晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

今、この時も!『ガザからの報告 現地で何が起きているのか』

2024年12月28日 | 読書

今年もあとわずか、テレビでは迎える正月準備の様子を映し出している。一方、昨年秋から続くガザの悲劇は終息の兆しが見えないまま2年目を越えようとしている。その連日の報道でも<ガザ住民の一人ひとりの日常生活と生の声伝わってこない>と、現地ジャーナリストのレポートを通して真の姿を伝える。今のパレスチナ社会では、住民の人的な喪失や建物の破壊以上にモラルの崩壊が起きている。ガザには木製の電柱が無いという。それを切って料理を作る薪にするためだ。窃盗の犯罪が蔓延、病院に置かれた遺体からのスマホや財布、靴さえも持ち去られる。そうした倫理とモラルの問題は、攻撃が終わっても未来に深刻な影響を与えるのではと危惧する。避難生活についても、雨が降るとテントの中が水浸しとなり、下水の水も入り込むので感染症と病気が心配。何も持たずに避難してきた子どもたちのために服が必要、食べ物を与えられない、飢餓の状態で息子を殺されたくない。子どもたちのためにも支援をと住民が訴える。そして怒りは、<未曾有の殺戮と破壊、屈辱を強いているのはイスラエル>だが、その引き金を引いたとしてハマスへも向いている。今回の契機となった昨年10月のイスラエルへの「越境攻撃」は「抵抗運動」ではない。イスラエルの占領だけでなく、ハマスの強権支配と暴走にも苦しんできた、と全てではないものの民衆の声も紹介する。確かに難しい問題だ。イスラエルが続けてきた「植民地主義支配・占領」を見過ごせと言うのか、「天井の無い監獄」と言われるガザの生活を受忍しなければならないのか。最後に著者は強く言う<「停戦」の実現が第一歩、ガザ住民の“生きる基盤”の再興、真の「ガザの解放」>さらに、<今の「ジェノサイドからの解放」でなく、問題の根源である「占領からの解放」がない限り、ガザの問題は終わらない>と。自分もそう思う。4万5千人を越えているガザ・パレスチナの犠牲者の7割が女性と子どもという。今朝の新聞で「冬の厳しい寒さで乳児3人が死亡―地中海沿岸の砂の上で避難のテント生活、気温の大幅な低下にも毛布が十分になく」と新たに「イスラエル軍による攻撃で38人が死亡」。もう、一刻の猶予もならない一日も早い停戦を。

    

(下記2枚の写真は本書より転載)

   

      (「パレスチナ子どものキャンペーン」支援募金のチラシ)   

    

                


眠っている差別ないか『「コーダ」のぼくが見る世界』

2024年12月18日 | 読書

この本を読むまではよく知らなかった「コーダ」という言葉。「Children of Deaf Adults」の頭文字(CODA)から取った<「耳が聴こえない、あるいは聴こえにくい親のもとで育った、聴こえる子どもたち」を意味する>。そのコーダ当事者の幼少期から現在に至る心の葛藤や周囲の眼差し、社会の差別、偏見に対して数多く綴り、問題提起する。例えば、聴こえない親への「通訳」として子ども時代に背負う役割。電話や来客への対応、役所や病院への付き添いなどだ。そのこと自体は嫌ではなかったが、大人の話が理解できない、うまく通訳できなかったことに自分を責めたこと。また、手話が上手でなかった著者はじめ、親とのコミュニケーションの取り方。「自分の耳も聞こえなければよかったのに」という複雑な思いを抱えるコーダも少なくないという。そして今の社会、不便さや不平等は子どもの頃に比べ解消しているものの<聴者の中に眠っている差別>の存在。安全性を担保できないとして乗り物や遊戯施設の利用制限が少なくない。進歩するテクノロジーの活用など図ろうとする前に<自分たちにかかる負担を想像して、諦めていないだろうか?>と問う。同様にサポートする製品開発の企業などにも当事者の声をもっと聴いてほしいとも。読み終えて「コーダ」の存在とともに、強く心に残った著者の言葉がある。障害への配慮に「優遇するのか」という反論を受けるが、「特別扱い」を願っているのではなく、<「同じように生きていきたい」という公平性>であり、<他の人々が当たり前のように利用できているものを同じように利用したいと言っているだけ><人として生きる上での「権利の尊重」でしかない>と。しっかりと耳に残したい。

      


どこかの山で出会いたい『片足で挑む山嶺』

2024年11月19日 | 読書

8歳で骨肉腫というガンのため左足を失った男性が綴る人生物語。11ヵ月間の入院を終えて始まる片足での生活は大変だったに違いない。だが本人はイジメにも負けず、友達との野球に興じるなど明るく前向きに過ごす。そこには<見られることに慣れなさい>との母親の教えや<やりたいことは自由にやりなさい>という後押し、もちろん本人自身の相当な努力も想像する。社会人となり、様々な競技スポーツを経て鉄人レースとも言われる水泳、自転車、ランニングのトライアスロンにも挑戦。しかし再び、絶望の淵に立たされることに。だが、それをも乗り越えて百名山と出会い、片足で全てを登った人がいないという事実に挑戦意欲が湧く。クラッチという杖を使い、体重を支えながら急坂も岩場も一歩一歩登って下る。すでに登頂を終えたという「大キレット」コースでの槍ヶ岳、自分は尻込みして未踏だ。剱岳の「カニのタテバイ」は前をよじ登る登山靴の裏を見上げながら、「ヨコバイ」も見えない前足の置き場を足先で確かめつつ必死の思いで登った記憶がある。NHKテレビで登山の様子を紹介された鹿島槍ヶ岳から五竜岳への縦走路も難所だ。健常者でも上級者向きで難関といわれる山々、コースを登ってきた。著者は、自分に与えられた“天命”は<五体満足で生きることでなく、「一本足」になって前人未踏を成すこと>。読者にむけて<自分に天命があることに気づいて、充実した人生を>とメッセージを送る。執筆した今年4月時点、百名山の残りは30座で幌尻岳、飯豊山、南アルプスなどの山々をあげている。自分の経験では技術よりも体力が必要だった。ぜひケガなどすることなく、目標を遂げてほしい。またトレーニング登山でどこかの山で会えることも願って。

          


少年に後押しされて小さな一歩でも『へいわってすてきだね』

2024年10月15日 | 読書

新聞の読者投稿欄で知ったこの絵本。小学1年生だった安里有生くんが「平和のメッセージ」に応募した詩を2013年の沖縄戦没者追悼式で朗読した。会場内の涙、TV中継で全国の感動と共感を呼んだその詩。さらに多くの人たちに伝えたいと絵本作家の長谷川義史氏が絵本に仕立てた。氏は「あとがき」で語る<(小学1年生の)純粋で、素直で、力強い、まっすぐな願い>が、開いた1ページ目からストレートに。そして、<みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。>など、その短い言葉そのままの心うち、情景がやさしい絵となって伝わってくる。<「ドドーン、ドカーン。」ばくだんがおちてくる こわいおと。>は、今のウクライナ、ガザをはじめ同じ境遇にいる子どもたちを思い出さざるをえない。最後のページに<ぼくのできることから・・・>と、幼い少年からの平和への誓い。90代近い投稿氏は絵本には「読み時」があり、今この本は再び読み時を迎えていると書く。読んで思う、我々大人は何をしているのだろうか。できることは小さく、限られている。それでもあきらめず、集まれば大きな声、いつかは力になると信じて行動しなければ。

            ちか


イスラエルは直ちに攻撃止めよ『ガザとは何か』

2024年09月26日 | 読書

昨年10月以来、もう1年になろうとする。ガザ地区を中心とするパレスチナに対するイスラエルへの攻撃が今日も続いている。ガザ地区が廃墟と化し、多くの女性、子どもを含む犠牲者が4万1千人を越えて、さらに増える一方。イスラエルは自衛であり、ハマスのせん滅、人質救出と言う。しかし、残虐な光景はパレスチナ人を皆殺しにしてパレスチナの国づくりを断念させようと映る。昨年直後の講演をもとにしたこの本は今に至る問題の根源を詳細に解説。鋭く、ストレートな物言いは分かりやすい。ガザの住民の7割が難民であり、なぜそうなったのか。2007年に始まったイスラエルによるガザの封鎖の中での生と死、今さらながら状況を深く知る。強調するのは、イスラエルのジェノサイド(大量殺戮)であること。イスラエル建国から始まる入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイトと断言する。まったくの同感である。著者が呼びかけている「即時停戦」、そして「イスラエルを戦争犯罪としての処罰」。それがアパルトヘイトの終了につながり、奪われているパレスチナ人の自由、人権を取り戻して人間らしく生きることができると言う。今、イスラエルはレバノンへの地上侵攻にも言及、さらなる戦火拡大も避けられない情勢。聞く耳を持たないイスラエルに支援を続けているアメリカはもちろん、国際社会はこの国の愚行を改めさせなければならない。

     

 

(『ガザとは何か』より転載)

     (同)

     

     


考えながら読み、読み終えても『もうじきたべられるぼく』

2024年09月03日 | 読書

生まれ育った牧場の母牛に会いに行くところ始まる小さな物語。まもなく食べられてしまうボクは最後にひと目だけの思いで列車に乗る。流れゆく車窓の景色とともに思い出すのは優しかった母のこと、広々とした牧場で過ごした楽しい日々、そして食牛としての自分のうんめい(運命)をも。牧場に着いてからのシーンの数々は想像を超えて何とも言えない。文章が無く、絵だけで発せられる言葉を想像するクライマックスの数ページ。それぞれに価値がある生命(いのち)の大切さ、そのことを静かに訴える絵本。流し読みすればわずか2・3分で読みきってしまうが、その何倍もかけて深読みし、本を閉じても考えさせられた。巻末の作者紹介にあるメッセージにも共感、子どもだけでなく多くの大人にも読んでほしいと思う。

       

 


加齢シーナの思い出日記『続 失踪願望。』

2024年08月17日 | 読書

「失踪願望」というタイトルに惹かれて久しぶりにシーナこと筆者の本を手にする。『岳物語』などの小説よりも釣りキャンプや焚き火宴会のエッセイが面白おかしく何冊も読んだ以前。気の合う仲間と「怪しい探検隊」と称し、好奇心や探求心のままに日本各地の無人島や世界の秘境に出かける。抱腹絶倒の場面や嗅覚鋭く美食・美酒にありつく姿に羨望するばかりだった。あの強靭な体力、行動力を兼ね備えた筆者も気が付けば80歳、その最近を日記風に綴る。読み進めるごとに思わず納得する日常。人並みに病院や孫の話、体力の低下がそうさせるのか時には弱気な一面も。しかし変わらないのは数日おきの食べて飲み語らう会。酒量は減ったが、その雰囲気の心地よさは昔とそう変わらない。半世紀以上も前から続く交遊録の延長ともいえる内容は登場人物みんなが好人物。それゆえ加齢とともに必然的に増えてくる別れがつらい。筆者の“失踪願望”とは、そうした仲間を偲んで回顧のひとり旅を思い描いているような気がする。

        


あらためて日航機事故を『書いてはいけない』

2024年08月14日 | 読書

520人が犠牲となった日航機墜落事故から39年を迎えた。その当日に知人から借りた本、勧められたとおり「日航123便はなぜ墜落したのか」の章から読み始める。冒頭に昨年6月、東京高裁での控訴審の判決シーン。墜落事故の遺族が日本航空にボイスレコーダー(音声記録装置)やフライトレコーダー(飛行記録装置)の開示を求めた控訴審が棄却されたのだ。すでに事故原因は国の調査委員会報告で「(過去の尻もち事故の際の修理不備による)機体後部の圧力隔壁の破損から尾翼一部、油圧装置が吹き飛んで機体コントロールを失い墜落事故が起きた」と確定。事故直後は目撃者の話など含め色々な憶測も飛び交っていたが世間と同じく、自分もこの説明を納得して受けとめた。しかし、過去の航空機事故では行われたことのあるデータ開示を何故に拒むのか、著者は不都合な真実が隠されているのではと事故当時の経緯を振り返る。墜落現場の特定が遅れたこと始め、関係者の証言や著作から「いち早く到着した米軍救援ヘリに中止の要請」「墜落直前の日航機に自衛隊2機が追尾、墜落情報により発進した自衛隊機とは時間差あること」「圧力隔壁説とは異なる異常外力の存在」「米軍横田基地への着陸断念」など多数の疑念。尾翼への何らかの飛翔体が自衛隊機のミサイル飛行実験中の何かであるとしたら、知り得るアメリカの協力を含む驚愕の大隠蔽説が浮上する。それが次章「日本経済墜落の真相」につながるという著者の推論。真相解明につながるとしたブラックボックス内の生データの開示請求は、ネット検索で今年3月に最高裁が上告を退けたと知った。あらためて、墜落原因に異を唱える書物(『日航123便 墜落の新事実』『永遠に許されざる者』『524人の命乞い』)を読むことにしたい。そして、生データ開示請求の裁判を取り上げない大手メディアに対して、以前のジャニーズ事務所や財務省と同じく“書いてはいけない”タブーとしているのか闘病中の著者同様大きく声を上げたいところである

        


爽やかな余韻のまま『父がしたこと』

2024年07月09日 | 読書

藩主を幼少のころから支え、側近である父とその後を追う子の物語。江戸時代の麻酔による外科手術の詳細には固唾をのむ。直近まで漢方による内科治療しかなかったころのことである。受ける藩主も相当な覚悟だったと思うが、まかり間違えば断罪にもなる医者。その手術と術後を見守る父と子も同様の覚悟で臨む。そして少し前に生まれた赤ん坊にも外科的治療が必要な症状が。当時の医療技術、手術道具、薬草を主とした医薬品など、作者はよく調べ上げたものだ。すべてがうまく進み、ハッピーエンドの予想。しかし身辺に影がちらつきはじめる。家を取り仕切っていた母の死、父の早い隠居という日常の変化はまだ序奏。続く、医者の不慮の死亡、父の海難事故。それに予想外の展開が隠されていた。武家父子の過酷な運命に往時の医療を重ねた行く末。『実意深切』という言葉も初めて知った。藩主の物言い含め、登場人物の爽やかな余韻のまま本を閉じた。

                                       


震災だけでなく『涙にも国籍はあるのでしょうか』

2024年05月24日 | 読書

東日本大震災14年目の今年も3月11日を中心に震災関連の多くの新聞記事。だが見出しや写真を追うだけで深読みをすることはなかった。この本を読み、過去に報道された内容の繰り返しという先入観だったことを深く反省させられた。新聞に掲載された特集記事をベースに岩手県・宮城県の沿岸で亡くなった外国人の生き方や痕跡を追いかけた内容。きっかけは国が外国人犠牲者数を把握していないことから始まる。そこには、元データ作成の自治体と厚労省の集約方法、警察庁の集計の考え方の違い、住民登録・外国人登録の制度的問題などが横たわる。しかし「亡くなったという事実」と各登録データとの突合せや身辺者との聞き取りを可能な限り行ったのだろうか。震災直後の混乱期ならまだしも10年以上たっても正確な死亡者やその数を知らない、調べを尽くそうとしない国や自治体。この本で取り上げられたのは、その中の数人。それでも、それぞれに多くの物語があった。海を越えて長く続く遺族との交流、母が亡くなった息子の滞在許可を支援する仕事仲間などの話もあるが、各章にわたる「涙にも国籍はあるのでしょうか」と問うテーマに考えざるを得ない。筆者は<この国の行政が潜在的に内包している、日本で暮らす外国人への「冷たさ」>、(今後、多民族国家に進んで行かざるを得ない日本において)<あまりにも不平等であり、何より不正義>と提起する。震災に限らず、目をこらして見渡していきたい。

        


ずっしりと重い『昭和街場のはやり歌』

2024年04月24日 | 読書

昭和の時代に多く歌われてきた馴染みのメロディー。「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉もあるが、GHQと戦後日本をつくったと書く「炭坑節」からウクライナ戦争を読み解くという「カチューシャ」まで20曲ほどの歌を紹介。表層的な部分のさらに奥深く、著者は<時代の深層に潜む真相>にまで迫る。少し先輩だが同じ団塊世代であり、思想的な見方にも共感しつつ興味深く読み進めた。「希求と喪失の章」の『あゝ上野駅』は今や<人生の応援歌でなく失われた故郷への挽歌>と指摘。特急寝台列車「はくつる」「ゆうづる」を利用した自分自身も郷愁とともに納得。「祈念と失意の章」の美空ひばりが歌う『一本の鉛筆』は<昭和の歌姫がうたい遺した鎮魂の反戦歌>とみる。聴いた記憶はあるが、彼女の幼児期の戦争体験など反戦意識の背景の推論には再認識。一部反対のなかで出演した第1回広島平和音楽祭、前年からの病をおして15回目の舞台で熱唱などの経緯について頷かされた。そして、ウチナー(沖縄)からヤマト(本土)への反問歌とする『沖縄を返せ』は、今なお危険な基地や辺野古問題をあらためて思い起こさせる。歌詞の一部が2度にわたって変えられてきたこと。最後の「♪沖縄を返せ 沖縄を返せ」を「♪沖縄を返せ 沖縄へ(に)返せ」に。続いて冒頭の「♪民族の怒りに燃える島」を「♪県民の怒りに燃える島」と。本土復帰への内容が明らかになって歌われなくなった時期、悲惨な事件・事故など幾多の経緯を経て再び歌われてきた。<沖縄人にとっては、幾度となく見捨てられた「祖国」に対する終わることのない反問>であり<かって彼らが“復帰”を願った「祖国」の住民にとっては、終わることのない自問でなければならない>と結ぶ。ユーチューブで実際に聴き、耳の奥深くにその叫びを留めておかねばと思う。本のサブタイトルである「戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと」が通奏低音となり、ずっしりと重く届いた本である。

        

 


タイトルの意味を深く知る『すくえた命』

2024年03月24日 | 読書

激しい暴行の末に遺体となって発見された妻であり母でもあったひとりの女性の死。その家族の「警察のせいで殺された」「警察の怠慢のせいで」という思いと真相を追究した地方テレビ局記者の取材記録である。実家に金を要求してきた女が男らを操り、ターゲットを女性家族に変えて数年にわたり金を巻き上げてきた。背後にヤクザがいると信じ込ませたグループは死亡事件の数か月前からエスカレート。女性を連れ出して同居させ、生活費やホストクラブ費用の支払いを名目に脅す。危害の恐れを感じた家族が警察署に十数回も相談、訴えるも家族間の金銭トラブルとして応じることなかった。家に押しかけて来た際の110番通報で出動した警察官も無対応。金銭要求する3時間の音声テープにも文字起しの上に再提出し、どれが脅迫、恐喝、強要にあたるか付箋するようにとの発言。とんでもない警察官、警察署があったものだ。この間、被害届を受理して捜査を開始していれば激しい暴行も、それが死に至ることにはならなかった。事件後、遺族の求めに一部謝罪するも納得のいく説明は得られなかった。さらに、その一部謝罪さえも翻されて警察の対応に問題無しとされる。県警も同様の見解、県公安委員会も追認する。公安委員会のトップは県警の顧問契約している事務所所属の弁護士とのこと、さもありなんだ。ネット検索した佐賀県警HPには「県民のために寄り添い、守り続ける力になりたい。」とある。どう寄り添って、どう守ってきたのか。著者の記者は「あとがき」でこう記す。報道、警察、政治を生業とする人間が寄り添うとは「背負うこと」。<ただ耳を傾けるのではなく、時には肩を貸し、その重みを分け合い、共に歩む>ことだと。印税は遺された子どもたちへというこの本。タイトルの「すくえた命」は<「すくえたかもしれない」でも「すくえたはずの」でもない。「掬(すく)えた」の意味も込めてひらがなで「すくえた命」>と付けた著者の気持ちが最後まで届く。

       


余韻はチェロの音色と『ラブカは静かに弓を持つ』

2024年02月15日 | 読書

著作権使用料の支払いを巡り、音楽著作権協会と音楽教室が争っていた裁判を思い出す小説。ある音楽著作権団体に勤める主人公の青年が音楽教室に生徒として潜入、裁判に有利な情報を得るよう命じられる。身分を偽り、少年時代の出来事で遠ざかっていたチェロを習うことに。再び弓を弾くことの楽しみを取り戻す2年間。使命をしばし忘れ、診療内科に通う不眠も徐々に改善。曲のイメージを共有する講師とのレッスン、同じ受講生との和やかな交流、発表会など濃密に描かれてゆく。深まる”信頼と絆”のなかを流れるチェロの響き『雨の日の迷路』やバッハの『無伴奏チェロ組曲』、『カノン』『難破』。そして発表会の曲として講師が選んだ『戦慄(わななき)のラブカ』がスパイ映画の音楽と聞き、思わず動揺する主人公。海深く潜行する深海魚ラブカと重ね合わせる心の軌跡。その後の予想外の展開、最後まで目を離せない。終演に安堵して本を閉じ早速、図書館から借りてきたチェロのCD。人の声に一番近い音域で耳に心地よく響くというがそのとおり、余韻に浸り続けている。

     

 


驚きと頷きの光景が『裁判所の正体―法服を着た役人たち』

2024年02月02日 | 読書

知人が医療過誤を訴えて数年になる。この間の地裁・高裁の審理経緯と判決結果に多くの疑問ある中でこの本を手にした。東京地裁、最高裁に勤務経歴のある元裁判官とジャーナリストによる3日間の対談をまとめたものだが、随所に驚きと頷きが。<(傍聴に際して)なぜ裁判官に一礼するのか、裁判官に庶民の心が分かるのか>などから始まる興味深い内容は、読むほどにタイトルの「正体」「役人たち」が刻み込まれていく。<(事実関係で争いがない刑事事件や民事も貸金、賃貸借関係などでは)事実に法律を当てはめるだけ>。これはまだ何となく分かる。続く、冤罪の再審や医療過誤訴訟を含む民事では<裁判官の価値観や外から与えられる情報や刺激が決定的な意味を持つ>も想定の範囲内だが、その「価値観」や「情報」が問題なのだ。権威者が書いたと言われれば、その鑑定書を鵜呑みしていないか。<(現在の裁判官の多数派にとっては)個別的な当事者のことは記録の表面に書かれている記号としかみていない>や<自分が勝たせたいと思う側の最終準備書面を電磁文書で求めて引用、簡単に判決文を作成>という「コピペ判決」については、さもありなんと思う。一部良心的な裁判官もいるとしつつ、多くは人事と出世を念頭に置く「法服を着た役人」であり「裁判をやっている官僚」。その仕組みと実態が次々と明かされる。そして安保訴訟や原発訴訟など国の考えを追認する多くの判例をあげて「権力のチェック機構」でなく「権力の補完機構」と表現。特に最高裁は「権力の一部」となり、「憲法の番人」ではなく「権力の番人」と断言する。「あとがき」にもあるが、聞き手の鋭い記者魂と元裁判官の綿密な分析司法批判にもとづく共著と言えるこの書。読み終えて、ますます知人の裁判の行方が気になりだした。

                             


ガーゼを血染めにするな『ガザの声を聴け!』

2024年01月25日 | 読書

日々、報道で伝えられるパレスチナ、ガザの極めて悲惨な状況。この書は5年近く前に書かれたものだが今につながるパレスチナ問題の深層をあらためて教えてくれる。筆者は1949年に創設されたUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の保健局長。この機関の目的は前年のイスラエル建国により土地を追われたパレスチナ難民の救済・支援、当初の3年間設定が終えることなく70年以上も続いている。この地(現イスラエルとパレスチナ地方)におけるイスラエルの歴史、その変遷のなかでパレスチナも同様に1300年近く存在していたこと。「2国家共存」のオスロ合意とその後の頓挫なども詳しく知る。もちろん筆者が強調したいのは活動を通して見聞するイスラエルによる経済封鎖や空・海路に陸路も検問所で閉じられたガザ、「天井のない監獄」と言われる社会。加えての度重なる戦火、そこで暮らす人々の生活や健康問題の実情である。「戦争しか知らない子供たち」のメンタルヘルス、何よりも「人間としての尊厳がほしい」と切望する若者たち。その頃をはるかに超えて悪化する一方の今は、もちろん1日も早い「平和」であろう。最近知ったことだが、ガザは「ガーゼ」の発祥地とも。かって綿産地のガザで織り始められたというガーゼ、これ以上この地で血染めを許してはいけない。