秋晴れに恵まれた10月6日、旧東海道ウォークは日本橋から96里(約377キロ)離れた「桑名宿」が今回の出発点、自宅を6時20分に出発して、名古屋まで新幹線、近鉄名古屋線に乗り継いで「桑名駅」に降り立ったのが10時15分、随分遠くへ来てしまったようだけど、京都にはぐっと近づいた感じがします。
10:30 桑名七里の渡し場は、伊勢国の東の入り口。その昔、船から降りる旅人にとって、この一の鳥居が「お伊勢参り」への出発点だったそうです。どんなに心が弾んだかと当時がしのばれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/40/f2745af8e9fafe829e50fc63751173c8.jpg)
10万石の城下町であった桑名には、海に向かって桑名城がそびえ立っていました。今は掘りも船だまりとなって、石積みされた城壁がわずかに残っているだけでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/71/2044aa507b55bc6bd566e9cf10dcd970.jpg)
街道沿いの街並みは、当時の面影こそありませんが、、静かな佇まいの東海道らしい道が続いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/c0/0321c40c009d9695c51212348ccf160b.jpg)
土手には彼岸花がな真っ赤に染まり、立ち寄った古寺の庭先に白い彼岸花の鉢が午後の秋の陽を浴びていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/26/19cb89c1dda50c92f1c75f275068341b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/83/6d26dcc56b12cdf7750203dcfa6d9e94.jpg)
午後の陽が傾き始め、遠くに四日市のコンビナートが海蔵川の川下に見えるといよいよ四日市宿の入り口。安藤広重も描いた四日市宿はきっとこのあたりかも知れないと、当時を忍ぶその風景は、どこまでも伸びやかに広がっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/fb/a818e193ecb635fcba2339360acec0df.jpg)
「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」の石造りの道標は、「もうひとがんばり」と疲れた足取りを励ましているようにも見える、どことなくユーモアのあるりっぱなものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/53/6f47ecded609fbb2a718e459f17ad273.jpg)
近鉄「四日市」の駅に着いたのは、夕闇も迫った午後6時、第1日目はここで宿を取り、ビールで取りあえず乾杯となりました。(つづく)
10:30 桑名七里の渡し場は、伊勢国の東の入り口。その昔、船から降りる旅人にとって、この一の鳥居が「お伊勢参り」への出発点だったそうです。どんなに心が弾んだかと当時がしのばれます。
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10万石の城下町であった桑名には、海に向かって桑名城がそびえ立っていました。今は掘りも船だまりとなって、石積みされた城壁がわずかに残っているだけでした。
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街道沿いの街並みは、当時の面影こそありませんが、、静かな佇まいの東海道らしい道が続いていました。
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土手には彼岸花がな真っ赤に染まり、立ち寄った古寺の庭先に白い彼岸花の鉢が午後の秋の陽を浴びていました。
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午後の陽が傾き始め、遠くに四日市のコンビナートが海蔵川の川下に見えるといよいよ四日市宿の入り口。安藤広重も描いた四日市宿はきっとこのあたりかも知れないと、当時を忍ぶその風景は、どこまでも伸びやかに広がっていました。
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「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」の石造りの道標は、「もうひとがんばり」と疲れた足取りを励ましているようにも見える、どことなくユーモアのあるりっぱなものでした。
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近鉄「四日市」の駅に着いたのは、夕闇も迫った午後6時、第1日目はここで宿を取り、ビールで取りあえず乾杯となりました。(つづく)
一番上の写真は、何百年も前に戻ったような写真ですね。
本当に当時が偲ばれるようです。
私たちが子供のころには、3番目の写真のように平屋が並んでいる町並みでしたね。
懐かしい風景です。
いるなか風景を見ているのも癒されます。
実際 歩いて見る風景はもっとタイムスリットした
感じがして気持ちが、癒されるのでしょうね。
ありがとうございます。
東海道を歩いて感じるのは、そこに生活している人々の生活がとてもゆっくり時間が流れているように思えることでしょうか。それだけでも私は、大きな意味があるように思います。
>是松さん
東戸塚の品濃坂の一里塚は、道の両側に残っている珍しい一里塚でした。街道も住宅と畑の中を進む幅の狭い道であったことを思い出しました。