観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

国鉄80系電車 クハ8600

2016-12-23 14:11:16 | 乗り物(列車・車両)


国鉄80系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が1949年に開発した長距離列車用電車形式群の総称である。

「湘南電車」と呼ばれる車両の初代に該当する。太平洋戦争後、東海道本線東京地区普通列車のラッシュ輸送対策として電気機関車牽引客車列車からの運用置換えを目的に、当初から長大編成組成を前提として開発・設計された。
これ以前は客車列車を輸送の本流として扱い、電車は大都市圏の短距離輸送に重点を置く補助的な存在と捉えていた国鉄が、100kmを越える長距離輸送に本格投入した最初の電車であり、走行性能で電気機関車牽引客車列車を大きく凌駕し、居住性でも初めて肩を並べた。電車が長距離大量輸送に耐えることを国鉄において実証し、その基本構想は後年の東海道新幹線の実現にまで影響を及ぼした。
メカニズム面では基本的に国鉄が大正時代から蓄積してきた伝統的設計の流れを継承するが、内容は大幅な強化・刷新が図られ、1950年代に続いて開発された70系・72系全金属車体車とともに「国鉄における吊り掛け駆動方式旧形電車の集大成」と評すべき存在となった。
1950年から1957年までの8年間にわたり、大小の改良を重ねつつ合計652両が製造され、普通列車・準急列車用として本州各地の直流電化区間で広く運用されたが、1983年までに営業運転を終了し形式消滅した。


基本的共通事項として、乗降を円滑にするため幅1m(サロ85形は700mm)の片開き片側2ドア客用扉と車端部デッキを採用する。
当初からの構造的特徴として、台枠のうち台車心皿中心間で船の竜骨に相当する中梁を簡素化し、車体側板と接する側梁を強化することにより梯子状の台枠構造全体で必要な強度を確保しつつ軽量化を図っている点が挙げられる。これは1930年製造の16m車・湘南電気鉄道デ1形電車(のちの京浜急行電鉄デハ230形電車)で川崎車輛の設計により採用されたのが日本における初出であるが、その先進的軽量化設計の意義を(合理的な強度計算手法を含めて)理解しようとしなかった無理解な鉄道省の担当官による硬直的な対応[11][12]で増備車では中梁装備への退行を強制され[13]、以後戦後に至るまで約20年にわたり顧みられていなかった手法であった。80系ではかつて鉄道省の担当官が「妥当ナラザル」として禁止したこの設計手法を、その後身である日本国有鉄道の工作局自らがより長く重い20m級車両で採用したものである。以後、この設計手法は後続の国鉄70系電車や各私鉄の新造車など、張殻(モノコック)構造の設計手法が導入されるまでの時期に設計製作された日本の鉄道車両で積極的に用いられる一般的な軽量化手法として広く普及した。
初期の半鋼製車では窓の高さが客車や従来の電車よりも若干高い位置とされた。引き続き改良も実施されており、通風器が初期車での大型砲金製風量調節機能付から、2次車では製造コスト低減のため皿形の簡素なものになるなどの変更点もある。
なお、設計変更も含む大改良のため以下の番台区分も実施された。

本系列は東海道本線東京 - 沼津間の客車普通列車置換えを目的とし、1949年にモハ80形32両・クハ86形20両・サハ87形16両・サロ85形5両の計73両が田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に新製配置されたのをきっかけに、その後は京都 - 神戸間の急行電車52系「流電」置換えや高崎線電化開業に伴う客車普通列車置換えなどに続々と投入された。

湘南色
当時の日本において斬新であったこの塗色は、「静岡県地方特産のミカンの実と葉にちなんだもの」と俗に言われ、国鉄も後にはそのようにPRしている。しかし、実際にはアメリカのグレート・ノーザン鉄道の大陸横断列車「エンパイア・ビルダー」用車両の塗装にヒントを得て、警戒色も兼ねてこれに近い色合いを採用したことを開発に携わった国鉄技術者が証言している。
当初は窓周りが比較的濃い朱色であったが、評判が悪かったためにみかん色に変更した。ほかにも彩度や明度は、塗料退色が関係する耐久性の問題・時代・担当工場により、塗り分け線とともに幾度か変更されてきた。
3枚窓のクハ86001 - 86020では、前面のオレンジ色面積が比較的小さく、数種類の塗り分けをテストした後に2次車以降同様に大きくした。
この塗色は以後国鉄の直流近郊形・急行形電車の標準塗色の一つとなり、現在の本州JR各社にまで引き継がれ、東海道本線で運用された211系、さらにJR化後に製造されたE231系・E233系にも、帯色としては多少色が薄いものの湘南色が受け継がれている。
また本系列および70系で採用された、運転台周りでの前窓を囲んで菱形を呈した曲面塗り分けは「金太郎塗」と呼ばれ、初期の試作型気動車をはじめ多くの私鉄でも採用された。

 

クハ86形(クハ86001- 86080・86082・86084・86100 - 86142・86300 - 86373・86375)
トイレ付の3等制御車。定員は基本番台が79人、100番台と300番台が76人。
1949年末から製造されたクハ86001 - 86020は運転台正面が従来のモハユニ61形などのデザインを踏襲した非貫通3枚窓構成[31]で落成したが、1950年下期以降製造の2次車からは、当時としては極めて斬新な正面2枚窓デザインに変更となった。この形状は本系列の通称に基づいて「湘南型」と呼ばれ、以後本形式の基本スタイルとなった。
正面3枚窓の一次車のうち、川車製のクハ86003・004、日車東京支店製のクハ86009・010、新潟鉄工製のクハ86017・018は、正面に取り付けられた手摺の位置や形状が他の一次車と異なり、それぞれ奇数向き偶数向き1両ずつの存在だった為、正面を見ただけで容易に車号の特定が出来た。003・004はウインドシル上左右に取り付けられた一対の手摺が他車の物と比べ倍以上の長さであった。009・010は前照灯両脇に取り付けられた一対の手摺の位置が他車より遥かに低い位置だった。017・018は窓間の2本の柱に沿うように五対の手摺が梯子状に取り付けられていた。営業開始前の試運転で火災事故に遭って復旧された017も含めて、これらの特徴は晩年まで失われる事はなかった。

クハ86001:2016年4月29日より、梅小路蒸気機関車館を拡張してオープンした京都鉄道博物館で保存展示されている。

営業最高速度 100 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 1.25km/h/s(MT比2:3)
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
直流600V(駿豆鉄道乗り入れ対策)
出力 568kW(電動車1両あたり)
主電動機 MT40形直流直巻電動機
定格速度 全界磁56.0km/h 60%界磁70.0km/h
歯車比 2.56
駆動装置 吊り掛け駆動方式
制御装置 CS10電動カム軸式制御装置
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
台車 DT16・DT17・DT20A(モハ80)
TR43・TR45・TR48(クハ86・サハ87)
TR43A・TR45A・TR48A(サロ85)
制動方式 中継弁・電磁同期弁付自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-S
(後年に装備)
製造メーカー 日本車輌製造・川崎車輌・近畿車輛・汽車製造・日立製作所・帝國車輛工業・東急車輛製造・新潟鐵工所・宇都宮車輛・国鉄大井工場


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