小木の鼓童村に行きました。
(鼓童とは、太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能をしているアーティスト集団、というかんじかな?)
鼓童の人に佐渡の伝統芸能「春駒」を教えに行く師匠について、取材と見学をかねて軽いノリで行ってみました。
師匠には「鼓童の人には、取材の人って言って下さいね」と言っておいたのに
「お弟子さん」と伝えていたみたいで、びっくりした!
遅刻してしまったのに、鼓童の人に丁重に迎え入れられ、とんでもなく恐縮。
屋根の高い稽古場で、春駒を舞う師匠を鼓童の準メンバーの人が、真剣な面持ちで食い入るような視線で見つめている様子に、こちらまで喉がかわくような緊張感を覚えてしまいました。
私が舞うわけではないのに、びりびりとはりつめるようなプレッシャーを無防備にくらってしまい、口をパクパクさせる金魚のように酸素不足になってしまいました。
「こんなものすごい緊張感の中で、鼓童の人は稽古をしているのか」と、
自分が住んでいる世界とは正反対の違う世界に、
軽いノリで踏み込んでしまった自分に軽く後悔。
まるで、テレビで見た宝塚劇団のようだった。
メンバーの方は、毛布をしいているとはいえ、正座をして師匠の話と舞を見ている。
こういう練習も本来非公開らしく、ドアにはしっかりとセキュリティーロックがされていて、そういうところにもまた緊張してしまった。(意気地なし)
そんな緊張感の中、メンバーとおぼしき方に声をかけてみた。
「鼓童の方は全員、佐渡おけさを歌ったり、踊れたりするのですか?」
(そのとき自然と感じた素朴な質問)
その質問に
「鼓童のメンバー全員が踊れたり、歌ったりはできないと思います。
公演で必要になった時に教わったり、自発的に地元の方から教わったりしている人もいますよ」とのこと。
話の中で、鼓童の人たちはそのほとんどの人が島外の方なために
「ヨソモノ」であることを強く感じるらしく、その方からも一抹の
さみしさみたいなものも感じた。それは、私も佐渡人でありながらも、感じる。
とかく島外の人に、佐渡の人は無意識にでもはねつけるところもあるように思う、といえば思う。
ただ、佐渡人として思うのだが、それを直そうと思うとき
何を直せばいいのだろう、とふと思う。
声をかければいいのかな?作った野菜をあげればいいのかな?
うーむ、課題だ。
大佐渡に住む私にとって、小木は遠い。
さらに鼓童村は、小木市街からさらに遠い。
方向音痴の私は見事に迷い、わけがわからないままに、街灯もない似たような道を
ぐるぐる回っていたようで、家に帰った頃には夜の10時過ぎになっていた。
どこまでもダメダメだった・・・。
(鼓童とは、太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能をしているアーティスト集団、というかんじかな?)
鼓童の人に佐渡の伝統芸能「春駒」を教えに行く師匠について、取材と見学をかねて軽いノリで行ってみました。
師匠には「鼓童の人には、取材の人って言って下さいね」と言っておいたのに
「お弟子さん」と伝えていたみたいで、びっくりした!
遅刻してしまったのに、鼓童の人に丁重に迎え入れられ、とんでもなく恐縮。
屋根の高い稽古場で、春駒を舞う師匠を鼓童の準メンバーの人が、真剣な面持ちで食い入るような視線で見つめている様子に、こちらまで喉がかわくような緊張感を覚えてしまいました。
私が舞うわけではないのに、びりびりとはりつめるようなプレッシャーを無防備にくらってしまい、口をパクパクさせる金魚のように酸素不足になってしまいました。
「こんなものすごい緊張感の中で、鼓童の人は稽古をしているのか」と、
自分が住んでいる世界とは正反対の違う世界に、
軽いノリで踏み込んでしまった自分に軽く後悔。
まるで、テレビで見た宝塚劇団のようだった。
メンバーの方は、毛布をしいているとはいえ、正座をして師匠の話と舞を見ている。
こういう練習も本来非公開らしく、ドアにはしっかりとセキュリティーロックがされていて、そういうところにもまた緊張してしまった。(意気地なし)
そんな緊張感の中、メンバーとおぼしき方に声をかけてみた。
「鼓童の方は全員、佐渡おけさを歌ったり、踊れたりするのですか?」
(そのとき自然と感じた素朴な質問)
その質問に
「鼓童のメンバー全員が踊れたり、歌ったりはできないと思います。
公演で必要になった時に教わったり、自発的に地元の方から教わったりしている人もいますよ」とのこと。
話の中で、鼓童の人たちはそのほとんどの人が島外の方なために
「ヨソモノ」であることを強く感じるらしく、その方からも一抹の
さみしさみたいなものも感じた。それは、私も佐渡人でありながらも、感じる。
とかく島外の人に、佐渡の人は無意識にでもはねつけるところもあるように思う、といえば思う。
ただ、佐渡人として思うのだが、それを直そうと思うとき
何を直せばいいのだろう、とふと思う。
声をかければいいのかな?作った野菜をあげればいいのかな?
うーむ、課題だ。
大佐渡に住む私にとって、小木は遠い。
さらに鼓童村は、小木市街からさらに遠い。
方向音痴の私は見事に迷い、わけがわからないままに、街灯もない似たような道を
ぐるぐる回っていたようで、家に帰った頃には夜の10時過ぎになっていた。
どこまでもダメダメだった・・・。
「おめえどこのもんや?」
佐渡に来た当初、何回何十回と聞かれた言葉。
初対面の人に挨拶も無しに「おめえ」呼ばわりされる衝撃。
おそるおそる「・・・○○です」と言えば、たたみかけるように「○○のどこや?」と。
「△△です」
「△△の●●か(の名前)あ?」
そこまで曝け出さなければならないのか、佐渡は。と思いました。
佐渡を知ろうと町に出れば、
「ウロウロしとったけど、どこいってたんや?」
家にいれば、
「部屋でゲームばっかりやっとるんだって?」
いったいどこで誰が見てるんだろう・・・
恵子さんのように、何を直せばいいのだろうと感じてくれる人がいることに、救いを感じます。
声をかけてくれれば嬉しいです、手作り野菜なんてすごく嬉しいです(笑)
どこの出身とか昔はこうだったとか、ではなくて、ただ今この場に一緒にいる時間を、佐渡の人と楽しんでいきたいと思うのです。
長々と失礼しました。
まず、佐渡のモンの言葉の乱暴さ。これはまつりこさんも感じられたような「衝撃」になるのですが、本人にその自覚はまずないから厄介ですね。使った本人はいたって親しみを込めているようなのですが。対策として、こういう言葉遣いをする方には同じような「乱暴な」言葉で返しても、全く差し障りがありません。「なんだっちゃ、そんなん言い方して」とかいう言い方しても大丈夫です。「です、ます」調である必要はないです。
ついでにいえば、少々傷つけても後くされはないタイプです。でも、少しでも丁寧な言い方をする佐渡人は、できないですね。
そして「●●町の△△(集落の名前)です」という自己紹介の仕方。確かにこれは人によってはむっとする質問かもしれませんね。
これは、実はヨソモノに限らず、地元佐渡人の間でも普通にかわされる挨拶なのです。
「おめえの方言はなんだか変らけど、どこのモンだっちゃ」「二見のほうだっちゃ」「ああそうか、それならそうかもしれんなあ」
みたいな、納得の仕方、会話がよくかわされます。
小木と相川がまったく文化も方言も違うように、そしてそれを誇り(?)にしているように、隣集落だけでも随分と習慣や文化が違ったりするので互いの身分を明かすことですっきりする、納得している、というのはありますね、言い換えれば少しくらいの違いは、住んでいるところが違うので当たり前、くらいの気持ちでいる、ともいえます。
私も一昨日、春駒やってる相川の人から「中川さんへイントネーション、普通だけど、佐渡のどこの出身?」と聞かれました。
ここで「佐和田」というと、他の地区よりも都会なので「ああ、なるほどね」となるし、「羽茂」と言うと
「ええ?羽茂なのに?羽茂のどこ?」となってしまうのです。ちなみに私は、羽茂と佐和田と真野と畑野と住んでいた場所が多いので説明も大変(笑)
連れ合いは神奈川出身で、同じ質問を聞かれるので「神奈川の●●出身で、今は◆◆町の××区に住んでいます」と一気に喋っているようです。
佐渡人とのつきあい方って、たびのモンとは違いますよね。私も都会にでた時は本当に苦労しました・・・。根っから佐渡人だっただけに。
なんだか佐渡人批判みたいなコメントになってしまって、ごめんなさいです。
いまなら佐渡人の気質はなんとなくわかるのですが、来るまで誰も教えてくれなかったものでショックだったんですねー。
でもどうしてそこまで出身地にこだわるのかが、どうもよくわからないのです。自分との接点を探しているのかなって気もするのですけど。東京の○○には相川のなんとかって家の姉さんが嫁に行ってるけど、知ってるか?って言われても・・・(笑)
佐渡人同士、佐渡をけなしあっているから、特に気になりませんしね。
連れ合いが神奈川だから、いろいろと親身になれるのかもしれません。彼は佐渡人への電話をかけれません(笑)言葉がこわいから。
どうしてそこまで出身地にこだわるのか。
う~んどうしてでしょうねえ。
安心できるものがあるのでしょうねえ。あと会話のネタになるっていうのはありますね。
確かに家の場所まで聞かれることもあるから、それは勘弁してほしいが。
私も東京にいた頃、よく「私の会社に佐渡出身の人いるけれど知り合い?」って20回は聞かれました。
佐渡は、そんなに狭くないよ。と言っていました。
このコメントをエスライフに載せてもいいですか?
これから佐渡に暮らす人へのアドバイス、みたいな感じで載せてみたいです。