(生野菜、生肉、生魚)が冷蔵庫から完全になくなる時があります。
そんな時に登場するのが、秋に収穫した各種色とりどりのお豆や、
春の間に乾燥させた山菜類(ぜんまいとかこごみとか)、さらに漁村さんから購入した
わかめやあらめの乾燥海藻。
いずれも水やお湯で1日はつけておかなくてはいけない食材です。
乾燥食材の有難さを感じるなんて、実ははじめての経験です。
いつも保存食材を作るはいいけれど、使うことは実はまれでした。(特に惣菜系のもの。
お店で新鮮な食材を購入していると使うタイミングがみはかれず…。)
夏の時期は畑にいけばいくらでも(?)あった野菜も、今は厚い雪に覆われています。
今日は、とてもいい天気でしたので、雪に覆われた畑にずぼずぼ突っ込んで、
雪が積もる前に土にうめておいた大根を掘り出しました。
何十センチも雪が積もっているので、この辺かなと思って掘ってみたのですが
検討が外れ、しばらく掘り進むことになりました(笑)
ようやく2本の大根を掘り当てた時には汗びっしょり。
連れ合いの言う通り、竹の棒を立てておけばよかったです。
「検討つけて掘るからいいよ」と言ってしまったのです。後悔…。
さて、雪に埋もれていた大根は、切るときの音からして違います。
普段は野菜を「生き物」な視点ではとらえないようにしているのですが
雪の下で必死になって生きていたんだろうなあ、なんて思わず感じてしまうほど
秋の時と味が変わっています。「生き物の味」とでもいうのでしょうか、
冬の大根は、ちょっと貴重な味がします。
日ごろの疲労がたまり、うっかり風邪を引いてしまったわたしの体に、じんわりと野菜のうまみがしみこんできて、野菜ってありがたいなぁと思ったのでした。
食べたのはなんと大根おろしなんですが(笑)
むしょうに食べたくなったのでした。
納豆とあえて食べたりするのが好きです。
野菜はしみじみあったかいです。