今日のおじさん(気持ちは坊ちゃん)

55歳から走りはじめ、70歳サブ4なんとか維持したいと日々精進
ゆっくり長く走れば強い脚になれる・・信じて。

突然のできごとの話・・

2005年04月03日 | Weblog
今日、夕方松山から帰ってきました。

水曜のブログを書いてるときに
突然、妹からの電話。

母の訃報です。
なにが、なんだか頭が真っ白に・・


その日(30日)の朝、妹が起きて(二人で住んでるんですが)
母がいないことに気がついて
いくらさがしてもいない。

それから、しばらくして、警察の車が
昨夜の事故の身元を捜してる放送を・・

で、もしかしてと、警察に連絡して
遺体の写真で、間違いないと・・

母の遺体を引き取りに、病院の遺体安置室に
行ったのは、午後の3時。

その間、母は、一人ぽっち
母が亡くなったのは、事故から一時間後、日が変わった30日の午前0時55分

道路を横断してて、車にはねられ
ボンネットに跳ね上げられ
首の骨折ったたらしいので
即死に近い・・きっと、痛みを
感じる間もなかったのではと・・

死に顔は、とってもきれいでした。
やすらかな、寝顔でいまにも
笑いそうな顔でした。なんで、こんな顔で
いられるのだろうかと、不思議なくらいでした。

自宅には、帰らず、病院からそのまんま
斎場へいって、通夜をその日(30日)
20時からにしました。
ほんとなら、早めがいいのですが、なんせ急なので
無理いって、遅くに。

で、少しでも長く母と別れの時間をとりたいと
翌日(31日)の午後からの葬儀にしました。

通夜から、翌日の葬儀まで
宗派の関係で、ずーと線香、ろうそくだけでなく
「おりん」をたたいてないとだめなのです。
これが、とっても大変なのです。
一睡もせずに、身内でたたくのです。
でも、おりんをたたいてる間には
ずーと、母の遺影の前で、二人でいろんな
話と別れの時がすごせました。
こんときだけです。ゆっくりと、時がすぎたのは。

あとは、おじさんんが全部対応してるので
涙も流す時もないまま、
今日まで、日がすぎてきたしだいです。

事故の対応、生家の今後の対応と
これからが、もっともっと大変ですが
今日の日を、大切にするしかないですよね。

ここに、きてくれる、やさしいみんなが
いてくれることも、おじさんにはとっても
ありがたいことです。

これからも、よろしくお願いします。

とりあえず、こんな事情で
留守にしておりました。


明日からは、今日も元気な おじさんです!!

       
    
  
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今から大阪に帰ります。

2005年04月03日 | Weblog
ようやく、ひとくぎりついたので、松山からバスにのりました。今日は、松山まつり最終日、大勢の人がまわりを歩いています。バス停までくる途中に、ゆで卵無料で試食があったので一個いただきやした。桜が咲いてたので、パチリ。ここは、秋山兄弟生誕の地。観光スボットが最近できたんですよ。知ってるかな?秋山兄弟。
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