萩駅舎は昔のままの形で、維新の里 萩の南の玄関口にある。萩駅は、大正14年に代表的な洋館駅の傑作として建設されました。
以後何回かの改築工事があったが、ほとんど建設当時の姿を残しており、平成8年12月20日に文化庁の登録文化財に指定されました。
老朽化が激しく、無人駅となっており、駅をJR西日本から無償で譲り受けたのを機に、萩駅を復元し、萩の美しい自然や歴史を紹介する展示館に改築。
平成10年4月17日に「萩市自然と歴史の展示館」としてオープン。
白壁と縦長の大きな窓が特徴のハーフティンバー(壁面に柱や梁が露出する構造)駅の傑作といってよい萩駅。
今回の改装では、建築当時にあった今では大変珍しいドーマー窓(洋風の民家の屋根に見られる小窓)を復元し、間取りも当時のものに近くしています。
建物の前にある電話ボックスは、大正末期から昭和初期に建てられた日本では2番目の型式の物で、写真を元に復元したものです。
この型式の電話ボックスは日本で唯一です。
展示館内では、萩の四季折々の風景や、萩市出身の「日本の鉄道の父」と言われる井上勝の資料などをパネル写真やビデオなどで分かりやすく紹介しています。
また、隣には(社)萩市観光協会があり、萩の観光情報は全て分かることができます。
開館時間は午前9時から午後5時まで。
年末年始以外は無休。
夜間は1年中午後10時までライトアップされ、大正ロマン漂う建物が浮かび出されロマンティックな空間となっています。
ポストや電話ボックスも昔のままで、なんか懐かしい感じがします。所在地は、山口県萩市大字椿字濁渕にあり、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。
「萩駅」と名乗っているが、萩市の代表駅は隣の東萩駅です。萩駅は無人駅ですので特急も止まりません。町は三角州の中で栄えており、両方の駅とも三角州の外ですので、駅中心に町が構成されるものとは異なっています。両駅とも駅前がガランとしており、おやっと思いますが心配はありません。三角州の町中には商店街もありにぎやかな場所もちゃんとあります。
駅舎構内は2分割されています。東萩駅寄りの部分が現在の駅であり、「キヨスク」と自動販売機、待合用の椅子と時刻表が設置されているだけの質素の感じとなっている。
一方、区切られた部分から西側は、かつて国鉄時代に使用されたものが置いてあり、さながら鉄道博物館のようになっている。
旧萩駅舎は、1925(大正14)年4月に、美祢みね線延長の長門三隅ながとみすみ・萩間開通にともない開業しました。
屋根や窓、壁に洋風のデザインや構造が施され、大正時代末頃の建築様式を今に伝える建物として、重要な資料です。
駅舎内部は、2等(現在のグリーン席)待合室と、一般待合室とに分けられていたといわれます。
駅は相対式ホーム2面2線の構造を持ち、交換設備を備えた地上駅。駅舎は上りホーム側にあり、現在鉄道記念館(資料館)となっています。下りホームへは益田寄りの跨線橋で連絡しています。長門鉄道部管理の無人駅となっており、自動券売機等の設備はありません。
萩駅プラットホーム ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■山陰本線 上り 東萩・益田方面
反対側 ■山陰本線 下り 長門市・下関方面
※案内上ののりば番号は設定されていない。
1925年(大正14年)
4月3日 - 国有鉄道美禰線(当時)が長門三隅駅から延伸し、その終着駅として開業。客貨取扱を開始。
11月1日 - 美禰線が東萩駅まで延伸し、途中駅となる。
1933年(昭和8年)2月24日 - 当駅を含む美禰線の一部区間が山陰本線に編入され、山陰本線所属駅となる。
1977年(昭和52年)3月31日 - 貨物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1996年(平成8年) - 駅舎が登録有形文化財に登録される。
電報略号 ハキ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 64人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1925年(大正14年)4月3日
備考 無人駅
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