※読み聞かせ中の息子と聞いている途中の娘。気が向くとこんなことを始めます。
多くの人に驚かれるこの事実。
現在の我が家にはテレビがありません。
アナログ放送が終わる時に「テレビを買うのをやめようか〜」と夫婦で話し合って
実行し、今に至ります。
その直前まで、家族全員で「お母さんといっしょ」にはまっていて、
あんまりよい状態ではないと思っていました。
理由は「どうかすると、いつまでも見てしまうから」(笑)
やるべきことはたくさんあるのに、だらだらと見てしまう。
それに客観的に気づいた時に、これはやばいと
私でなく、夫が気づいた!
断捨離の第一歩は、もしかしたらこのテレビだったのかもしれません。
とはいっても、映像を全く見ていないわけではなくDVDを見たりはしています。
でも「これが見たい」という意志で選んだもので、レンタル屋さんで少額とはいえ
リアルにお金を払っているので、きちんと見ようという意志がはたらきます。不思議と。
だらだら見をすることが、一切なくなったなど、かえってよかった〜と思えることが多いので、
おそらく今後も購入することはないだろうなあ、と思います。
「どうしても見たいわけではない番組を見ることで、
人生のかなりの時間を無駄にしているんじゃないかな」
ぼそっと言った夫の言葉が鮮明に残っています。
当時、使えなくなったテレビは、アナログ終了時期ということもあり、
様々なところで回収を呼びかけていました。
その中で、発展途上国に送って中の部品を有効に使ってもらうというプロジェクトを
されている団体を見つけ、そちらに送らせてもらいました。
郵送料はそれなりにかかりましたが、
有効に使ってもらえることが何よりも嬉しい。
かなり悩むことが多い色々な「物との問答」の中でも
テレビは比較的あっさりと手離せたなあ、と思うモノのひとつでした。
テレビを見なくなったからなのか、どうなのか、
本を読む時間が増えました。
読む読む…
読む読む…
最近は息子は速読を覚えました…。
娘は、「目が悪くないテレビ」を発明し(嬉々として作った紙でできたテレビ)延々と遊んでいました。
◉自転車
都会に住んでいた頃は、自転車は必需品でした。
駅前のコンビニに、一駅先の待ち合わせに、駐輪所の問題こそあれ、
いい足になって
毎日乗り回していました。
だけど、田舎の、それも坂道が極端に激しい集落に住んでいると、
自転車のでる機会は、それこそ1年に1回もない有様になりました。
おりしも時期は、鉄不足の頃で、鉄回収業者がたびたび訪れていました。
夫の自転車はそちらに。
後ほど私の自転車は、平場に住んでいる母に譲りました。
多くの人に驚かれるこの事実。
現在の我が家にはテレビがありません。
アナログ放送が終わる時に「テレビを買うのをやめようか〜」と夫婦で話し合って
実行し、今に至ります。
その直前まで、家族全員で「お母さんといっしょ」にはまっていて、
あんまりよい状態ではないと思っていました。
理由は「どうかすると、いつまでも見てしまうから」(笑)
やるべきことはたくさんあるのに、だらだらと見てしまう。
それに客観的に気づいた時に、これはやばいと
私でなく、夫が気づいた!
断捨離の第一歩は、もしかしたらこのテレビだったのかもしれません。
とはいっても、映像を全く見ていないわけではなくDVDを見たりはしています。
でも「これが見たい」という意志で選んだもので、レンタル屋さんで少額とはいえ
リアルにお金を払っているので、きちんと見ようという意志がはたらきます。不思議と。
だらだら見をすることが、一切なくなったなど、かえってよかった〜と思えることが多いので、
おそらく今後も購入することはないだろうなあ、と思います。
「どうしても見たいわけではない番組を見ることで、
人生のかなりの時間を無駄にしているんじゃないかな」
ぼそっと言った夫の言葉が鮮明に残っています。
当時、使えなくなったテレビは、アナログ終了時期ということもあり、
様々なところで回収を呼びかけていました。
その中で、発展途上国に送って中の部品を有効に使ってもらうというプロジェクトを
されている団体を見つけ、そちらに送らせてもらいました。
郵送料はそれなりにかかりましたが、
有効に使ってもらえることが何よりも嬉しい。
かなり悩むことが多い色々な「物との問答」の中でも
テレビは比較的あっさりと手離せたなあ、と思うモノのひとつでした。
テレビを見なくなったからなのか、どうなのか、
本を読む時間が増えました。
読む読む…
読む読む…
最近は息子は速読を覚えました…。
娘は、「目が悪くないテレビ」を発明し(嬉々として作った紙でできたテレビ)延々と遊んでいました。
◉自転車
都会に住んでいた頃は、自転車は必需品でした。
駅前のコンビニに、一駅先の待ち合わせに、駐輪所の問題こそあれ、
いい足になって
毎日乗り回していました。
だけど、田舎の、それも坂道が極端に激しい集落に住んでいると、
自転車のでる機会は、それこそ1年に1回もない有様になりました。
おりしも時期は、鉄不足の頃で、鉄回収業者がたびたび訪れていました。
夫の自転車はそちらに。
後ほど私の自転車は、平場に住んでいる母に譲りました。
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