先週の連休を利用して、日本橋から104里半、46番目の宿「亀山宿」から「関の宿」まで歩いてきました。旧東海道ウォークも後半になると往復に時間がかかるので、できれば何泊かしたいところを、ちょっと介護の始まった三四郎(小さな庭の管理犬)を置いて家を空けることができなくなったこともあって、今年最後の旧東海道は日帰りとなりました。
JR関西本線亀山駅に降り立ったのは、すでにお昼近く、空は曇天、時々冷たい雨が降り出していました。
亀山の古い城下町を過ぎたあたりに、亀山城址の石垣が見えてきました。残っているのは石垣と多聞櫓だけですが、「胡蝶城」とも呼ばれるほど美しく風格のある姿でした。
亀山城近くに亀山藩家老職の加藤家の長屋門と土蔵の古い佇まいが残っていました。
亀山宿のはずれにある野村の一里塚は、当時は道の両側に対で植えられたもので、現存は片方だけですが、当時よりもひとまわりもふたまわりも大きくなったりっぱな椋の古木でした。
東海道は鈴鹿川岸に沿って続き、思ったより交通量の多い土手からは、遠くに鈴鹿の山並みが灰色に煙っていました。
街道沿いの古屋には、時の流れを感じるレトロな看板がまるでスクラップのように貼られ、中にはこの秋、政権交代したばかりの前総理のものも一緒に並んでいました。
どこも色とりどりの菊が花盛り!その中に元気なダリアが咲いていました。
関の宿へと続きます。
JR関西本線亀山駅に降り立ったのは、すでにお昼近く、空は曇天、時々冷たい雨が降り出していました。
亀山の古い城下町を過ぎたあたりに、亀山城址の石垣が見えてきました。残っているのは石垣と多聞櫓だけですが、「胡蝶城」とも呼ばれるほど美しく風格のある姿でした。
亀山城近くに亀山藩家老職の加藤家の長屋門と土蔵の古い佇まいが残っていました。
亀山宿のはずれにある野村の一里塚は、当時は道の両側に対で植えられたもので、現存は片方だけですが、当時よりもひとまわりもふたまわりも大きくなったりっぱな椋の古木でした。
東海道は鈴鹿川岸に沿って続き、思ったより交通量の多い土手からは、遠くに鈴鹿の山並みが灰色に煙っていました。
街道沿いの古屋には、時の流れを感じるレトロな看板がまるでスクラップのように貼られ、中にはこの秋、政権交代したばかりの前総理のものも一緒に並んでいました。
どこも色とりどりの菊が花盛り!その中に元気なダリアが咲いていました。
関の宿へと続きます。
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