味噌をもらいました、それから味噌の昔話も。
その日の早朝 「ウチの味噌、かむりがきたもんだし、ヤギ用にどうらか」
と、集落の人から電話がきました。
「カムリガキタ」
…思わず、電話の前の黒板に書き付けました。
たぶん方言だと思うけれど、電話口で聞くのは野暮。
できれば、実際にお会いした時に聞きたい、
できればお話しながら、その意味を「こんな意味合いかな?」くらいに
把握するのが、自分の中ではベストです。
「その言葉の意味はなんですか?」とストレートに聞くのは
ちょっと野暮。
これは、連れ合いと話しながら決めたルールみたいなもので、
まあ「ちょっとした遊び」を楽しんでいるような感じ、かもしれません。
「山羊にやるもんだし」とおっしゃっている様子から
きっと味噌のよくないものだと思うのですが…。
さて、実際にお宅にお邪魔して、いただいた味噌はこんな感じ。
全然悪くなっている様子はありません。
それどころか、めちゃくちゃいい香り。
美しい…。
「どこが、その「カムリ」なの?」
出掛けた連れ合いに聞くと、どうやら
「『かむり』とは、カビの一種らしいけれど、
わたカビのようなものではなく、味噌カメの表面にでる黒いカビのことのようだ」と教えてくれました。
(※推測なので確定的ではないです)
それを薄くとったものを、集落のお母さんは、バケツ一杯分も(!)渡してくれました。
黒カビといっても、食べて害のあるものではないようで、
一見したところ、どれがそのカビなのかわからないくらい。
「山羊にやる言うても、人間が食べられないもんじゃねえし。
よかったら食べてみてくれえ」とも言ってくれました。
麹のつぶがまるで模様のように、あふれるほど沢山入っている贅沢なお味噌。
早速、お味噌の容器に入れておきました。
山羊にやるにはもったいないくらいの上級お味噌です。
(山羊にも猫にも息子にも、みんなにあげました)
「夫婦二人で食べるには多いくらいではないか」と聞いたら
「一年では食べきれない」と笑っていたそうです。
でも、「大家族で住んでいた時でも一年では食べきれなかった」ほどの量だったそうで、
「味噌の量」が、そのままその家の豊かさをあらわしていたのかもしれない、と感じる言葉でした。
いただいたお味噌で作ったみそ汁は、超高級おみそ汁に変身!
めちゃくちゃ美味しいみそ汁になりました。
そのみそ汁を飲みながら
「うちも(一年間足りるくらいの)味噌を作りたいねえ…」
としみじみ連れ合いが言いました。
そして「本当に…」と、しみじみ答える私。
それから「なんかもうウチにとって味噌作りって『手作り食品』じゃないよね」
とうなづきあいました。
「味噌作り」が「手作り食品」という、
どこか非日常的な響きをもつ意味合いの「食品」では
なくなってきたんだなあ…と。
この長いような短いような田舎暮らしの中で、
「味噌作り」は「一年の予定」の中に無意識にでも、まあきっちりと組み込まれていて、
うっすらとでも「生活になくてはならないもの」になってきたようです。
それは、かつての自分が想像していた「素敵なもの」とはちょっと違っていて、
もっと「生活に根ざしている土臭いもの」であり、
もっと「切羽つまっているもの」でもありました。
農家の人達が「やらんきゃなんね」とあわてるような、
まあちょっと心穏やかでない焦燥感を、ともなうものでもありました。
自分たちの味噌がなくなれば、店にいけば買うことももちろんできるので、
切羽詰まるものでは全然ないのですが、
それはなんか「貯金がなくなった」状態のまま暮らすような感覚で、
その状態のまんま、残りの一年過ごすのは、
なんというか…ちょっと心もとない、というか、そんな感じです。
はやく、一年分の味噌が仕込めるくらいの大豆が自前で収穫できるような
そんな状態になりたいな、と思います。
ささやかな、でも結構大変な願望です。
その日の早朝 「ウチの味噌、かむりがきたもんだし、ヤギ用にどうらか」
と、集落の人から電話がきました。
「カムリガキタ」
…思わず、電話の前の黒板に書き付けました。
たぶん方言だと思うけれど、電話口で聞くのは野暮。
できれば、実際にお会いした時に聞きたい、
できればお話しながら、その意味を「こんな意味合いかな?」くらいに
把握するのが、自分の中ではベストです。
「その言葉の意味はなんですか?」とストレートに聞くのは
ちょっと野暮。
これは、連れ合いと話しながら決めたルールみたいなもので、
まあ「ちょっとした遊び」を楽しんでいるような感じ、かもしれません。
「山羊にやるもんだし」とおっしゃっている様子から
きっと味噌のよくないものだと思うのですが…。
さて、実際にお宅にお邪魔して、いただいた味噌はこんな感じ。
全然悪くなっている様子はありません。
それどころか、めちゃくちゃいい香り。
美しい…。
「どこが、その「カムリ」なの?」
出掛けた連れ合いに聞くと、どうやら
「『かむり』とは、カビの一種らしいけれど、
わたカビのようなものではなく、味噌カメの表面にでる黒いカビのことのようだ」と教えてくれました。
(※推測なので確定的ではないです)
それを薄くとったものを、集落のお母さんは、バケツ一杯分も(!)渡してくれました。
黒カビといっても、食べて害のあるものではないようで、
一見したところ、どれがそのカビなのかわからないくらい。
「山羊にやる言うても、人間が食べられないもんじゃねえし。
よかったら食べてみてくれえ」とも言ってくれました。
麹のつぶがまるで模様のように、あふれるほど沢山入っている贅沢なお味噌。
早速、お味噌の容器に入れておきました。
山羊にやるにはもったいないくらいの上級お味噌です。
(山羊にも猫にも息子にも、みんなにあげました)
「夫婦二人で食べるには多いくらいではないか」と聞いたら
「一年では食べきれない」と笑っていたそうです。
でも、「大家族で住んでいた時でも一年では食べきれなかった」ほどの量だったそうで、
「味噌の量」が、そのままその家の豊かさをあらわしていたのかもしれない、と感じる言葉でした。
いただいたお味噌で作ったみそ汁は、超高級おみそ汁に変身!
めちゃくちゃ美味しいみそ汁になりました。
そのみそ汁を飲みながら
「うちも(一年間足りるくらいの)味噌を作りたいねえ…」
としみじみ連れ合いが言いました。
そして「本当に…」と、しみじみ答える私。
それから「なんかもうウチにとって味噌作りって『手作り食品』じゃないよね」
とうなづきあいました。
「味噌作り」が「手作り食品」という、
どこか非日常的な響きをもつ意味合いの「食品」では
なくなってきたんだなあ…と。
この長いような短いような田舎暮らしの中で、
「味噌作り」は「一年の予定」の中に無意識にでも、まあきっちりと組み込まれていて、
うっすらとでも「生活になくてはならないもの」になってきたようです。
それは、かつての自分が想像していた「素敵なもの」とはちょっと違っていて、
もっと「生活に根ざしている土臭いもの」であり、
もっと「切羽つまっているもの」でもありました。
農家の人達が「やらんきゃなんね」とあわてるような、
まあちょっと心穏やかでない焦燥感を、ともなうものでもありました。
自分たちの味噌がなくなれば、店にいけば買うことももちろんできるので、
切羽詰まるものでは全然ないのですが、
それはなんか「貯金がなくなった」状態のまま暮らすような感覚で、
その状態のまんま、残りの一年過ごすのは、
なんというか…ちょっと心もとない、というか、そんな感じです。
はやく、一年分の味噌が仕込めるくらいの大豆が自前で収穫できるような
そんな状態になりたいな、と思います。
ささやかな、でも結構大変な願望です。
子供が産まれてから作り始めた味噌。本当は今年3年目なんですが、1年目は子育てやら仕事が思った以上に手がかかり、味噌にかまえず、1年目が2年越しの味噌になりました(笑)それでもたまり醤油が出来たり、味噌もしょっぱいだけで、合わせ味噌としてちゃんと使えました。
今年は味を占めて、ほぼ1年分、作りました。カメを開けるのが楽しみ♪子育ての合間の味噌造りも、日々時間とのおいかけっこですが、よいしょ!と作った味噌やお酒やジャムとか出来る頃には過ぎた年月と愛情で、なんとも言えない気分ですよね。時々、今どうしているかな?とか思ったりして。
私も近いうちに、また、よいしょ!と味噌を引っ張り出して楽しもうと思います♪
家の中に自分で作った味噌があって、それを気にしつつ生活する生活はいいですよね。
都会だと余計にそれがよかったりしますよね。
私も心のよすがにしていました。
一年分も作られたとは!すごい!
年月も愛情も、きっとダンナさんにもお子さんにも伝わっているでしょう。
お子さんもきっと大きくなられたのでしょうね。
また、そんなお話聞かせてくださいね。