新潟交通が運営していたシルバービレッジ佐渡が、昨年の8月末で閉館しました。
この事実を知った時は、心から驚きました。
きっとこの驚きは、私くらいの世代の佐渡人ならば(30代から上の世代でしょうか?)
わかっていただけるのではないか、と思うのです。
今となれば、決して大きな宿泊施設とはいえないのですが、
私がまだ幼い時は、島唯一の「こじゃれたホテル」なイメージで売り出しており、
さらにいえば、島唯一の「レストラン」でもありました。
(あくまで20年近く前の個人的なイメージです)
そのイメージはそんなに、ずれたものではなかったと思うのです。
何故なら、小学生当時、皇室の秋篠宮ご夫妻(紀子様ブーム頃だったかしら?)が
ご来島された時、シルバービレッジでお食事をされた、という実績もありましたから。
今でも、60代の母はご馳走を食べに行くならシルバービレッジという感覚を
持ち続けていました。
漠然と、根拠もなく、ずっと営業し続けていくんだろうと思い続けていました。
それだけに、扉の「閉館のお知らせ」には、思いがけないショッキングな知らせでした。
このシルバービレッジは、宿泊施設というだけでなく
もう一つ、佐渡の伝統芸能に大きな貢献をしていました。
それは文弥人形芝居の定期上演です。
宿泊棟であるシルバービレッジに隣接して、「佐渡文弥人形館」なる建物が建てられており、
1日に3回も上演をしていたのです!
今の佐渡の文弥人形の衰退を知る人ならば、本当に驚くべき功績ではないか、と思います。
上演される演目は山椒大夫の安寿と厨子王が、盲目の母親と出会うシーンを15分で演じるもの。
語りはテープで、人形遣いは2人(時に1人)、という形態で、続けられていました。
上演ロケーションもなかなかなものではないかと・・・
文弥人形の人形遣いの名人・故濱田守太郎氏は、
シルバービレッジ佐渡の社員として、この人形館を守り、
後継者育成に熱心に取り組んでいたそうです。
濱田氏亡き後、文弥人形が伝統芸能として発展していったかといえば、
もちろんそうはいえないでしょう。
シルバービレッジ佐渡の文弥人形の公演が
常に観光客の方から、よい評価がもらえていたわけでもなかったようです。
でも、それでも私は「よく続けてくれた」と惜しみない拍手をおくりたい。
もし、握手できるならば(誰と?)ちぎれんばかりに、その手を握りたい。
なんというか、例えが的確ではないかもしれませんが、
命のバトンを、本当にぎりぎりのギリギリまで、持ち続けてくれた。
そんな風にすら思えるのです。
頑張ってくれた。もう今は、これしか言えません。
もしも、これから先、皆様に文弥人形という佐渡の伝統芸能を見る機会があるならば、
「国指定重要無形民俗文化財」という肩書きは、取り外して鑑賞していただけたら嬉しいです。
佐渡の小さな小さな村々の農閑期に、
テレビはおろか、ラジオも雑誌1冊もなかったような時代の、
唯一の娯楽として人々を楽しませていた、
農民(あるいは漁民)が演じる、素朴な人形芝居にすぎない、
荒波の前の、小さなろうそくの火のような人形芝居なのだと、
そう思って見てもらえれば、きっと心に響く何かがあるのではないかなあ、と思います。
(ほら、観光客の方々ってほら、結構シビアにご鑑賞されるものですから、ねえ。
人形の着付けがイマイチ、とか、東京公演の文楽のほうが腕が上、とか。
それはちょっと、観点が違うように、ほら、ねえ?思うわけですよ)
当然といえば当然ですが、神奈川出身のダンナには、
閉店の報に呆然としている妻の心境は全くわからず。
一ホテルの閉店がそんなに?という感じで、そう言われてしまえば、そうなんですけどね。
まあ、佐和田人でしたし。フォローの1クリックをどうぞよろしくお願いします↓
この事実を知った時は、心から驚きました。
きっとこの驚きは、私くらいの世代の佐渡人ならば(30代から上の世代でしょうか?)
わかっていただけるのではないか、と思うのです。
今となれば、決して大きな宿泊施設とはいえないのですが、
私がまだ幼い時は、島唯一の「こじゃれたホテル」なイメージで売り出しており、
さらにいえば、島唯一の「レストラン」でもありました。
(あくまで20年近く前の個人的なイメージです)
そのイメージはそんなに、ずれたものではなかったと思うのです。
何故なら、小学生当時、皇室の秋篠宮ご夫妻(紀子様ブーム頃だったかしら?)が
ご来島された時、シルバービレッジでお食事をされた、という実績もありましたから。
今でも、60代の母はご馳走を食べに行くならシルバービレッジという感覚を
持ち続けていました。
漠然と、根拠もなく、ずっと営業し続けていくんだろうと思い続けていました。
それだけに、扉の「閉館のお知らせ」には、思いがけないショッキングな知らせでした。
このシルバービレッジは、宿泊施設というだけでなく
もう一つ、佐渡の伝統芸能に大きな貢献をしていました。
それは文弥人形芝居の定期上演です。
宿泊棟であるシルバービレッジに隣接して、「佐渡文弥人形館」なる建物が建てられており、
1日に3回も上演をしていたのです!
今の佐渡の文弥人形の衰退を知る人ならば、本当に驚くべき功績ではないか、と思います。
上演される演目は山椒大夫の安寿と厨子王が、盲目の母親と出会うシーンを15分で演じるもの。
語りはテープで、人形遣いは2人(時に1人)、という形態で、続けられていました。
上演ロケーションもなかなかなものではないかと・・・
文弥人形の人形遣いの名人・故濱田守太郎氏は、
シルバービレッジ佐渡の社員として、この人形館を守り、
後継者育成に熱心に取り組んでいたそうです。
濱田氏亡き後、文弥人形が伝統芸能として発展していったかといえば、
もちろんそうはいえないでしょう。
シルバービレッジ佐渡の文弥人形の公演が
常に観光客の方から、よい評価がもらえていたわけでもなかったようです。
でも、それでも私は「よく続けてくれた」と惜しみない拍手をおくりたい。
もし、握手できるならば(誰と?)ちぎれんばかりに、その手を握りたい。
なんというか、例えが的確ではないかもしれませんが、
命のバトンを、本当にぎりぎりのギリギリまで、持ち続けてくれた。
そんな風にすら思えるのです。
頑張ってくれた。もう今は、これしか言えません。
もしも、これから先、皆様に文弥人形という佐渡の伝統芸能を見る機会があるならば、
「国指定重要無形民俗文化財」という肩書きは、取り外して鑑賞していただけたら嬉しいです。
佐渡の小さな小さな村々の農閑期に、
テレビはおろか、ラジオも雑誌1冊もなかったような時代の、
唯一の娯楽として人々を楽しませていた、
農民(あるいは漁民)が演じる、素朴な人形芝居にすぎない、
荒波の前の、小さなろうそくの火のような人形芝居なのだと、
そう思って見てもらえれば、きっと心に響く何かがあるのではないかなあ、と思います。
(ほら、観光客の方々ってほら、結構シビアにご鑑賞されるものですから、ねえ。
人形の着付けがイマイチ、とか、東京公演の文楽のほうが腕が上、とか。
それはちょっと、観点が違うように、ほら、ねえ?思うわけですよ)
当然といえば当然ですが、神奈川出身のダンナには、
閉店の報に呆然としている妻の心境は全くわからず。
一ホテルの閉店がそんなに?という感じで、そう言われてしまえば、そうなんですけどね。
まあ、佐和田人でしたし。フォローの1クリックをどうぞよろしくお願いします↓
実は来月にも利用させて頂こうかと、何気に検索していたところ、この記事に辿り着き、閉館の事実を知って思わず書き込んだ次第です。残念ながら仕事の関係で、文弥人形という佐渡の伝統芸能を見る機会は無かったのですが、機会があれば一度見てみたいと思います。
最後になりましたが、長々と書いてしまった事、お許し下さい。
早々
大変嬉しいです。
地元に根付いたホテル、という感覚は決して間違いではない感覚です。
そしてそうしたホテルに心地よさを感じてくださったこと、佐渡人としてお礼を申し上げたい気持ちです。シルバービレッジはリー@新潟さんのような方に支えられていたのですね。
もしも将来、新潟交通の社長さんにお会いする機会があったらば、そうしたお客さんの声を届けたいと思います。コメントありがとうございます。
佐渡市佐和田にある、新潟交通(新潟市)所有の「シルバー・ビレッジ」の土地、建物を道を挟んで旅館業の「浦島」に売却する事になった。このため新潟交通は特別損失2億2千100万円計上した。売却価格は4千万円。現在内部を備品を撤去改装中で「浦島」はなるべく早くオープンを目指す。
おじゃま~しました!
そのニュースは知りませんでした。
改装中ということも知りませんでした。
ひとつの時代が終わり、始まりに向けて動いているのだと感じます。
ありがとうございました。
同じ島人として嬉しい事です。
バイキング形式がいいなぁ~!
オバ様達のお喋り場(日常の雑念からの解放)
が欲しいです。
あの通りは通りませんからね~。
すいふようさんがおば様だったなんて知りませんでした(笑)
いつか元シルバービレッジでお会いしましょう。
佐渡と言えばシルバービレッジ!と言う位の場所だったと思います。
大人になってから何度も佐渡に行っては、何度もシルバービレッジの周りを探索しています。
今はだいぶ変わってしまい、当時住んでた家もなくなりましたが、野良犬に追いかけられて登ったシルバービレッジのフェンスは、当時のままあります。
懐かしく思い投稿せずにはいられませんでした。
今年もまた佐渡に行きます(^-^)
野犬に追いかけられたというのは、とても時代を感じる描写、ありがとうございます。私も経験があります(笑)
現在は、斜め前の浦島さんがレストランという形で経営していて、建物の形は残っていますが、当時とはだいぶ趣が変わりましたね。
佐渡においでの際にはぜひ、当時を懐かしんでほしいです。