夜回り先生の講演を、連れ合いと一緒に聞きに行きました。
この方は、もうすでにあまりにも有名なので、説明などいらないと
思いますが、子ども達を取り巻くあらゆる暴力、
売春、シンナー、麻薬、家庭内暴力、自殺、リストカット、
そういったものから
子ども達を守ろうと、自らのメールアドレス、電話番号を公表して
子ども達の「最後の砦」を自らの使命として、生きている方です。
夜の11時から、都会の繁華街を回って
夜の華やかさに一時の逃げ場を求める子ども達に
「お前達、もう家に帰りな」と声をかける「夜回り」を続け
不眠不休の生活を続けています。
すごいと思うのは、こうした行き場のない子ども達の現状を目の前におきながら、
発狂することなく、精神を病むことなく、強く、強く、なお強く
子ども達を励ましながら、生きていることです
1時間の講演の間中、夜回り先生は話し続けていました。
水を飲みながらも、一呼吸おくことなく話し続けました。
早口で、ナレーション的でもあって、
一年に何百回と講演をしているだけあって、流暢で慣れていて、よどみない。
時に早すぎて、理解するのに少し時間がかかったりもしました。
だけど、思いの強さを確かに感じました。
「子ども達よ」と何度も口にしていました。
「この世の中で、死にたいと思って生まれてくる赤ん坊など一人もいない!
誰もが、一生懸命におぎゃあおぎゃあと泣いて、
おとうさん、おかあさん、産まれてきたよ!
しあわせになりたいよ!ぼくはしあわせになりたいよ!と生まれてくるんだ!」
早口で、叫ぶようにいっていました。
すごくありふれた言葉なのに、
これまでのシンナー中毒の末に死んでしまった高校生や、
引きこもりの女の子が、夜回り先生との連日の電話の末に、家からでていくエピソードを
聞いた後だけに、思わず、じわ~っと泣けてきました。
「君達には生きていてほしい!
生きて、生きて、生き抜いてほしい!!」
私は夜回り先生の著作を5,6冊くらい読みましたが、
(大きな文字で、わかりやすく書かれているので、
すぐに読みきれます)
3冊目くらいを読んだあたりから思ったことがありました。
今回、講演を聞いた後で連れ合いも同じことを言いました。
「あの人は、聖者かもしれない」。
178センチの、少し頭がうすくなってきた(夜回り先生の表現です)
「聖者」の言葉は、
すごくシンプルで、
すごく単純な事柄でした。
それは「もっと優しくなろう」ということではないかな、と。
社会に対しても、人に対しても、そして自分の子どもや夫や、
最終的には、自分に対しても。
この方は、もうすでにあまりにも有名なので、説明などいらないと
思いますが、子ども達を取り巻くあらゆる暴力、
売春、シンナー、麻薬、家庭内暴力、自殺、リストカット、
そういったものから
子ども達を守ろうと、自らのメールアドレス、電話番号を公表して
子ども達の「最後の砦」を自らの使命として、生きている方です。
夜の11時から、都会の繁華街を回って
夜の華やかさに一時の逃げ場を求める子ども達に
「お前達、もう家に帰りな」と声をかける「夜回り」を続け
不眠不休の生活を続けています。
すごいと思うのは、こうした行き場のない子ども達の現状を目の前におきながら、
発狂することなく、精神を病むことなく、強く、強く、なお強く
子ども達を励ましながら、生きていることです
1時間の講演の間中、夜回り先生は話し続けていました。
水を飲みながらも、一呼吸おくことなく話し続けました。
早口で、ナレーション的でもあって、
一年に何百回と講演をしているだけあって、流暢で慣れていて、よどみない。
時に早すぎて、理解するのに少し時間がかかったりもしました。
だけど、思いの強さを確かに感じました。
「子ども達よ」と何度も口にしていました。
「この世の中で、死にたいと思って生まれてくる赤ん坊など一人もいない!
誰もが、一生懸命におぎゃあおぎゃあと泣いて、
おとうさん、おかあさん、産まれてきたよ!
しあわせになりたいよ!ぼくはしあわせになりたいよ!と生まれてくるんだ!」
早口で、叫ぶようにいっていました。
すごくありふれた言葉なのに、
これまでのシンナー中毒の末に死んでしまった高校生や、
引きこもりの女の子が、夜回り先生との連日の電話の末に、家からでていくエピソードを
聞いた後だけに、思わず、じわ~っと泣けてきました。
「君達には生きていてほしい!
生きて、生きて、生き抜いてほしい!!」
私は夜回り先生の著作を5,6冊くらい読みましたが、
(大きな文字で、わかりやすく書かれているので、
すぐに読みきれます)
3冊目くらいを読んだあたりから思ったことがありました。
今回、講演を聞いた後で連れ合いも同じことを言いました。
「あの人は、聖者かもしれない」。
178センチの、少し頭がうすくなってきた(夜回り先生の表現です)
「聖者」の言葉は、
すごくシンプルで、
すごく単純な事柄でした。
それは「もっと優しくなろう」ということではないかな、と。
社会に対しても、人に対しても、そして自分の子どもや夫や、
最終的には、自分に対しても。
卵巣癌を抱えておられながら、その事実を真摯に受け止め、向き合い、さらに希望を持ちつつ暮らしを営まれているその姿に感動すら覚えます。
水谷先生の講演はとても素晴らしかったです。
その中で、ご自身の体のことにもふれられていて
「最後かもしれない」とも言っておられました。
静かに、「死ぬことは怖くない」といい
「でも私が死んだ後に、子ども達が後追いするのが、それが怖い」と言っておられました。
ブログに書いたら、誤解を招くかもと思い書かずにいましたが、確かにそういう子もいるのでは、と思える、それくらいに子ども達に命をかけて、向き合っている先生だと思いました。
ブログも拝見させてもらいました。
また寄らせてもらいますね。
最近、水谷先生の話題がでたばかりで思わず反応してしまいました。
実は私は2年まえに卵巣癌で5年の生存率30&と言われたものです。
夏に再発してしまったのですが
自称「誰よりも元気にみえる癌患者」で毎日元気いっぱい活きています。
先日、癌サバイバーの講演会にいったかえりに思い浮かべたのが水谷先生でした。
長女が大学生の頃、大学主催で水谷先生の講演会が行われた時
友人達と娘も参加して生の水谷先生のお話をきいてきました。
その時、「最後の講演会になるでしょう」とご本人もおっしゃっていました。
既に末期と呼ばれている癌患者だった水谷先生
入院することもなく(夜回りを休み事もなく)今も活き続けて活動を続けられているその姿を思い浮かべていたのですが
こんな形で以前の変わらぬ姿を拝見することができました。
ありがとうございます。
素敵なブログにも感動出逢えたことに感謝しています。
あらためてヨロシクお願い致します(^_-)-☆
夜回り先生のサイン会、握手会は佐渡会場ではありませんでした。講演内容をテープではとっていなかったのでお渡しすることもできず、ごめんなさい。
内容的には、夜回り先生が書かれている著作とほとんど変わりはありませんが、やはりライブだと迫力があり、伝わるものも多かったです。
様々なところで講演活動をされているはずです。ぜひ聞きにいってみてください。