晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

正月前、今年最後の野菜収穫

2013年12月30日 | 市民農園

今年最後の家庭菜園。正月用の野菜を収穫するために市民農園へ。今日も天気は良いが冷たい風。そのせいか、畑から珍しく浅間山まで遠望できる。霜が溶けてぬかるんだ道を自分の区画へ行く。先ず大根、今年はスマートな細身が多い。赤カブも。次に小さいがブロッコリーを切り取る。そして、取り残しておいた葉物野菜の小松菜・ホウレンソウ・わさび菜。長引いた風邪のため忘年山行は取りやめになったが、何とか畑作業はできた。野菜を食べ、適度な正月を過ごして、1月の新年山行に備えるとしよう。

漬物で好評だったので来年は多めに栽培 

2回目で小さい 

小松菜 

ホウレンソウ 

簡単に出来るわさび菜 

白菜は越年 

 


“山を憶う”も聴けた鴻巣グリークラブ演奏会

2013年12月27日 | 雑記

知っている方が出ているので去年に続いての演奏会。今年は創立20周年記念であり第10回目の定期演奏会とか。そのせいか、ステージ上の団員の皆さんはもちろん指揮・ピアノ演奏者の熱意が最後列の席まで伝わってくる。特に山村暮鳥が書いた詩に指揮者自らが作曲した合唱組曲「雲」は満席の大ホール内を魅了していた。そして予想外の収穫は「山を憶う」が聴けたことだ。初めて聞いたこの曲を調べてみると、合唱組曲「山に祈る」のひとつであり、冬の北アルプスでの遭難事故を題材に作られたものだという。そこには、進退窮まった吹雪の中、凍える手で手帳に書き残した子から母への想い、卒業目前の息子を山に奪われた母親の嘆き悲しみが凝縮されている。あらためてYouTubeで聴きなおしているが、いい曲に出会えた。

                   

                            

(2010年秋・ヒマラヤ) 

「山を憶う」(合唱組曲「山に祈る」<作詞・作曲清水脩>より)

なぜ 山を憶うのか

山は神秘だから。

なぜ 山を慕うのか

山は優しいから。

なぜ 山に挑むのか

山はきびしいから。

怒れば巨人となって

人間の智恵を打ち挫き

ほほえめば乙女となって

汚れない愛を降りそそぐ

(間奏/朗読)

   (手帳を読む)

   早くみなに会いたかった。大天井まで来る。キャンプは近い。

     吹雪でトレースわからず。十六時、ビバーク地探す。

     山の天候のカンをあやまったようだ。きょうはビバークか。

なぜ 山へ登るのか

山がそこにあるから


葉物野菜の第3陣はトンネル栽培で

2013年12月26日 | 市民農園

ここ数日の北風も収まり、間もなく雨が降るというので久しぶりの畑作業。大根を抜いた跡地に苦土石灰・堆肥・化成肥料をばらまいて耕運機で耕す。本当は少し日をおいたほうが良いのだが、今回は速成で種まで蒔いてしまう。この冬3度目の葉物野菜は小松菜、種が残っていたわさび菜・春菊など。不織布をベタ掛け、寒さ対策としてこの冬初めてのビニールトンネルで覆う。年が明けた2月ころの収穫を狙うが手を抜いた分どうだろうか。風邪を引いて3週間、その出口に早くたどり着きたいが、トンネルの野菜たちには正月を超え春を引き寄せながら元気に育ってほしい。

水分保持と霜対策 

穴あけビニールトンネルは防寒 

第一陣の野菜は子供たちへ 


海から考える『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』

2013年12月20日 | 読書

ニュースにたびたび登場する尖閣諸島海域での中国側の威嚇をはじめ、いずれも周辺諸国との領土をめぐる難問題である。本書では異なる歴史性と現実を整理すると同時に、共通して横たわる戦後の<日米同盟の従属変数>についても解説する。そして、歴史認識にとらわれず北方領土問題は<二島とαを求めて>、竹島は<未来に向けたフィフティ・フィフティ>、尖閣は<尖閣を「民営化」せよ>との現実的な解決プランに導く。そのプラン、海の利用による地元の利益は分かるが、国益との両立のところは読み解くのにもう少し時間がかかりそうだ。陸続きでは国境線を持たない<「海洋大国・日本」の自画像を独りよがりのままに放置>しておいてはいけないことだけは確かだ。

                              


タイトルほどに困ってない『挨拶はたいへんだ』

2013年12月09日 | 読書

<当意即妙の才がないから。さらには、失言しないように>挨拶の原稿を書くという著者。いろいろな集まりでの挨拶をまとめた本。作家だけに文学賞の授賞式での祝辞や自身の受賞者挨拶をはじめ、友人の告別式での挨拶・弔辞、お別れ会・偲ぶ会での挨拶。さらに親戚の結婚披露宴の挨拶・葬儀での親族代表挨拶など身内の分まで50近い数。面白いことに、この本のために前書き・説明があり、題名が付いていることである。そして後段の挨拶にまつわる井上ひさしとの対談もよい。<一般論、抽象論は言わない。ゴシップ、エピソードなど具体的なものを使う。(中略)題名が付けられないようだと、散漫になっている。前置きをやめる>など、「挨拶の実用書」より使えそうだ。でも文章を味わいながら、読みものとして楽しむのが一番よいのだろう。

                                  


いつの間にか「夫婦の木」に

2013年12月08日 | ひな人形と花のまち

いつも歩く「さきたま緑道」で気になっていたケヤキの木。それは幹と幹が1本の枝でつながっており、どのような過程を経てこのようになったのか想像もできない。久しぶりに歩くと「夫婦の木」という看板が設置されていた。その説明によると<パートナー同士が手と手を取り合うように見えることから通称「夫婦の木」として親しまれている>とあった。それは知らなかった。以前、誰かの手で「私たちを切らないでください」との紙が付けられていたことはあったが。似たような木は他にもあるが、手を触れる位置にあるのは珍しいとのこと。この枝を握って屈伸体操していた人がいたが、せっかく名前が付いたのだから大事にしたい。

赤見台近隣公園から 

まだ残っている紅葉を見上げながら 

20分ほど 


冬富士と南アの山なみを満喫、三ツ峠山

2013年12月03日 | 

真向法の教室で腰を痛めたので1か月ぶり。甲府・湯村温泉での会合の翌日にリハビリ兼ねて近くの三ツ峠山へ。前日の深酒で寝坊したのと登山口への道に迷い、歩き始めは遅い時間。小屋への荷揚げの四駆も通る林道なので全体的に緩やかな登り。だが、二日酔い気味の身体は重く、紅葉も過ぎ去った道は日陰で寒い。それも1時間ほど、周囲が開け四季楽園への近道を分けて三ツ峠山荘に。待望の富士山、期待どおりの絶景に写真タイム。間もなく左手に雪を被って連なる南アルプスを眺め、急坂をひと登りして山頂。やや見えにくい奥秩父方面を除く、周囲の山々や遠く南ア・八ヶ岳も一望。もちろん眼前には威風堂々の冬富士、快晴微風に感謝しながら飽きることなく眺め続けた。2013年12月2日(月)/(旧御坂峠越えの道から林道へ入り、清八林道分岐付近の駐車場)駐車場10:10~(裏三ツコース)~11:10三ツ峠山荘11:25~11:45三ツ峠山(開運山1786m)12:50~三ツ峠山荘~13:50駐車場<平日ながら駐車スペースはほぼ一杯、出会った人は20人強。休日は相当混み合いそうだ)

この手前・舗装の駐車場を利用(下山時に撮影/出発時は満杯) 

広い道 

荷揚げの四駆も上がって行く 

分岐右手上がれば三ツ峠山荘 

山頂近くから足元に小屋、遠くに南アルプス 

山頂 

右手に甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山(以下、すべて望遠) 

右手より北岳・間ノ岳・農鳥岳 

左手・聖岳と赤石岳・荒川三山 

前日に滑落事故のあった冬富士