小木のいももち作りの現場を取材してきました。
知り合いが、この施設にサツマイモを出荷している関係で
取材をとりつけてもらいました!
小木の琴浦という集落は、昔からサツマイモが豊かにとれるところで
その芋をつかった食品として、いももちは、ここで作っている
お母さんたちが「嫁に来たときからつくっとった」というほどの郷土食です。
4人の人達が2人ずつ交代で、いももちを作っているそうです。
ここの施設では、いももちの他に地元の農家さんが自分とこでとれた
野菜や海産物の余剰分を販売しています。
せっかくなので、我が家の食べ物も買っていくことにしました。
キャベツを手に取ると
「このカンラン(キャベツの古語?)はそこのナントカさんが作ったものだ」といい、
岩のりを買うと
「砂がまじらんように上手にとったんだっちゃ」と言ってくれる。
それぞれの食べ物に、それぞれのストーリー、とかいうと大げさだけれど
あるように思います。
ここでキャベツを売っても、ここで豆腐を作っても得られる現金はわずかです。
だけど、そのわずかな現金でも十分に生きていくだけの、他のものが
佐渡にはちゃんんと用意されている、といつも思うことだけれど、感じます。
「豊かだねえ」といつも連れ合いと言います。
だけど、これを「豊か」といっちゃいけないものが、
おそらく都心からながれてくる情報の中にはあるのだろうなあ、と思います。
いつも豊かだ、豊かだと私達の間では言うけれど、
その豊かさだけで生きてはいってはいけない!何をばかなことを!
と言われているような感覚がいつも、つきまといます。
佐渡に暮らすようになってからは余計に、でしょうか。
もちろん日本全土がこの豊かさだけで生きていけるとは思いません。
だけど、この豊かさだけで生きていくことを肯定する土地が
少しくらいあってもいい、と思うのです。
そういうことに、気づく土地があってもいいと思うのです。
そしてそれが自分が暮らす佐渡にあれば、と思うのです。
帰りは真野の西三川(にしみかわ)の直販所で(正規のりんごは高いので)
規格外のりんごを買いました。
今の時期は、果物はりんごが山盛りです。
南佐渡に行かれる際は、ぜひどうぞ。
知り合いが、この施設にサツマイモを出荷している関係で
取材をとりつけてもらいました!
小木の琴浦という集落は、昔からサツマイモが豊かにとれるところで
その芋をつかった食品として、いももちは、ここで作っている
お母さんたちが「嫁に来たときからつくっとった」というほどの郷土食です。
4人の人達が2人ずつ交代で、いももちを作っているそうです。
ここの施設では、いももちの他に地元の農家さんが自分とこでとれた
野菜や海産物の余剰分を販売しています。
せっかくなので、我が家の食べ物も買っていくことにしました。
キャベツを手に取ると
「このカンラン(キャベツの古語?)はそこのナントカさんが作ったものだ」といい、
岩のりを買うと
「砂がまじらんように上手にとったんだっちゃ」と言ってくれる。
それぞれの食べ物に、それぞれのストーリー、とかいうと大げさだけれど
あるように思います。
ここでキャベツを売っても、ここで豆腐を作っても得られる現金はわずかです。
だけど、そのわずかな現金でも十分に生きていくだけの、他のものが
佐渡にはちゃんんと用意されている、といつも思うことだけれど、感じます。
「豊かだねえ」といつも連れ合いと言います。
だけど、これを「豊か」といっちゃいけないものが、
おそらく都心からながれてくる情報の中にはあるのだろうなあ、と思います。
いつも豊かだ、豊かだと私達の間では言うけれど、
その豊かさだけで生きてはいってはいけない!何をばかなことを!
と言われているような感覚がいつも、つきまといます。
佐渡に暮らすようになってからは余計に、でしょうか。
もちろん日本全土がこの豊かさだけで生きていけるとは思いません。
だけど、この豊かさだけで生きていくことを肯定する土地が
少しくらいあってもいい、と思うのです。
そういうことに、気づく土地があってもいいと思うのです。
そしてそれが自分が暮らす佐渡にあれば、と思うのです。
帰りは真野の西三川(にしみかわ)の直販所で(正規のりんごは高いので)
規格外のりんごを買いました。
今の時期は、果物はりんごが山盛りです。
南佐渡に行かれる際は、ぜひどうぞ。
でも、中川さんと「つれあい」さんの「豊かだねー」
には万感がこもっているように思う。生き方全部(食べるもの使うものを自分で作ること、作っているときの気持ち、平和や働けることへの感謝・・・)が含まれてるからなあ。
これを大事にしないと、ホントに将来、とんでもないことになるぞ。