骨董品が大好きです。
でも高価なものとか、銘が入っているようなものではなく、
少しだけ古ぼけたような、使った人のクセがわかるような、
蔵からほこりをかぶって出てきたような、そんなヤツが大好きです。
春駒の師匠から教わったこの骨董品店は、そんな道具が沢山置いてある
(私的に)非常に素敵なお店でした。
ごつい灯油ランプがありました。
どなたか存じませんが、はるか昔の女優さんのポスターもあります。
祭りの時に使っただろうお膳に…
収穫した後の稲を扱う道具と聞きましたが、そんな道具もありました。
本の中でしか出会えなかったような古い道具の数々に、
鼻息も荒く興奮気味の私に、
背後から「今、興奮しているでしょ。落ち着きなよ」とそっと声をかけるダンナ(笑)
かねてから欲しかった漆塗りの重箱もありました。
重箱の埃よけの包みが、日本酒の包み紙のリメイクというところも
そそらせるものがあります。
値段も良心的です。
購入しようとする私に連れ合いがぼそっと言いました。
「こういうのを普段の生活の中で使おうとするなら、
今の生活そのものを大きく変えないといけないね」
その時はす~っと流し聞きしましたが、
う~むそうかもしれない、と考えました。
重箱を日常的に使う生活とはどんなでしょう?
重箱にふさわしい献立が日常的に作られるような風景。
おはぎやお赤飯がもっと頻繁に作られ、
ちらし寿司や、いなり寿司なんかも作ってしまうような家庭。
田んぼ仕事の合間なんかのお弁当にも重箱が使われていたかもしれませんな。
それは私が「そうありたい、なりたい」と思う風景でもあり、
息子にも与えてあげたいものかもしれません。
しかし…
できるのか?おまえ!?手間がかかる料理ばっかだぞ??
という心の声もコダマします。
心と準備と、体力(←特にこっち)が必要です。
そうできると確信した時に、もう一度この店ののれんをくぐろうと思います。
宝の持ち腐れにはしたくないですからね。
きっと、そう遠い未来ではないと思います。きっとね。
しかし、骨董品は見ていて飽きません。
まだ日本が経済資本主義に入る前の息吹が感じられる、
「生活にどうしても必要だから」作られた、そんな道具が大好きです。
道具を作るために石油も使っていないし、
当然プラスチックも使っていない、
すれた言い方かもしれませんが、
道具を作るために
環境破壊につながる二酸化炭素を排出していない(笑)
まして加担をすることもない、そんな道具であることに
心からの安堵を覚えてしまうのです。
泣けてくるような安堵感です。
結局、その日は春駒の衣装のひとつの「わらじ」と、
畑仕事に使えそうな「藁で作られた傘」を購入しました。
両津に住む最後の職人さんが作っているそうです。
「2000円じゃあもう作れん」と、ぼやかれたそうです。
春が近づくと、お店の商品も様変わりするそうです。
また行ってみたいと思っています。
でも高価なものとか、銘が入っているようなものではなく、
少しだけ古ぼけたような、使った人のクセがわかるような、
蔵からほこりをかぶって出てきたような、そんなヤツが大好きです。
春駒の師匠から教わったこの骨董品店は、そんな道具が沢山置いてある
(私的に)非常に素敵なお店でした。
ごつい灯油ランプがありました。
どなたか存じませんが、はるか昔の女優さんのポスターもあります。
祭りの時に使っただろうお膳に…
収穫した後の稲を扱う道具と聞きましたが、そんな道具もありました。
本の中でしか出会えなかったような古い道具の数々に、
鼻息も荒く興奮気味の私に、
背後から「今、興奮しているでしょ。落ち着きなよ」とそっと声をかけるダンナ(笑)
かねてから欲しかった漆塗りの重箱もありました。
重箱の埃よけの包みが、日本酒の包み紙のリメイクというところも
そそらせるものがあります。
値段も良心的です。
購入しようとする私に連れ合いがぼそっと言いました。
「こういうのを普段の生活の中で使おうとするなら、
今の生活そのものを大きく変えないといけないね」
その時はす~っと流し聞きしましたが、
う~むそうかもしれない、と考えました。
重箱を日常的に使う生活とはどんなでしょう?
重箱にふさわしい献立が日常的に作られるような風景。
おはぎやお赤飯がもっと頻繁に作られ、
ちらし寿司や、いなり寿司なんかも作ってしまうような家庭。
田んぼ仕事の合間なんかのお弁当にも重箱が使われていたかもしれませんな。
それは私が「そうありたい、なりたい」と思う風景でもあり、
息子にも与えてあげたいものかもしれません。
しかし…
できるのか?おまえ!?手間がかかる料理ばっかだぞ??
という心の声もコダマします。
心と準備と、体力(←特にこっち)が必要です。
そうできると確信した時に、もう一度この店ののれんをくぐろうと思います。
宝の持ち腐れにはしたくないですからね。
きっと、そう遠い未来ではないと思います。きっとね。
しかし、骨董品は見ていて飽きません。
まだ日本が経済資本主義に入る前の息吹が感じられる、
「生活にどうしても必要だから」作られた、そんな道具が大好きです。
道具を作るために石油も使っていないし、
当然プラスチックも使っていない、
すれた言い方かもしれませんが、
道具を作るために
環境破壊につながる二酸化炭素を排出していない(笑)
まして加担をすることもない、そんな道具であることに
心からの安堵を覚えてしまうのです。
泣けてくるような安堵感です。
結局、その日は春駒の衣装のひとつの「わらじ」と、
畑仕事に使えそうな「藁で作られた傘」を購入しました。
両津に住む最後の職人さんが作っているそうです。
「2000円じゃあもう作れん」と、ぼやかれたそうです。
春が近づくと、お店の商品も様変わりするそうです。
また行ってみたいと思っています。
でも買ったあとに 使わなくて、、、。が常です
佐渡の古いモンヤサンは何町にありますか
今年帰ったら覗いてみたくなりました
この骨董品屋さんは両津の秋津郵便局のすぐ隣にありますよ。