目指せ!ゼロウエイストな暮らし

モノを減らして、ゼロウエイスト。田舎でイラスト描いて暮らしています。

リサイクルよりも、大事なこと

2011年02月18日 | えこな記事
もっとごみを減らしたいと思いながら、生活してます。


生ゴミを堆肥にし、スーパーの袋に「no」と言い、
いらない景品にも「no」と言い
(本当にいらない景品が多い)、
外出時には水筒やらお弁当やら持ち歩いたりなんてしています。
着ることができるならつぎをあて、
ゴミにする前にはできるだけチェックして、使い切れないかと確かめます。



でも、あれこれどんなに頑張っても、週に1回のゴミの日に「ゼロ!」という日は、
恥ずかしながら1度もありません。

こんなに頑張っているのに何故ー?

理由がわかりました。


それはゴミがでない仕組みに社会全体がなっていないから、なんだと。(笑)

社会のせいにするのも心苦しいのですが、本当にそうなんです。

具体的にいえば、「包装容器」というゴミがでてしまいます。

これはもう個人努力ではなかなかどうにもなりません。


30円のもやしを買っても、10円のチロルチョコを買っても、ゴミがでてしまいます。
値段の大小ではないのです。
例えば1缶2000円のリーフティー(葉っぱの紅茶)を買っても、
1本298円の量産ホウキを買っても、必ずビニール袋でコーティングされていて、
購入した時点でゴミになります
声にならない叫び

海外のようにプラビニール袋に入れないまま、野菜なり道具なりを売っているお店は
佐渡に限らず、日本ではなかなかありません。

それは決して、気持ちのよいものではありませんでしたが、
しょうがないことかもしれない、と半ばあきらめていました。
(そこのことについて書いた(愚痴った)ブログがコチラ

しかし、それを差し引いたとしても、どうもここ何年か容器ゴミは増える傾向に
あるように思っていました。


生協に加盟している友人が「署名をお願いしてもいいかしら」とやってきました。
その陳述内容を見ると、
まさにそういった「ゴミが増えていたその理由」と、
その状況を改善するための国会請願署名活動が全国展開される、ということでした。


この「理由」には妙に納得。

そうだったのか!と。
だから、ゴミは以前よりも増えたのか、実感だけじゃなかったのか、と今更ながら
知りました。

ゴミが増えた理由の大元の法律は、「容器包装リサイクル法」

内容を、非常に大雑把に言えば


ナチュラルショップ通信で掲載予定のイラスト図説

「企業がリサイクルに対し自助努力しなくても、よい法律である」
「リサイクルのための負担金は、企業ではなく、行政が8~9割することになった法律である」

(消費者は行政に税金を払うので、結果的には企業が大変得をしている)

(もっと詳しく知りたい方はコチラのHPをご覧くださいませ)


こんな風に言ってしまうのもなんですが、無茶苦茶な法律だと思います。
少なくとも環境問題の視点においては。
リサイクル、という名を冠しているのに、ちっとも環境問題に貢献していない
すごく時代錯誤な法律です。
しかも、この法律は2003年というそう遠い昔ではない時代につくられている。
そこがまた不思議なところです。
エコと声高に叫ばれている最中の出来事です。

この法律ができた結果、環境負荷の高い(でも値段の安い)塩ビビニール袋などが未だに
梱包材として利用されています。

でももっと悪いことは、環境負荷の低いリユース瓶
(しょうゆ瓶や酒瓶などの容器を店頭で回収して再度使うこと)が、致命的なほど減少してしまった
ことです。


生協は、利益とは別の「理念」の部分で、リユース瓶を継続して利用しています。
だから、今回の署名活動にも組合員をあげて精力的に活動しているようです。


こうした状況を何とかしてくださいよ、
この法律の内容を見直ししてくださいな、というのが、今回の署名の陳述内容です。
(署名の用紙PDFや内容についてはコチラの「容器包装の3Rを進める全国ネットワーク」のHPをクリック。是非ご協力くださいませ)


闇雲なリサイクルは、
結果的には大量消費と大量廃棄を招く原因にしかならないようです。
そしてそうした消費の後に残るものが、実のあるものだとも思えません。


少し昔のスタイル、少々企業が「利益以外の部分」にもそれ相応の努力をする、
(たとえそれが少々建前的だとしても)それに消費者が理解して協力する、

「謙虚」というよりも、「当然」なスタイルを取り戻すときがきているように感じます。





ゴミが増えた、という直接的な書き方ではないけれど、
この日本の一種病的な消費について、
村上春樹は「日本の社会における消費のスピードがドラスティックに加速された」と
エッセイに書いています。
「僕はその凄まじい加速度を目にして、本当に、何の誇張もなくただ唖然としてしまったのだ。
思わず立ちすくんでしまったのだ」と。

さらにその社会を
「生命のあるもの、ないもの、形のあるものないもの、
そういうすべての物事や事象をかたはしから飲みこみ、無差別に咀嚼し、排泄物として
吐き出していく巨大な吸収装置」とまで書いています。

ベストセラー作家がいうと説得力が増しませんか?な1クリックを↓




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2 コメント

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Unknown (RIKOさんへ)
2011-06-17 14:32:41
コメントありがとうございます。
このブログはとても気合いを入れて書いたものですので、コメントを残していただいて嬉しいです。こちらのほうの活動に重点を置こうかと思っていたら大震災がおき、中座してしまったことを思い出します。
分解可能な容器も、都心では広がっているそうですがまだまだですよね。
もっと容器少なめな商品を売って欲しいと全ての企業にいいたいです。
声をあげていけたら、と思います。
返信する
そうなんだよ! (RIKO)
2011-06-17 14:10:45
こんにちは、少し前の記事のようですが、反応してしまいました。
私もゴミを減らそうと思っていますが、ゴミを出す日になると
袋がパンパンで、他の家のゴミより大きくて悲しくなります。
6人家族だから、それだけ食べるし、使うし…仕方ない、しくしく。
で、すましたくないんですよね。
容器を持っていくから必要な分だけ、売って欲しいなと思います。
それと、自然が分解可能な入れ物を使って欲しい。
読んでうれしくなったので、足跡代わりのコメントでした。
(^-^)/
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