息子がふきのとうを取ろうと、かごを持ちながら頑張っています。
目の前にたくさんフキノトウはあるのに、
「これは父ちゃんのね、これは母ちゃんので、これはぼくの」と
3個以上は取ろうとしない息子に、私は学ばされてしまいました。
「もっととらなくちゃ蕗味噌つくれないよ」と
言うのは簡単ですし、
言おうと思ったんですけどね・・・。
私は、今この場所で、金も地位も持ち家も、ないない尽くしの生活の中で、
それでも幸せと感じながら生きています。
できるだけ多くを欲しいとは思わずに生きていきたいな、と。
しかし、
原発というものは、そんなちっぽけな幸せさえも、
放射能による大汚染と共に、選択の余地すら与えずに
いとも簡単に奪ってしまうのだという事実に、
私達は改めて実感しなくてはいけないのだと思いまそた。
これまで脱原発の道を歩んでこられた方ですら、
この惨事に「ここまでとは」と驚いています。
1986年4月26日、チェルノブイリで爆発事故が起こりました。
事故直後に56人が死亡、約60万人が深刻な被爆をするという
原子力による史上最悪の惨事になりました。
事故後も9万人を越える人がガンなどで死亡したといわれています。
現在も700万人が被爆による健康被害で苦しみ続け、
治療を必要としている300万人の子供たちは
成人するまでに死亡するだろうといわれています。
土壌など環境への放射能汚染で故郷が立ち入り禁止区域となってしまい、そこに戻れず、
なくなった家族を故郷で弔うこともできない人々、故郷で親しんできた農業を営むことも
できなくなった人々も数多くいます。 ~グリーンピース・リーフレットより~
25年前のチェルノブイリ事故の
こうした初歩的な事実すら、私達日本人にはあまり認知されていないように思います。
こうした事実がもっと普通に認識されていたならば、
私達はもっと、おびえるでしょうし、もっと子ども達を
守るべき体勢を整えなければいけないはずです。
しかし、なんと!
国は1年間に20ミリシーベルトもの放射線を許容量にしてしまいました!
びっくり!です。
これは裏返せば
「今後福島の子ども達が甲状腺がんになろうが、国は一切責任を持ちませんよ」ということです。
「国の基準は年間20ミリシーベルトなんですからね!」と。
こう言っているんです。
20ミリシーベルトという数値は、原発作業員ですら被爆する数値ではない、と
言っているのですから、
例えて言うなら、火事の中に入っても火傷しないって言っているようなものですよね。
詳細は毎日新聞に載っていました。(他新聞では詳しくは載っていなかったそうです)
29日に内閣官房参与に任命された小佐古敏荘・東京大教授(放射線安全学)が辞任しました。
小中学校などの屋外活動を制限する限界放射線量を、年間20ミリシーベルトに決めたことに
「容認すれば学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」
と異論を唱えたそうです。
「これだけの被ばくをする人は、全国の原発業務の従事者の中でも極めて少なく、
この数値を小学生らに求めるには、学問上の見地や私のヒューマニズムから受け入れがたい」
と述べ、批判しました。
「容認すれば学者生命は終わり」と言っているのです。
つまり、容認している学者さんは学者とはいえない、と言っているのですね。
考えました。
私達は、もっともっと臆病にならねばならないのではないか、と。
もっと何かに対し怯え、臆し、
「自分をなくす」ことを知らなくてはいけないのではないか、と。
(それは決して「自分を見失う」ということではないと思っています。)
いきすぎた個人主義が、こんな惨状をうんだのならば引き返すべきなのですが、
「支援」という名の元に、「ものを買うこと(お金を使うことこそが唯一の日本を救う方法とする感じの考え方)」
を強要する情報も再び、
でてき始めたように思います。
私達が今、モノを買わないのは「自粛」と呼ぶような行為ではないように思うんです。
自分達がこれからどう生きるべきかの指針を探すべき「時期」に、
その側面として「モノの購入」を控えているだけなんじゃないかな、と。
だって、本当に必要なものは、必ず皆買わないといけないはずですから。
「そうでないもの」に対する考え方を、今、まさに考えねばならないはずです。
充分、私達は贅沢に暮らしたはずです。
もういいではないですか、と多くの方が思い始め、「実行」しているように思います。
それをマスコミが再び(マスコミに関わる人にも迷いがあるのでしょうが)
事故前の状況にもどろうとしているように思います。
多くの、何世代も後に続くことが決定されてしまった犠牲を前にしても、
まだ「贅沢」が必要なのかな、と自らにまず問わなくてはいけないと思うんですよね。
具体的な答えは、
きっと個人それぞれにあると思いますが、「これまでのようではいけない」という
ところだけは共通しているのだと思います。
「これまでと同じように暮らせばいい」ではないように、思います。
それこそ、個人個人が具体的に
「何かをやめ、何かを始めなくてはいけない」
のではないかなと、思います。
福島の子ども達の20ミリシーベルト許容量への反対意志表明の仕方はコチラです。
コチラ
ちょっと面倒かもしれませんが、方法があるならそれにすがります。
今日も寝る前の10分間を、未来の子ども達のために。
どうぞお帰りの前に1クリックを↓
目の前にたくさんフキノトウはあるのに、
「これは父ちゃんのね、これは母ちゃんので、これはぼくの」と
3個以上は取ろうとしない息子に、私は学ばされてしまいました。
「もっととらなくちゃ蕗味噌つくれないよ」と
言うのは簡単ですし、
言おうと思ったんですけどね・・・。
私は、今この場所で、金も地位も持ち家も、ないない尽くしの生活の中で、
それでも幸せと感じながら生きています。
できるだけ多くを欲しいとは思わずに生きていきたいな、と。
しかし、
原発というものは、そんなちっぽけな幸せさえも、
放射能による大汚染と共に、選択の余地すら与えずに
いとも簡単に奪ってしまうのだという事実に、
私達は改めて実感しなくてはいけないのだと思いまそた。
これまで脱原発の道を歩んでこられた方ですら、
この惨事に「ここまでとは」と驚いています。
1986年4月26日、チェルノブイリで爆発事故が起こりました。
事故直後に56人が死亡、約60万人が深刻な被爆をするという
原子力による史上最悪の惨事になりました。
事故後も9万人を越える人がガンなどで死亡したといわれています。
現在も700万人が被爆による健康被害で苦しみ続け、
治療を必要としている300万人の子供たちは
成人するまでに死亡するだろうといわれています。
土壌など環境への放射能汚染で故郷が立ち入り禁止区域となってしまい、そこに戻れず、
なくなった家族を故郷で弔うこともできない人々、故郷で親しんできた農業を営むことも
できなくなった人々も数多くいます。 ~グリーンピース・リーフレットより~
25年前のチェルノブイリ事故の
こうした初歩的な事実すら、私達日本人にはあまり認知されていないように思います。
こうした事実がもっと普通に認識されていたならば、
私達はもっと、おびえるでしょうし、もっと子ども達を
守るべき体勢を整えなければいけないはずです。
しかし、なんと!
国は1年間に20ミリシーベルトもの放射線を許容量にしてしまいました!
びっくり!です。
これは裏返せば
「今後福島の子ども達が甲状腺がんになろうが、国は一切責任を持ちませんよ」ということです。
「国の基準は年間20ミリシーベルトなんですからね!」と。
こう言っているんです。
20ミリシーベルトという数値は、原発作業員ですら被爆する数値ではない、と
言っているのですから、
例えて言うなら、火事の中に入っても火傷しないって言っているようなものですよね。
詳細は毎日新聞に載っていました。(他新聞では詳しくは載っていなかったそうです)
29日に内閣官房参与に任命された小佐古敏荘・東京大教授(放射線安全学)が辞任しました。
小中学校などの屋外活動を制限する限界放射線量を、年間20ミリシーベルトに決めたことに
「容認すれば学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」
と異論を唱えたそうです。
「これだけの被ばくをする人は、全国の原発業務の従事者の中でも極めて少なく、
この数値を小学生らに求めるには、学問上の見地や私のヒューマニズムから受け入れがたい」
と述べ、批判しました。
「容認すれば学者生命は終わり」と言っているのです。
つまり、容認している学者さんは学者とはいえない、と言っているのですね。
考えました。
私達は、もっともっと臆病にならねばならないのではないか、と。
もっと何かに対し怯え、臆し、
「自分をなくす」ことを知らなくてはいけないのではないか、と。
(それは決して「自分を見失う」ということではないと思っています。)
いきすぎた個人主義が、こんな惨状をうんだのならば引き返すべきなのですが、
「支援」という名の元に、「ものを買うこと(お金を使うことこそが唯一の日本を救う方法とする感じの考え方)」
を強要する情報も再び、
でてき始めたように思います。
私達が今、モノを買わないのは「自粛」と呼ぶような行為ではないように思うんです。
自分達がこれからどう生きるべきかの指針を探すべき「時期」に、
その側面として「モノの購入」を控えているだけなんじゃないかな、と。
だって、本当に必要なものは、必ず皆買わないといけないはずですから。
「そうでないもの」に対する考え方を、今、まさに考えねばならないはずです。
充分、私達は贅沢に暮らしたはずです。
もういいではないですか、と多くの方が思い始め、「実行」しているように思います。
それをマスコミが再び(マスコミに関わる人にも迷いがあるのでしょうが)
事故前の状況にもどろうとしているように思います。
多くの、何世代も後に続くことが決定されてしまった犠牲を前にしても、
まだ「贅沢」が必要なのかな、と自らにまず問わなくてはいけないと思うんですよね。
具体的な答えは、
きっと個人それぞれにあると思いますが、「これまでのようではいけない」という
ところだけは共通しているのだと思います。
「これまでと同じように暮らせばいい」ではないように、思います。
それこそ、個人個人が具体的に
「何かをやめ、何かを始めなくてはいけない」
のではないかなと、思います。
福島の子ども達の20ミリシーベルト許容量への反対意志表明の仕方はコチラです。
コチラ
ちょっと面倒かもしれませんが、方法があるならそれにすがります。
今日も寝る前の10分間を、未来の子ども達のために。
どうぞお帰りの前に1クリックを↓
色々考えていたら遅くなったよ。内容的には最初考えたのとそんなに変わっていないのだけれど。
基準値引き上げについては、世間一般でどういう扱いをされているのか、という観点が私の中ではちょっと抜けているところがありました。(いつもそっち方面の情報に詳しい人が教えてくれるから)
原発関連の記事は「常に隠される」というのが、セオリーだったから。
そういう意味では、現在の状況は色々な意味でかなりオープンになっている方でもあるように思うこともあります。
時にびっくりします。わお、ここまで報道されているか!と思う部分も。
それだけマスコミ関連の人も頑張っている人もいるのだと思います。
その辺を私達国民が、どうこじあけるか(笑)という点も肝心かもしれません。
「物を浪費しなくても社会が成り立っていくような方法や経済のあり方を研究している人」は、沢山いるよね。
ただそれを社会が採用するか否かは、多くの国民の支持次第だよね。
私自身、ゆっくりやっていこうと思います。結果をすぐに求めずにやっていこうと思います。
あわてず、あせらず。それが長続きさせる方法でもあるよね。答えになってなかったらごめん。
原発停止を願う一人の人間として、とても励まされます。
疑問や行動をどんどん継続して、実行に移すことが、確実に何かの力になると信じています。
特に今は!
「何もしらなすぎた」とは同時に「何も知らされなさすぎた」ともいえることです。
正確な情報を知るための努力を、まずは惜しまずにいたいと思います。
お互い頑張りましょう。
東北電力の株主の方々のことは、Yhooのニュースにもトピックで出ていました。でも小学校の基準値の件は出ていません。出ないとおかしいですね。辞任した方がいることも。
現在夫の留学で収入の無い海外暮らしですが、お金がない分、物欲も出しようがなく、それがかえって「こんなもの買ってしまった」という後悔や、「こんなもの買ったのか!?」という非難やケンカの種を根絶やしにしてくれるので、思いのほか快適に生活しています。ちょっとしたことでも楽しみは色々と見つけられますしね。
そうそう、買えないということがはっきりしたら、ショーウインドーを見て歩くのも空想の世界に遊べるので逆に楽しくなりました。
物を浪費しなくても社会が成り立っていくような方法や経済のあり方を研究している人ってきっといるはずですよね。いないのかな・・・。
東北電力社長に原発の廃止を訴える」という記事を読みました。
5月1日付けのものです。
たいへん勇気づけられました。
大きく報道されるとよいのですが。
駅の構内が暗かったり、エスカレーターが止まったりはしてましたが、
人もたくさん出て、
震災前と変わらない様子でした。
何人かの友人と会ったので、
柏崎刈羽原発停止の署名をお願いしたところ
快く名前を書いてくれました。
自分達は本当に何も知らなすぎた、と責任を感じていました。
みな同じ思いです。
何ができるのだろう?と考えています。
新幹線の中のニュースで、
「東電の社長避難所で土下座」と流れていました。
あやまって、仮に許されたとして、それでいいのか?
他にもっとやることがあるのではないのか?
責任を充分果たすことによって、過失を償って欲しいものです。
長く続けられること。
東電の社長宛に毎日手紙を書く?
非難の手紙ではなく、目を覚ましてもらえるような
日々の何気ない生活がいかに大切だったかというような。
どの命も大切なんだということをわかってもらえるような手紙。
何かをせずにはいられません。
20ミリシーベルト。
現地にも怒りの声が聞かれます。
それが一番の原動力になると思うのですが。