「そこの道で猫がダンボールにはいっとったわ」
「捨て猫ですか?」「そうだと思う」
「ま~たそういう人がおるんだから」と私はしかめ顔。
集落の人との会話です。
猫の発情期が過ぎると集落に捨て猫が増えます。
どういうわけなのか、山の中に捨てる人が多く、
この集落でも猫が何度も捨てられていきました。
「あの子猫は大分大きくなっとったなあ」
「何匹くらいいたんですか?」「8匹くらいおったかなあ」
「そんなに!」
我が家では、猫はもういるから(これも捨て猫でした)飼うことはできません。
でも何となく気になってしまい、この話を連れ合いにした後、
次の日ゴミ捨てに行くついでに
「もし、ひもじそうだったら連れてきてあげて。
ミルクくらいはあげたいから」と言ってみました。
10分後、帰ってきた車の中には、ネコ缶のダンボール箱が1箱!
「いたの?何匹?」と、ちょっと喜んで聞いてしまった私。
そしたら「死んでいたよ」と一言。(軽くショックを受ける私)
死んできた猫だけど、葬ってあげるために持ってきてくれたのです。
「カラスに突かれて死んでいたよ。2匹死んでいた。かわいいよ、見る?」
その子猫は、眠っているようで本当に可愛かった。
でも確かに死んでいました。
2人で畑の脇に穴を掘って埋めてあげました。
一度も声を聞いたこともない、触れ合ったこともない猫なのに
土をかぶせる時には涙がでてしまいました。
「むごいことをするねえ」
カラスが、ではありません。
この猫たちをこんな場所にまで捨てようとした人が、です。
こんな風に死んでしまうとわかっていても、捨てた人は
こんな捨て方をしたのでしょうか?
山の中に捨てるほうが、ずっと小動物にとっては過酷なはずです。
天敵が山のようにいて、ことにあの場所はカラスが常にいる場所でした。
逃げようと思っても中々逃げられない、カラスが意外に強いのです。
ドラえもんがいたら、なんかの機械をだしてもらってこの猫を捨てた人を
探してもらっているところです。(ぷんぷん)
動物「愛護」でも何でもないと思います。
生き物は捨ててはいけません!
(飼うならきちんと去勢を!)
※写真は我が家の猫です。食事中。
「捨て猫ですか?」「そうだと思う」
「ま~たそういう人がおるんだから」と私はしかめ顔。
集落の人との会話です。
猫の発情期が過ぎると集落に捨て猫が増えます。
どういうわけなのか、山の中に捨てる人が多く、
この集落でも猫が何度も捨てられていきました。
「あの子猫は大分大きくなっとったなあ」
「何匹くらいいたんですか?」「8匹くらいおったかなあ」
「そんなに!」
我が家では、猫はもういるから(これも捨て猫でした)飼うことはできません。
でも何となく気になってしまい、この話を連れ合いにした後、
次の日ゴミ捨てに行くついでに
「もし、ひもじそうだったら連れてきてあげて。
ミルクくらいはあげたいから」と言ってみました。
10分後、帰ってきた車の中には、ネコ缶のダンボール箱が1箱!
「いたの?何匹?」と、ちょっと喜んで聞いてしまった私。
そしたら「死んでいたよ」と一言。(軽くショックを受ける私)
死んできた猫だけど、葬ってあげるために持ってきてくれたのです。
「カラスに突かれて死んでいたよ。2匹死んでいた。かわいいよ、見る?」
その子猫は、眠っているようで本当に可愛かった。
でも確かに死んでいました。
2人で畑の脇に穴を掘って埋めてあげました。
一度も声を聞いたこともない、触れ合ったこともない猫なのに
土をかぶせる時には涙がでてしまいました。
「むごいことをするねえ」
カラスが、ではありません。
この猫たちをこんな場所にまで捨てようとした人が、です。
こんな風に死んでしまうとわかっていても、捨てた人は
こんな捨て方をしたのでしょうか?
山の中に捨てるほうが、ずっと小動物にとっては過酷なはずです。
天敵が山のようにいて、ことにあの場所はカラスが常にいる場所でした。
逃げようと思っても中々逃げられない、カラスが意外に強いのです。
ドラえもんがいたら、なんかの機械をだしてもらってこの猫を捨てた人を
探してもらっているところです。(ぷんぷん)
動物「愛護」でも何でもないと思います。
生き物は捨ててはいけません!
(飼うならきちんと去勢を!)
※写真は我が家の猫です。食事中。
飼うなら最後まで
飼えないなら最初から飼わない方が動物の為ですね
お二人とも本当にお優しいのですね
ちゃんと弔ってあげてなかなか出来ないですよ
去勢するのを「かわいそう」と言うのは、う~ん、違うように思うんですよね。(そりゃかわいそうだが)
死んでしまった猫だけれど、連れてきてくれたのは、私も偉いなあ、と思いました。