お隣さんから木のお茶碗をもらいました。
自分がご飯を食べる量が増えたことをお話したことを覚えてくれ、あいた時間に作ってくれました。
「普通の茶碗では小さいけれど、丼では大きすぎる。その中間くらいの茶碗がほしいなあ」。
そんなことを話したら、忘れた頃に
「こんなのほしかったんだろ」と、ぽんと渡してくれました。
「コナラの木で作った」
私がすぐに作られた木の名前も聞くものだから、聞く前に教えてくれました。
この集落の人は男性でも女性でも「木」に多大な関心を寄せます。
庭にある大きな木を横たわらせておくと、大抵の人が
「どこからもってきた木だ?」と聞いてきます。
そして木のいろんな話が始まります。
木が、自分には考えもつかないほど、昔の人にとって
深く深く生活と人生に関わっていることを時々、痛いほどに知ります。
木はただ二酸化炭素を吸収して材になる、というだけではないということも
痛感します。でもそれを言葉にするのは本当に難しいなあ、としみじみ感じます。
京都議定書では2010年までに日本の6%の削減目標のうち、
3.9%を森林による吸収効果に頼る予定、らしいです。
議定書発布当時、新聞誌上では日本のこの姿勢を「消極的すぎる」「非現実的な計画」「怠惰」という風にボロボロに言われていました。
実質的に無理かどうかは私は専門家ではないのでわかりませんが、
素人目からみると、「森林」分野だけで目標値の半分以上もの二酸化炭素を吸収してもらおうという考え方は、先進国の案としては粗雑に思われました。
二酸化炭素を排出している産業や車のこともそうですが、
もっと生活レベルを下げるところから(それは日本においては精神レベルをあげることだと思う)考えないといけないと思うけれど、
それはおそらく国レベルで考えるのはタブーに近いことなのかもしれませんね。
日本には育成林(人工林)が、1160万haありますが、このうち、現状からの推移では、820万haしか「適切な整備・保全」が行われる可能性がないそうです。
自分にできることをふと考える、そんな今日この頃です。
自分がご飯を食べる量が増えたことをお話したことを覚えてくれ、あいた時間に作ってくれました。
「普通の茶碗では小さいけれど、丼では大きすぎる。その中間くらいの茶碗がほしいなあ」。
そんなことを話したら、忘れた頃に
「こんなのほしかったんだろ」と、ぽんと渡してくれました。
「コナラの木で作った」
私がすぐに作られた木の名前も聞くものだから、聞く前に教えてくれました。
この集落の人は男性でも女性でも「木」に多大な関心を寄せます。
庭にある大きな木を横たわらせておくと、大抵の人が
「どこからもってきた木だ?」と聞いてきます。
そして木のいろんな話が始まります。
木が、自分には考えもつかないほど、昔の人にとって
深く深く生活と人生に関わっていることを時々、痛いほどに知ります。
木はただ二酸化炭素を吸収して材になる、というだけではないということも
痛感します。でもそれを言葉にするのは本当に難しいなあ、としみじみ感じます。
京都議定書では2010年までに日本の6%の削減目標のうち、
3.9%を森林による吸収効果に頼る予定、らしいです。
議定書発布当時、新聞誌上では日本のこの姿勢を「消極的すぎる」「非現実的な計画」「怠惰」という風にボロボロに言われていました。
実質的に無理かどうかは私は専門家ではないのでわかりませんが、
素人目からみると、「森林」分野だけで目標値の半分以上もの二酸化炭素を吸収してもらおうという考え方は、先進国の案としては粗雑に思われました。
二酸化炭素を排出している産業や車のこともそうですが、
もっと生活レベルを下げるところから(それは日本においては精神レベルをあげることだと思う)考えないといけないと思うけれど、
それはおそらく国レベルで考えるのはタブーに近いことなのかもしれませんね。
日本には育成林(人工林)が、1160万haありますが、このうち、現状からの推移では、820万haしか「適切な整備・保全」が行われる可能性がないそうです。
自分にできることをふと考える、そんな今日この頃です。
なにしろ公害ニッポンだった10倍のレベルで、10倍の人口で、廃棄物を拡散する恐れがあるのですから、大気の流れの下流側の日本はたまったものではありません。技術がすすんだ今日でも、相殺するともっと多くの廃棄物が排出されることは、発展途上の中国の経済事情からは容易に推定されること。
松岡農水大臣の光熱費処理の問題より明白な事実でしょう。
地球レベルで人間の活動を考える時期にきているのに、センサーが働かない人間が多いのは、人間が追従できない一番の難関が、急激な変化、であることが証明されたような、昨今の事象ですね。
アメリカは京都議定書を見ても、都合の悪いこと
は、狸寝入り。
自分の都合のよいように解釈して行動する。
この人間の”欲望”を制御することがこの世で一番難しいことは、宗教ですら未だ解決の道を見出していないことからも容易に理解できます。
長い時間をかけこつこつと。
恵子さんの時代を先取りしたエコ発信は、次世代への一つの指針ですね。
ゆっくり、あせらず、そhしてたゆまずすすんでください。
なんだか心ならずも恵子さんの話に引き込まれて、堅い話になってしまったなー。
わたし達日本人がこれだけ豊かな生活を求めた歴史を考えると、中国の人をせめることもできないからなあ、とも。
中国産の割り箸を日本人が使いすぎたせいで、中国の山がハゲ山になり、今、中国産の割り箸生産は法的にストップをかけられていますしね。
日本人の頭の見せどころだとも思います。
もうお礼ばっかです~。直接的な反応って嬉しいものですねえ~。