晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

鴻巣グリークラブの歌声、冬晴れの日に

2012年12月26日 | 雑記

知っている人が出ると聞いて、存在を初めて知った鴻巣グリークラブ。その定期演奏会に足を運んだ。大ホールを包み込む男性合唱の重厚な、そして洗練された響きは、音楽には素人な自分でも聴きごたえあるものだった。なかでも映像とともに歌いあげられた組曲「海鳥の詩」は、荒々しい北国の自然とそこで生きるものの希望が存分に伝わってくるようで特に印象に残った。新年をこれから迎えようとしている時期にこうした音楽に耳を傾けるのも悪くはない。練習に励まれた皆さん、お疲れ様でした。

悪天の北国とは無縁、冬晴れの「クレアこうのす」が会場

 「オロロン オロロンとなけば 岩も もの言わぬ岩も オロロンと答える」から始まる組曲「海鳥の詩」の作詞・更科源蔵、作曲・廣瀬量平ともに北海道出身、とりわけ詩人の更科源蔵の名前は北海道にいたころによく聞いており懐かしかった。

 ふるさとは キラキラの 光散る 北の海 北の空
オロロン エトピリカ ケイマフり
生と死は ろんろんと ゆれ動き ゆれ返す 深き海底

ごうごうと 重く渦ず巻き 天にとどろく オーロラの たゆとう季節
空を行く 笛の音ににて 月の夜は 月にぬれ 胸いたみ 口ごもり 息をのむ

みずかきの 冷たくしぴれ 落日の 燃えゆく彼方に あかね色
花を夢みて 鉛色 波をけり 岩をけり 風を呼ぴ どうどうの
シタキに乗り 虹をくぐり

雪を抱く 雲となり 風にまかせ 天と地の 空と海との 人と神
一つにとける キラキラの 光の彼方 南天の 星をめざすか 北の海鳥 

(更科源蔵『海鳥の詩』の「北の海鳥」より)


「おくのほそ道」序章、深川へ

2012年12月25日 | 写真&旅

思い立って、東京・深川の芭蕉の遺跡を訪ねた。あの「おくのほそ道」の旅立ちの地。先ずは、地下鉄大江戸線の森下駅から徒歩7分の芭蕉記念館で「おくのほそ道」関連の資料や芭蕉直筆の書簡や句短冊などを見学。その後、記念館の小庭園より隅田川沿いの遊歩道に出て、展望庭園へ向かう。ここには芭蕉の像があり、冬陽にきらめく隅田川を眩しそうに眺めている。すぐ近くの芭蕉稲荷が芭蕉庵のあった場所とか。<居を深川のほとりに移す(「柴の戸」)><深川三股のほとりに草庵を侘びて(「寒夜の辞」)>など書いているところだ。今や300年後の土地事情、最初に舟を乗り込み進めた小名木川から隅田川、清洲橋などの水景で往時を僅かに思い描いた。

 <舟の上に生涯を浮かべ・・・>(「おくのほそ道」序章より)

芭蕉愛蔵の石造の蛙が見つかって

 

ビル群林立も変わらぬ水の流れ

 


「ホッキ貝ごはん」が届いた

2012年12月23日 | 雑記

5月に小樽で開かれた中学校のクラス会、郷里を離れていたこともあり50年近い再会は年月を完全に巻き戻し終えなかったが、今年の楽しかった一コマだ。その時の同級生のひとりから「ホッキ貝ごはん」が届いた。昔のいたずら坊主?の面影はあるものの今や立派なおやじの風格、苫小牧特産のホッキ貝の加工・販売をしている。夏に再度、北海道を訪れての帰りには会えなかったが、フェリーの中で食べた彼の店・北起屋のホッキ弁当が美味しかったことを覚えている。そんな想い出と北海道の旨味がぎっしり詰まっているホッキ貝ごはんを今夜にでも食べよう。

 


こちらも総選挙、『おくのほそ道』

2012年12月17日 | 読書

選挙と同日となった講座「芭蕉『おくのほそ道』を読む」の最終回。合計15回、旅先での俳句とともに描かれる歴史や神社仏閣、歌枕の世界が後半では小さな命や生活に明け暮れする人々の情景に変わっていく。そうした芭蕉の心の変化と背景までも丁寧に講義してもらい、知識欲が大いに刺激された。この日もDVD『沖津信也が描く油絵の奥の細道』の映写、旅の同行者である河合曾良、「細道」以後の芭蕉、など盛りだくさん。そして「おくのほそ道」全発句の総選挙。受講生全員で収められている63の中から3句をで選んで事前投票した結果の発表だ。自分が選んだ「荒海や佐渡によこたふ天河」「暑き日を海にいれたり最上川」「閑さや岩にしみ入る蝉の声」はそれぞれ1・3・5番手に入り、こちらは民意と大きくずれてはいなかった。まとめとして話された<芭蕉詩の変化―「かるみ」を得て芭蕉俳諧さらに先へ>の中の『高く悟りて俗に帰れ』の言葉は政治の世界にも何かつながるような気がした。

(いずれも資料は川上定雄講師作成のもの)

上位の結果


柚子は、強く生き抜いている

2012年12月16日 | 雑記

小さな庭の僅かな果樹、そのひとつの柚子(ゆず)の実が豊作だ。ミカン科らしいが、隣に植えている本物のミカンの木は1個も実がつかないのに不思議だ。調べると柑橘系の中で耐「寒・乾・湿」が強いとある。枝には棘があるし、皮が厚く、香りや酸味も強い。だから、耐えて生き抜く力が強いのだろう。昨日、テレビでたまたま見かけた「そよ風の手紙」(自閉症の子供と父親の奮闘記)も今日のような寒風の中、青空に向かって生きていると映る。もう間もなく冬至、柚子湯に浸ってひとり惰“浴”を貪っていいのか、と問われているような気がする。

                   

 


防寒トンネルでホウレンソウ・小松菜を

2012年12月14日 | 市民農園

喉が痛くて山登りを中止したが、風も無いので市民農園へ。苦土石灰・油かす・化成肥料で土づくりをしたのが3日前だから少し早いが、明日の雨予報もあるので種を捲くことにした。今回はホウレンソウ・小松菜・水菜・春菊の4種類。種まきの後に不織布を掛け、トンネルは寒冷紗と穴あきビニールの二重で覆うこととした。去年冬のトンネルは一重だったので、防寒対策はバッチリのはずだ。1月下旬頃の収穫を期待しょう。

市民農園のミニ耕運機を借り、僅かで土づくりが完了

今回のトンネルは寒冷紗とビニールの二重で

もう少し大きくなってほしいブロッコリー        

柔らかい日差しに休息中のダイコン3兄弟

 


元荒川に、土木遺産の「新佐賀橋」

2012年12月13日 | ひな人形と花のまち

市内吹上地域を南北8kmに流れる元荒川。この区間、街中なので17もの橋が架けられているとのこと。そのひとつの「新佐賀橋」、土木学会が創設した土木遺産(保存すべき歴史的土木構造物)に認定されたと知って見学に。聞かなければ、足を止めることも無いと思われる古い橋。だが、元荒川には珍しい開腹式アーチ構造とかで、その形や欄干の桜をあしらった装飾など一見の価値があるようだ。隣には木造風で歴史的にはもっと古い「佐賀橋」もある。川沿いに桜の咲く頃、さまざまな形状の“橋めぐり”も良さそうだ。

昭和8年に架けられた 

 桜をあしらった装飾の欄干

実は疑似木で造られた隣の佐賀橋 

 


『おくのほそ道』からフクシマへ、アウシュヴイッツへ

2012年12月10日 | 読書

受講していた「芭蕉『おくのほそ道』を読む」が、ついに結びの大垣に着いた。前期の2・3月と後期の10月~12月で延べ月数は、芭蕉が歩いた5か月と同じになる計算だが、こちらは週に1日の冷暖房が効いた教室でのこと。今と違い徒歩で山越えや親不知はじめいくつもの難所を通り、2400キロ・150日間の旅を終えた芭蕉。それほどの『おくのほそ道』の意味については、次回の最終回で教えてもらうことになっている。しかし、川上先生の講義は今回の一遍上人の話もそうだが、知識の拡がりが得られて次につながるものがある。遊女と出会う「市振」の章で話してもらった「飢えたるものの前で文学は可能か」(ジャンポール・サルトル)「アウシュヴイッツのあとで詩を書くことだけが野蛮なのか」(アドルノ)「フクシマの後で音楽が可能か」(坂本龍一)はじめ、数多くの言葉を心に留めた。

(引用資料は川上定雄講師作成の講義資料より)

 


何?『書店員が本当に売りたかった本』

2012年12月05日 | 読書

これは一風変わった読書案内の本。この春閉店を迎えた大型書店の各売り場の店員が、<最後に自分たちが本当に売りたい本に手書きPOPをつけて売ろう>と<思いの丈をぶつけたPOP>で本を紹介しているのである。目次を拾っても<感謝をこめてお客様におススメしたい一冊><本音を言えば、この芸術書が売りたかった><社会科学担当者が本当に売りたかった本>など、<本にはいつも片思い?>の書店員の思いがストレートに伝わってきて、笑ったり、感心したり。一般読者と同じ目線で書かれた、そんな手書きPOPにつられて何冊かメモしたが、こんな本屋さんがあれば数時間過ごしてしまいそうな気がした。

                

 

 

本書の内容の一部(加工している)


京都から紅葉の写真二枚

2012年12月03日 | 雑記

京都へ何年も単身赴任している以前の仕事仲間がいる。四季折々の古都の風情や夜の祇園・先斗町探訪など満喫していると思っているが、掃除や洗濯などの家事に追われてそんな余裕は無いとのこと。たぶんに謙遜が含まれていて、そうした光景も日常の中に溶け込んでしまい、感動が薄いのではとも思ってしまう。その彼から届いた約束の紅葉の写真。旅行ガイドやパンフレットでは見かけない風景がそこにあった。今度会う機会があったら、やはり”京都生活”を問い質せねばならない。(写真提供:Y・S氏)

京都市東部の岡崎地区にある真如堂(永観堂は巷に写真があふれているので、とのこと)

 “そうだ、京都行こう”のJR観光キャンペーンポスターで有名になった嵐山・二尊院。その境内を登り、振り返り見た比叡山(遠くのピーク)と大覚寺方面の洛北の山(下方)との説明