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求むタイムマシン

人生が二度あればと井上君が歌う

雨の日は、
気力というものがどこか遠くへ吸い込まれていくような気がする。気の力がなくなると、視界が狭くなり、からだのチカラも抜けていくようだ。すなわち、脱力。これを梅雨症候群と呼ぶことにしよう。
日々のウォーキングもできないし、ミニミニ菜園の野菜たちからも頼りにされないし、ふぬけなワタクシになるのであります。
こういうときは、雨の音を聞きながらベッドに寝っ転がって本を読み続ける。それがいちばんいいんだけど、働かないと食べていけないから逃げ出した気力を引っ張り出し、捕まえて棒で支え、パソコンの前に立つのであります(立って入力をしている)。



ここでいつもの叶わぬつぶやき、「あー大金持ちになりたい、ご隠居生活をしたい」。そのつぶやきを聞いて、『大金持ちになる手段は、宝くじの一等当選しかないのだよ』と、我が人生が耳元でささやく。そうだよな、もう他の手段はないのだ。ぼーっと生きてきたからなぁ。
タイムマシンがあるならば、十代のじぶんと対面してしこたま説教をぶちかまし、進路を変更させるのだが、タイムマシンは存在しないのである。チーン。

「定年」という文字も、「隠居生活」という文字も、我が辞書には載っていないのだろう。
刃が尽き果てるまで仕事という戦場で走りまわらなければいけない運命か、おおおお、戦場から弾き飛ばされないようにしないと、野垂れ死んでしまうじゃないかぁ~。
コロナの影響で戦場すら消えてしまう可能性だってある。ううううう、戦う以前の問題には手も足も出ないよなぁ。
科学者のみなさん、タイムマシンをはやくつくってください。


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