10月4日は、ハーフマラソンに参加。
ちっとも面白くない大会で、おまけに心が何回もおれてしまった
大会でした~もう来年はでません
ほんまに、へろへろでおましたわ
それから2週間後は、いよいよ待ちに待った、
四万十ウルトラ100キロの大会
でおました~
前日に受けつけするために、3時間かけてでおでかけ。
おじさん、一人で遠征には、今回が初めて。
電車、バス、船でいくのがええのんですが、今回ばかしは
めちゃ不便で、が一番。
ホテル2泊です~当日、100キロだなんて絶対一人で
よたよた帰れませんから
18日朝5時半スタート。外は真っ暗です。
4時くらいからホテルから、巡回のバスが次から次と出発してます。
(全部無料ですよ)
大型バスを何箇所からスタートさせてます。
なんせ、100キロ参加者だけで1500人もおるんですから
ちなみに、60キロは約500人弱ですわ。
1500人にうち、はんは200人ちょい
残り男性陣1300人のうちで、
30代300人、40代400人、50代350人、60代140人弱
中高年がどんだけ、がんばってはるかいや
これは、中高年だから でなくて、さんで完走しはる
大会なんですわ。
ものすごい人が、スタートラインに並んで
当然、真っ暗ですから 灯りは~
そう、発電機ライト、車のヘッドライト、かがり火、
そこをすぎると、道路片側に何千本?とゆうろうそくが
はるか向こうまで、ともされてます。
感動にうちに、スタート地獄の始まりでした。
なんとなんと、40キロまでは 10キロのぼり坂もあると
ゆうのに、快調に飛ばしすぎましてフルマラソンの自己タイム更新
もっこりタイツ健全であります
20キロを1時間ちょいで飛ばすだなんて
これが、命取りでおました・・・
残り足がもつわけおませんでした
60キロすぎが、昼食をかねて着替え、足の手入れを
やるんですが、もうここまでくるのにどんだけ長かったことか
でも、ここまできたらあとは40キロやんか~なんて
思ったのが
20分くらい休憩して、いざ走りだそうとしたら
もう鉛の入った足みたいで、おまけに激痛
1歩、1歩が拷問のような歩き 走るより歩いたほうが早いくらいですわ
それでも、じょじょに動きだし 2キロごとにあるエイドでお水を。
ここで立ち止まると、また、おなじように 足が動かない。
この繰り返し
この沈下橋あたでの写真のころは、ふらふらで走ってます。
ゼッケンピンがとれたので、治そうと立ち止まるのですが
止まるのが恐ろしい
20キロを2時間少々のタイムだったのが
この60キロ~80キロは なんと、3時間40分もかかってるのです。
走っても走っても(実際は、歩くほうが早いのかも)進まない。
どんどん、後ろから人が追い越してゆく。
じーちゃん、ばーちゃんたちにも・・・
情けない足です・・・ひざも痛みがましてきてる
やがて、暗くなり だんだん制限時間の19時半が
せまってきている。
足が痛いのなんのゆうてられない。
とにかく、制限時間に入らなくてはここまでがんばった
証がない・・
走り方が変わってきました
かんぺいちゃんが、アメリカ大陸で走っていた
あの「まねきねこだーっく」みたいなひざをあまり
まげずに、体重を前にかけてつっこんでいくような走り方
ひざが痛み、ふくらはぎが痛み でもはやこれでしか
速度をあげれないの最期まで足もたせて~
残すところ5キロくらいから、速度あげ
おじさんを抜いていった人たちを再び 追い越し
一人、二人・・・・
それがなんとか励み・・
もう、周りの歓声にこたえる気力もなく
周りの歓声に感動する 余裕すらなく
ひたすら、めざすは ゴール
ライバルは、人でなく もうタイム
走って、走って、走って
この坂道をあがると あとは ゴールなんて
まったく違ってました。
走っても走っても、ゴールが見えない
それでも、だんだん暗闇が明るいグラントのゴールの照明に
変わってきた。
一気に、駆け抜ける。足の痛みはもうぶっとでいます
ついに・・・
制限時間 18分前 13時間42分の 激痛のラン完走タイムです。
おじさんの想像してたゴールシーンは
ゆっくり、周りをみながら がんばった自分に感動しながら
涙する姿。
現実は、最期まで 走る抜ける壮絶な時間との戦いの
結果のゴール。
終わりは、テープを切った瞬間。
走り終わったあとの、足につけたチップをはずすために
いすに座るのですが、それさえも すぐに座れない
無論、靴紐もとることさえ 苦痛が・・・
高校生のみなさんが くれたアイシング用の氷で
しばらく冷や、体育館で着替えてもらってそこで着替え
もう、まねきねこだっく状態でよろよろ
ホテル行きの、巡回バスにのって帰り
でも、先に帰った人(早い人)は、わりと元気
おじさんは、もう 歩くことが激痛
この差・・これが 最初におかした過ちと
それから、ベテランさん、あるいは練習いっぱいした人との差
学ぶことは、いっぱいありましたです。
感動をありがとうもいっぱいありました。
応援してくれた、沿道のじーちゃん、ばーちゃん、中学生やら小学生やら
学校の先生やら、町の人みんなの声援に背中押され
エイドエイドの応対、道の数百Mごとにいるボランティアのみなさん
ほんうに、四万十ウルトラは あったかい お接待のこころを
もった大会でした。
これが、抽選となる人気のゆえんかもしれません。
距離 スプリット ラップ 通過時刻(05:30分スタート)
20km 02:04:52 07:34:52
40km 04:06:32 2:01:40 09:36:32
60km 06:45:40 2:39:08 12:15:40
80km 10:24:55 3:39:15 15:54:55
Finish 13:42:13 3:17:18 19:12:13
PS それからまた2週間後 11月7日は、東京で駅伝大会と9キロラン
翌日、11月8日は、山口県下関 海峡マラソン(フル)
11月23日は 松山市内 ぼっちゃんマラソン(ハーフ)
年内はこれでおしまいですわ・・
なんで、こないに走るんですやろう
ちっとも面白くない大会で、おまけに心が何回もおれてしまった
大会でした~もう来年はでません
ほんまに、へろへろでおましたわ
それから2週間後は、いよいよ待ちに待った、
四万十ウルトラ100キロの大会
でおました~
前日に受けつけするために、3時間かけてでおでかけ。
おじさん、一人で遠征には、今回が初めて。
電車、バス、船でいくのがええのんですが、今回ばかしは
めちゃ不便で、が一番。
ホテル2泊です~当日、100キロだなんて絶対一人で
よたよた帰れませんから
18日朝5時半スタート。外は真っ暗です。
4時くらいからホテルから、巡回のバスが次から次と出発してます。
(全部無料ですよ)
大型バスを何箇所からスタートさせてます。
なんせ、100キロ参加者だけで1500人もおるんですから
ちなみに、60キロは約500人弱ですわ。
1500人にうち、はんは200人ちょい
残り男性陣1300人のうちで、
30代300人、40代400人、50代350人、60代140人弱
中高年がどんだけ、がんばってはるかいや
これは、中高年だから でなくて、さんで完走しはる
大会なんですわ。
ものすごい人が、スタートラインに並んで
当然、真っ暗ですから 灯りは~
そう、発電機ライト、車のヘッドライト、かがり火、
そこをすぎると、道路片側に何千本?とゆうろうそくが
はるか向こうまで、ともされてます。
感動にうちに、スタート地獄の始まりでした。
なんとなんと、40キロまでは 10キロのぼり坂もあると
ゆうのに、快調に飛ばしすぎましてフルマラソンの自己タイム更新
もっこりタイツ健全であります
20キロを1時間ちょいで飛ばすだなんて
これが、命取りでおました・・・
残り足がもつわけおませんでした
60キロすぎが、昼食をかねて着替え、足の手入れを
やるんですが、もうここまでくるのにどんだけ長かったことか
でも、ここまできたらあとは40キロやんか~なんて
思ったのが
20分くらい休憩して、いざ走りだそうとしたら
もう鉛の入った足みたいで、おまけに激痛
1歩、1歩が拷問のような歩き 走るより歩いたほうが早いくらいですわ
それでも、じょじょに動きだし 2キロごとにあるエイドでお水を。
ここで立ち止まると、また、おなじように 足が動かない。
この繰り返し
この沈下橋あたでの写真のころは、ふらふらで走ってます。
ゼッケンピンがとれたので、治そうと立ち止まるのですが
止まるのが恐ろしい
20キロを2時間少々のタイムだったのが
この60キロ~80キロは なんと、3時間40分もかかってるのです。
走っても走っても(実際は、歩くほうが早いのかも)進まない。
どんどん、後ろから人が追い越してゆく。
じーちゃん、ばーちゃんたちにも・・・
情けない足です・・・ひざも痛みがましてきてる
やがて、暗くなり だんだん制限時間の19時半が
せまってきている。
足が痛いのなんのゆうてられない。
とにかく、制限時間に入らなくてはここまでがんばった
証がない・・
走り方が変わってきました
かんぺいちゃんが、アメリカ大陸で走っていた
あの「まねきねこだーっく」みたいなひざをあまり
まげずに、体重を前にかけてつっこんでいくような走り方
ひざが痛み、ふくらはぎが痛み でもはやこれでしか
速度をあげれないの最期まで足もたせて~
残すところ5キロくらいから、速度あげ
おじさんを抜いていった人たちを再び 追い越し
一人、二人・・・・
それがなんとか励み・・
もう、周りの歓声にこたえる気力もなく
周りの歓声に感動する 余裕すらなく
ひたすら、めざすは ゴール
ライバルは、人でなく もうタイム
走って、走って、走って
この坂道をあがると あとは ゴールなんて
まったく違ってました。
走っても走っても、ゴールが見えない
それでも、だんだん暗闇が明るいグラントのゴールの照明に
変わってきた。
一気に、駆け抜ける。足の痛みはもうぶっとでいます
ついに・・・
制限時間 18分前 13時間42分の 激痛のラン完走タイムです。
おじさんの想像してたゴールシーンは
ゆっくり、周りをみながら がんばった自分に感動しながら
涙する姿。
現実は、最期まで 走る抜ける壮絶な時間との戦いの
結果のゴール。
終わりは、テープを切った瞬間。
走り終わったあとの、足につけたチップをはずすために
いすに座るのですが、それさえも すぐに座れない
無論、靴紐もとることさえ 苦痛が・・・
高校生のみなさんが くれたアイシング用の氷で
しばらく冷や、体育館で着替えてもらってそこで着替え
もう、まねきねこだっく状態でよろよろ
ホテル行きの、巡回バスにのって帰り
でも、先に帰った人(早い人)は、わりと元気
おじさんは、もう 歩くことが激痛
この差・・これが 最初におかした過ちと
それから、ベテランさん、あるいは練習いっぱいした人との差
学ぶことは、いっぱいありましたです。
感動をありがとうもいっぱいありました。
応援してくれた、沿道のじーちゃん、ばーちゃん、中学生やら小学生やら
学校の先生やら、町の人みんなの声援に背中押され
エイドエイドの応対、道の数百Mごとにいるボランティアのみなさん
ほんうに、四万十ウルトラは あったかい お接待のこころを
もった大会でした。
これが、抽選となる人気のゆえんかもしれません。
距離 スプリット ラップ 通過時刻(05:30分スタート)
20km 02:04:52 07:34:52
40km 04:06:32 2:01:40 09:36:32
60km 06:45:40 2:39:08 12:15:40
80km 10:24:55 3:39:15 15:54:55
Finish 13:42:13 3:17:18 19:12:13
PS それからまた2週間後 11月7日は、東京で駅伝大会と9キロラン
翌日、11月8日は、山口県下関 海峡マラソン(フル)
11月23日は 松山市内 ぼっちゃんマラソン(ハーフ)
年内はこれでおしまいですわ・・
なんで、こないに走るんですやろう