今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

家族ふれあいの日

2006-01-21 | 記念日
今日(1月21日)は、「家族ふれあいの日」
東京都と心の東京革命推進協議会(青少年育成協会)は、家族の結びつきが希薄になっている今日、家族そろっての食事など家庭でのふれあいを促進するために、毎月第3土曜日、日曜日を「家族ふれあいの日」としている。さらに、ファミリーレストラン、文化施設、レジャー施設などの「家族ふれあいの日」協力店・施設の協力により、都民の人が18歳未満の子どもを連れた際に、窓口に優待券をご提出すれば、料金の割引又は各種サービスが受けられるそうだ。
いつの時代でも、青少年の健やかな成長は親の願いであると共に、社会全体の願いでもある。今、青少年を取り巻く環境が大きく変化する中で、全ての国民が「青少年の健全な育成は大人の責任であることを自覚し、大人自らが姿勢を正し、規範意識やモラルの向上に努めると共に、青少年が心豊かにたくましく成長するよう努力することが必要だ。
なかでも家族の安らぎの場であるべき家庭でのあり方が問われるが、家族みんなで「話し合い、お互いが理解し合う」、「団らんで相互にぬくもりを分かち合う」など、家族間の心のふれあいの場を増やしていくことは青少年の健全な育成においても極めて大切なことである。しかし、今日の家庭は、ともすれば日常の生活や仕事に追われ、家族での人間的なふれあいが薄れがちである。他の府県でも形を替えた家族ふれあいのキャンペーンを実施しているところもあるようだが、東京都のように「家族ふれあいの日」に一家団欒で食事をしたり、レジャーを楽しむ機会を増やすことはとてもいいことだと思う。
ただこの「家族」を考えるとき、思い起こせば、戦前、と戦後では随分とそのあり方は変ってきた。それでは、家族って、一体なんだろう?一度原点に帰って考えてみよう。
広辞苑によると「家族」とは、以下のように定義している。
1、血縁によって結ばれ生活をともにする人々の仲間で、婚姻に基づいて成立する社会構成の一単位。
2、「家」の旧制度の下で、戸主の統率した家の構成員。原則として戸主の親族でその家を構成する者及びその配偶者。
ここにあるように、従来は、結婚によって、血のつながった同じ家に住む夫婦・親子・兄弟など、近い血縁の人びとを家族としていたが、今日では、家族の考えかたについて、かならずしも結婚や同居などを絶対条件とは考えない人も増えてきており、人によってそれぞれな考え方が出来てきている。
戦前の日本の家族は、家制度に基盤をおき、地域社会はもとより、国家とつながる「イエ」を形作っていた。「家制度」は「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。しかし、終戦を機に、民法の改正により家制度は廃止された。
戦後の家族変動の最も顕著なものは単身世帯が増大したことである。つまり、現代の家族には、同居親族数が減少し核家族化が進んだこと、共同体の力の減退に伴って家族の基盤に変容が生じたこと、の二つの特徴があげられる。合わせて、夫婦の共働きも一般化しつつある。それによって、育児や子育てが保育園や学童クラブ、地域の野球やサッカーなどのスポーツクラブ、学習塾などに外注されることも増えてきた。これを家族の機能の分散化ともいうのだそうだ。また、共働きに伴う性別役割分業の問題、老親の扶養の問題も表面化してきた。かつて、家族の機能として、生殖、育児、経済、団欒などが挙げられてきたが、今では残るものは「団欒」だけしかないのかといわれはじめているが、それすらも崩壊しつつある。そして、こうした家族の機能不全状態の広まりと共に、家庭内暴力、児童虐待などの事件が新聞の社会面を賑わすことが日常化してきた。その上、少子高齢化の進展があり、増加する高齢者人口と在宅での高齢者看護などと共に、家族をめぐる社会問題は先鋭化しつつある。
上記2にあるように、旧制度の「家」においては、戸主の権限は家の統率者としての権限であるため、家を統括する戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる側面があったため、憲法24条等に反するとして、日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年法律第74号)により、日本国憲法の施行日(1947年5月3日)に廃止された。
現在、政府内に憲法改正論議があるが、9条(戦争放棄・戦力不保持)と並んでこの24条の改正も検討されているようである。
その根底にあるのは、離婚・単身赴任・家庭内暴力の増加・老老介護・子どもの不登校などであるが、家族の崩壊現象の背景には、戦前の家父長制度への反省から、我が国で戦後、個人主義の重要性が過度に標榜され、従来あった良き家族関係まで否定されてきたとの見方が強いようであり、そのため、何らかの形で、社会の基礎としての家族の重要性を再確認するねらいから家族条項を設けようとするものだろう。その底辺には、24条の男女平等型家族では、男女の性別役割や「男らしさ」「女らしさ」といったものも曖昧となり、家族ひいては国家をも支えられなくなるといった危機感があるのだろうと推測される。しかし、この問題に関しては、特に女性などを中心にジェンダーの問題として、反対されるであろうが、「最近の日本は、人間関係が空洞化してしていることを考えると、せめて家族関係・親子の間について規律を定めておくことは養育の義務あるいは扶養、保護といったことが残念ながら必要になってきているのではないか」といった心配をする人の気持ちも理解できるように思う。それ程に、日本の共同体であるべき家庭・家族問題が、国家の危機問題にも及びかけていることは間違いないだろう。今日は「家族ふれあいの日」。難しいことは、別にして、せめて家族の団欒の機会ぐらいは持つようにしたいよね。
(画像は雷鳥の和風列車「だんらん」のチラシ部分)
参考:
東京都公式ホームページ/平成17年度「家族ふれあいの日」について
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2005/03/20f3s900.htm
家族ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%97%8F
日本国憲法
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM

オードリー・ヘップバーン (米:俳優『ローマの休日』) の忌日

2006-01-20 | 人物
1993年 の今日(1月20日)は、オードリー・ヘップバーン (米:俳優『ローマの休日』) の忌日。<63歳>
オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)は、アメリカで活躍した映画女優。本名エッダ・キャスリーン・ヴァン・へームストラ・ヘプバーン・ラストン(Edda Kathleen Van Heemstra Hepburn - Ruston)。1929年5月4日、アイルランド系イギリス人の父ジョセフ・アンソニー・ヘップバーン・ラストンとオランダ人の母エッラ・ファン・ヘームストラ(貴族の出)のもとに、ベルギーの首都ブリュッセルで生まれる。10歳のとき両親が離婚し、母とともにオランダへ移住。第二次世界大戦中ドイツ軍に叔父を殺された。幼い彼女は反ナチスのレジスタンスの連絡役として活躍した。アンネ・フランクと同い年で、戦後、オードリーはアンネの事を知りひどく心を痛めたという。戦後の1948年、ロンドンでバレエを習うなど、ヨーロッパを中心とする各国で生活した経験を持つ。その後、24歳のとき、舞台「Gigi」を見た監督ウィリアム・ワイラーに認められ、メジャー映画「ローマの休日」(1953年) の主演アン王女役に大抜擢され、この映画の大成功で彼女は一躍大スターの仲間入りをした。ストーリーはある小国の王女が、訪問先のローマで公務に飽きてひそかに官邸を脱け出し、街で知り合ったアメリカ人の新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)と一日一晩を過ごし何時しかジョーに叶わぬ恋心をだくようになる。ラスト、アン王女の新聞記者会見が大使館前で行われた。ジョーとアン王女とは目と目を合わせて無言の別れを告げあった。この席での記者の質問の対して"Rome! By all means、Rome.I will cherish my visit here in memory、as long as I live"(”ローマです!無論ローマです。今回の訪問は永遠に忘れ得ぬ想い出となるでしょう。”)「ローマの休日」(アン王女)の名文句は、いつまでも心に残る名シーンであった。
彼女の表情は優雅で気品にあふれ、それでいてこの上なく無邪気、そしてひときわファッショナブルにスクリーンを彩(いろど)る。 映画への出演数はそれほど多くはないものの、「ローマの休日」ではアカデミー賞主演女優賞を獲得。翌年(1954 年)「麗しのサブリナ」その後も「マイ・フェア・レディ」、「ティファニーで朝食を」などに出演。彼女の魅力が十分に生かされた作品ばかりだ。1954年に俳優のメル・ファーラーと結婚、息子ショーンが生まれるが離婚。後に精神科医と再婚したが、離婚に終わっている。1989年の「オールウェイズ」を最後に映画界を引退。 晩年は、ユニセフ親善大使に就任し、インドやソマリアなど世界各地でマザー・テレサのように、貧しい人のための活動も行う。その一方で、世界の名園を紹介するテレビ・ドキュメンタリー「世界の庭園」という番組のホスト役として、7ヶ国・16の庭園を訪れる。 1993年1月20日、結腸ガンで亡くなる。
初めてオードリー・ヘップバーンの映画「ローマの休日」を見たとき、それまでの女優には見られない新鮮さに驚いた。彼女の魅力については誰もが知っているところであり、ここに印す必要はないが、毎号話題の人物を紹介しているアメリカの週刊雑誌「タイム」が「ローマの休日」が封切られるとすぐにオードリー・ヘップバーンを表紙にしたほどである。これほどにの女優に英国映画はそれまで、なぜ端役ばかりやらせていたのか不思議なくらいである。出演映画も数本あるし、ミュージカル舞台にも立っていたこともあり、その前には、化粧品のポスターにもなっていたと言うから、アメリカに引き抜かれるまでこの女優の素質と実力に気がつかなかったのは、よほど、見る目がなかったと言われても仕方がないのではないか。ウィリアム・ワイラーは、英国にいたパラマウントのスカウトを通じて彼女の存在を知り、一目でその素質を見抜いたとという。監督の中には新人を売り出すことを得意としている人もいるようだが、ウィリアム・ワイラーと言う人は、それまで、無名の新人を殆ど使っていないと言う。演技について難しい注文をつける人で、新人を使って冒険を試みることを余り好まなかったというから、その、ワイラーが新人を主役に使ったのだから、始めから、確信を持ってその素質と実力を見抜いていたのだろう。「ローマの休日」は数あるオードリーの作品の中でもひときわぬきんでた作品だと思うが、いかにすぐれた素質と演技力を持ったオードリーであっても、演出者としてすぐれたウィリアム・ワイラーの作品でなければ、その後のオードリー・ヘップバーンは生まれていなかったかもしれない。ウィリアム・ワイラーによって、磨きをかけられたからこそ、埋もれていた彼女がダイヤモンドのように輝き、魅力的に世に出たと言える。
(画像はコレクションの映画「ローマの休日」のパンフレット。日比谷映画劇場公開。)
参考:
Wikipedia - オードリー・ヘプバーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
http://www.paoon.com/star/506.html
オードリーの小部屋
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/akirachan/audrey.htm
ローマの休日 製作50周年記念デジタル・ニューリマスター版 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD3514/

家庭消火器点検の日

2006-01-19 | 記念日
今日(1月19日)は、「家庭消火器点検の日」。
全国消防機器販売業協会が1991(平成3)年に制定。1と19で「119」となることから。11月9日が消防庁が定めた「119の日」であるため、1月19日を記念日とした。
総務省消防庁の平成17年の半年間(1月~6月)に於ける火災の概要を見ると、総出火件数は31,478件、前年比2,162件の減少(-6.4%)。火災による死者は1262人で75人増加(+6.3%)、負傷者は4722人で107人減少(-2.2%)。住宅火災による死者(放火自殺者等を除く)は705人で、89人の増加(+14.4%)。昭和54年以降最多となっている。なお、このうち、410人は65歳以上の高齢者となっており、死者の58.2%を占めている。そして、出火原因の第1位は、「放火」、続いて「たばこ」となっており、「放火」の多いのは都道府県別では、東京都34.4%、愛知県31.9%、埼玉県と神奈川県が29,7%、大阪府28,7%となっており、大都市を抱える都道府県で高い割合を示している。今後、社会の高齢化が益々進展することを考えると、住宅火災による高齢者の死者が大幅に増加していくことが予想される。
このようなことから、身近な課題としては、住宅用消火器・住宅用火災警報器及び住宅用自動消火装置等の設置普及の充実による防火防災の予防と、住宅火災での死傷者(特に高齢者)の減少に対応する防火思想の啓発が第一課題であり、次に消防機器の使用・保守に対する啓発が大切とされている。
総務省消防庁はこのような最近の住宅火災による死者数急増等を踏まえ、消防法を改正し、一般の戸建住宅等にも住宅用火災報知機の設置を義務付けた。
そして、新築の住宅等は今年(2006年=平成18年)6月1日から。既存の住宅等は市町村条例で定める日から適用されることになっている。
実際の火災の発生に際して、初期消火段階では、バケツの水ではなかなか消えない火を消すのに、消火器は非常に効果的な道具であるが、マンションなどでは、法令で消火器の設置が義務づけられているものの、消火器の設置義務がない一般の住宅では、火災に備えて、どのくらい家庭用消火器を設置しているのだろうか?先の、阪神・淡路大震災の際でも、震災の後、火災が発生し、被害を拡大した。先ずは消火器を使うような事態にならないよう気をつけることが第一ではあるが、万一火災発生時には、手近なところに使える消火器が設置されており、それを、あわてず正しく使用できなくてはならない。そのためには、いざというときに消火器が役立つように、訓練などにも積極的に参加し、使用方法を覚えておくことが大切である。また、消火器にも耐用年数があるので、その維持管理が必要だ。それに、最近は、各地で悪質な消火器の訪問点検や高額請求の被害などが多発しているらしいので、これら、悪質業者からの防衛にも気をつけておかなければいけないだろう。トラブル防止のポイントなど・・・消防庁ポスターを・・・→http://www.fdma.go.jp/html/life/pdf/life_01l.pdf
防災の日に、火災に関することの点検もしているか知れないが、今日の「家庭消火器点検の日」に、火災から大切な財産や生命を守るために最も有効な道具である消火器の点検をしておくのも良いのではないか。
火災には、一般的に、燃焼する物質により、A火災=普通火災(木材、紙、繊維などが燃える火災)、B火災=油火災(石油類その他の可燃性液体、油脂類などが燃える火災)、C火災=電気火災(電気設備・電気器具などの火災 )の3種類がある。
家庭に消火器を設置する場合、家の構造や大きさにもよるが、先ずは一般的な多くの火災に対応できるABC粉末消火器を居間や玄関辺りに設置し、出火の可能性の多い台所には、てんぷら油に有効な小型の消火器具を設置するなどがよいとされている。消火器には適応できる火災をそれぞれのマークで表示してあるし、使用期間も表示してある。今年1年、無事に過ごせるよう消火器の点検と使用方法の勉強などしておこうね。それと、火災の初期消火は消火器によるのが一番だが、火災で一番怖いのは炎よりも煙である。危険と思ったら非難することを忘れないように・・・。
(画像は、消防庁ポスター「消火器の訪問点検にご注意!」消防庁HPより)
参考:
総務省消防庁
http://www.fdma.go.jp/
社団法人 全国消防機器販売業協会
http://www.zefa.or.jp/
ご家庭の設置場所 「住宅防火」のために揃えておきたい防災機器(MIYATA)
http://www.gear-m.co.jp/bousai/shokaki/s05.html


頭髪の日

2006-01-18 | 記念日
毎月18日は頭髪の日だそうだ。「1(とう)8(はつ)の語呂合わせから、全国理容環境衛生協同組合連合会が1978(昭和53)年に制定した。他に、「とう(10)はつ(20)」の語呂合せから、日本毛髪科学協会が制定した、10月20日の「頭髪の日」がある。いろいろな団体が色々な 記念日を制定しているが、同じ名前の記念日は紛らわしいね~。
髪の毛の伸びる早さには個人差はあるが、1日で約0.3~0.5mmづつ伸びるらしい。人の平均的な髪の毛の本数は10万本位らしく、又平均、1本の髪の毛が1日に0.5ミリ伸びるとすれば、髪は1日50メートルも伸びていることになるそうだ。
「健康でありたい」「若くありたい」「美しくありたい」と言うのは、人間の基本的な欲求であろうが、この頭髪の悩みを抱えている人は結構多いのだね~。
日本毛髪科学協会のHPを見ると、薄毛や脱毛症を抱える人は、日本で1000万人以上に上ると言われているそうで、そんな髪にまつわる悲喜こもごもを、ユーモアたっぷりの川柳にして笑い飛ばしてしまおうと、同協会では、「頭髪の日」に、“毛髪川柳コンテスト”なるものを催している。2005年はその第2回目となるようだが、最優秀賞に選ばれているのが、 「薄毛にも 構造改革 植える髪 」。
他の優秀賞などにも面白いものがあるが、私は、スポンサー賞 に選ばれている「植毛後 写真の数が グッと増え 」・・・これが面白いなと思った。
髪の毛は人間の表面的なものでしかないのだが、その髪の毛によって、その人の雰囲気が随分と変わり、そしてその人の気持ちまでも変えてしまうようで、特に、女性の美しさを顕著に表現するのが「髪の毛」だと言われている。ことわざに「女の髪の毛には大象(たいぞう)も繋(つな)がる」と言うのがあり、これは、女性の髪で作った綱は、大きな象を引っ張れるほど強い。と言う意味であり、又、女性の美貌が男を引き付ける力の強いことをもいうのだとか。だから、男女同じ様に頭髪の悩みをかかえていても、男性よりも美しくありたいと願っている女性の方がより深刻なのだろう~。
平安時代、女性の髪形はそれまでの唐様式から、国風文化と呼ばれる王朝の優美な文化が形成されていく中で、女性の髪形も自然な垂髪にして裾に引く形へと変化していった。戦乱のない平和な時代が続いたことや、高貴な女性が室内に閉じこもって生活し、彼女たちの社会に参加する度合が少なくなってきたことも髪形の変化に大きく影響しているようだ。このような垂髪は労働には向いていないので、働く必要のある女性たちは、垂髪の1~2ヵ所を元結(もとゆい)で結び背後にまとめることで、動作の便をはかっていた。
紫式部の「源氏物語」は、光源氏の恋の遍歴の物語であるが、登場する女性たちが実に魅力的に描かれている。この時代、背丈より長い髪は「女の命」。この「源氏物語」の中でも、女性の髪に関する記述は繰り返し描かれている。当時、外にいる男性が、室内に閉じこもって生活している女性たちのことを想像しようとすれば、御簾の下からわずかに見える衣の裾や、長く引く黒髪くらいしかその手がかりとなるものがなかった。又、瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」の解説の中にも、この時代では、たとえ貴族の家でも油は貴重品なので、夜は殆ど明かりをつけなかった。 だから、密事を行うときも真っ暗な中。 手探りの密事のときに、手に触れるものが髪の毛だった。 長い髪の手触りで「この女は、髪が長くて、つやつやしていて、いいな。」って、男が撫でた。 だから、愛撫のために非常に女の髪の毛は重要な役目をしただろう・・・と書いてあった。 つまり、髪は、顔を見せない当時の女性たちが唯一見せる身体の一部であったようであり、髪が重要視されたのもむりもないことらしい。そのようなことから、「源氏物語」の場合には、「長い髪の持主」すなわち「美人(顔)」であるというわけではなかったようである。
「源氏物語」に出てくる故常陸宮の姫君 末摘花(すえつむはな)をご存知?。決して美人とはいえない容貌ながら、光源氏をも魅了した見事な黒髪をもつ女性である。彼女の髪の長さは、「頭つき髪のかかりはしも美しげにめでたしと思ひ聞ゆる人にもおさおさ劣るまじう袿の裾にたまりて曳かれたるほど一尺ばかり余りたらんと見ゆ。」とあるように、「源氏物語」に登場する女君たちの中で一番の長さであったようだ。だから、身長よりも長い髪を持っていることが当時の美人の基準となっていたともいえる。
日本語の豊かな表現に、擬音語や擬態語があるが、髪の毛について、「つやつや」としたと言った表現がある。以下の参考「擬音語・擬態語に魅せられる(山口仲美)」によると、「源氏物語」では、擬態語などを登場人物の人柄を象徴させる方向で巧みに使っており、例えば、黒髪の形容すら人物造型の方向で使われているという。「源氏物語」には、黒髪の描写として「つやつや」と「はらはら」と「ゆらゆら」の三種の擬態語が出て来るが、この三種の擬態語は、どれも髪の美しさをあらわすのだとか。美しい髪なら、誰に使ってもいいはずであり、事実、『源氏物語』以外の作品では、長い髪の女性なら、だれかれかまわず、三種の語をまぜこぜに使っているが、「源氏物語」は違うのだとか。「つやつや」で、黒髪の光沢美をたたえられるのは、女主人公格の女性に限られており、「はらはら」で黒髪のこぼれかかる美しさを形容される人物は、美しいけれど脇役的な性格をもつ女性に限られるのだそうだ。「つやつや」は、髪の毛自体の美しさを意味し、それは繕わなくても整い輝く天性の美で、「はらはら」は、髪の毛自体の美しさというより、衣服や枕や顔といった他の物が介在し、それとの調和によってもたらされた二次的な美なのだそうだ。「源氏物語」の作者は、天性の美を二次的に生み出された美よりも上位におき、「つやつや」を女主人公格の女性にのみ使用して区別しているのだそうだ。又、「ゆらゆら」は、小さな子供の髪の美しさに用いている。子供の髪は短いし、子供は動くので、区別して使った理由がよく分かる。他の作品では、「ゆらゆら」も女性の黒髪の美しさの形容に使い、区別していないという。このように、「源氏物語」では擬態語を区別して使用し、人物造型までおこなっているのだとか。流石に紫式部は表現の天才だね~。
この時代の社会において、「社会人」とは皇族や貴族の男性だけを意味していて、女性は社会の枠組みの中には入っていなかった。また、髪の長さは美しさの基準であり貴族の女性にとって重要な身体表現の1つであったと、同時に、それは“働かない女”の身体でもあった。「源氏物語」の中には、髪を切った女性を美しいと表現している部分も数多くある。長い髪の毛は男性に縛られて生きる女の象徴であり、髪を切るということが、女性を見られる身体からの解放を意味していたようだ。「源氏物語」では、 どの女も、源氏に言わないで黙って次々と出家していく。出家したとわかったら 源氏は女のもとへ飛んでゆき、女にとりすがって許しを請うのである。物語では、最初に出家するのは藤壺であった。この当時、出家と言っても丸坊主になる訳でもなく、髪を肩まで切るだけなのだがこれが大変なことだったわけだが、しかし、このことによって、女性は男を見返すことが出来たのである。
与謝野 晶子 の古典研究は、短歌創作や評論活動、教育活動などと並ぶ重要な分野の一つであり、特に「源氏物語」については、現代語訳を生涯で三回行っている。その与謝野 晶子 が24歳の時(1901=明治34年)、処女歌集『みだれ髪』を夫与謝野寛の編集で刊行している。
「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」
「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」。凛然と、誇らかな情熱をもって、命がけの恋心を、今この時の自身の美しさを歌いあげた。
「くろ髪の・・・」の歌は、一人孤閨にあつて思ひ乱れる麗人の心緒を髪の乱れに具象した作で、歌集の「乱れ髪」の題となったものか。明治34年のまだ、女性が自我や性愛を表現するなど考えられもしなかった時代に、このように女性の官能をおおらかに謳いあげたものだが、『みだれ髪』とタイトルでこれをよくあらわしている。
女性の「美しい髪」は、歌の中で又数多くの物語の中で女性を具象化する重要な素材として多く採りあげられている。
「髪の乱れに 手をやれば 赤い毛だしが 風に舞う・・・・・」
この歌は、1987(昭和62)年の美空ひばりの復帰作「乱れ髪」である。「乱れ髪」は低音から高音まで、ものすごく音域の広い歌であり、「ひばりにしか唄えない歌を作ってやろう」 と、作詞:星野哲郎、作曲:船村徹の名コンビで作られた名曲 で、私の大好きな歌であるが、同様である。
この歌の三番には「春は二重に~」と言うのがあり、万葉集の大伴家持の短歌の「一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべく吾が身はなりぬ」をベースにしたものらしく、つまり、貴方を想うあまりにこれほどやつれてしまった、という切ない恋の思いを表現したすばらしい詩である。「乱れ髪」が情勢の切ない気持ちを表している。本当に、女性の気持ちや身体表現をするのに「髪の毛」はぴったりだな~。
長い髪の毛の女性は今でも男性から見ると魅力的であり、女性が長い髪の毛を手でくねくねいじっている姿は誘惑的である。しかし、映画「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン。映画の中の彼女はショートカットだった。映画が公開された当時の女性は髪の毛の長さと美しさを競っていた。日本だけでなく外国でも、女性の魅力は髪の毛にあると考えていたからである。しかし、この映画で、ヘップバーンはショートカットの可愛いらしさを見せつけてくれ、このときからショートカットが瞬く間に世界中に流行した。やはり、美しい女性は、髪の毛が長くても短くても魅力的だね~。ただ、その美しさの表現に髪の毛が重要であることに変りはない。流行がどんどん移りゆく現代では、女性にとって髪はファッションの一部ともなっている。それだけに、髪が抜けやすい、髪が薄くなったと感じている女性の悩みが男性以上に深刻なのは良くわかる気がするね~。
(画像は、百人一首の紫式部の札。歌は「めぐりあいて みしやそれとも わか沼に雲がくれにし 夜半のつきかな」。)
参考:
図書カード:源氏物語(副題6末摘花。翻訳者:与謝野 晶子)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000052/card5021.html
日本文学インタビュー フェリス女学院大学 三田村 雅子先生
http://www.kawai-juku.ac.jp/prof/kokubun/kokubun-mitamura.html
論文4…擬音語・擬態語に魅せられる(山口仲美)
http://www015.upp.so-net.ne.jp/naka0930/ronbun4.html
有鄰 No.444 P3 インタビュー 瀬戸内寂聴さんに聴く-源氏物語
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_444/yurin3.html
髪の手入れ
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/co-2002-6-6.htm
源氏物語研究
http://homepage2.nifty.com/Eva-Genji/book-genjikenkyuu.htm
み だ れ 髪 (作詞) 星野哲郎  (作曲) 船村 徹
http://www.d5.dion.ne.jp/~toshi.tk/midaregami.htm
今日(5月29日)は「白櫻忌,晶子忌」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/4640636a8e15f9ff1736f74843dccf5b
NPO法人日本自毛植毛センター
http://www.jimou.jp/
日本毛髪科学協会とは髪の悩みは育毛発毛増毛辞典におまかせ!
http://kaminoke.kenjin.biz/archives/2005/10/post_202.html
全国理美容団体
http://www.salon-net.org/group/

防災とボランティアの日

2006-01-17 | 記念日
今日(1月17日)は「防災とボランティアの日」
阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し、「日本のボランティア元年」と言われた。
これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、1995(平成7)年12月の閣議で制定が決定され、翌1996(平成8)年から実施された。
阪神・淡路大震災からの復興の過程は、企業・行政中心の現代社会に人間・市民の力 (ボランタリズム) がいかに重要であるかを気づかせた過程といってもよい。その意味で、ボランタリズムの高揚はこれからの社会にますます重要なものとなっているのは事実である。
今年は、阪神・淡路大震災の発生・「ボランティア元年」と呼ばれた1995(平成7)年から11年目に年である。火山活動や地震の発生は地球が活動を続けている証である。巨大地震の多くはプレートが沈み込む滑り面で発生する。今地球は世界的に大きな地殻変動期を迎えているのではないかと思われる。人を始め地球上の生物はその活動を続けている危険な地球上に生息しているのである。そのため、昔から世界各国で人々は大地震に遭遇し被害にあってきているが、昨2005(平成17)年度だけでも、世界的には、以下のような大地震が派生している。
2005年2月22日 イラン、ケルマン州ザランド近郊で地震。 - M 6.4、死者・行方不明者500人超。
2005年3月28日 インドネシア、スマトラ島沖で大きな地震。(スマトラ島西岸の地震) - M 8.7。震源地に近いニアス島などで1000~2000人が死亡。スマトラ島沖地震につられて発生した断層型の地震。
2005年10月8日 パキスタン地震。 - M 7.6、死者約50,000人。
又、日本国内でも、以下のような大地震が発生している。
2005年3月20日 福岡県西方沖地震 - 本震はM 7.0、福岡県と佐賀県で最大震度:6弱、死者1人。
2005年8月16日 宮城県沖で地震 - M 7.2、宮城県で最大震度:6弱、宮城県沖地震とは別の地震。→ウィキニュース
2005年11月15日 三陸沖の地震 - M 7.1 北海道~関東にかけて最大震度:3 大船渡市で最大50cmの津波観測
地震への防災として最も肝要なことは、、先ず、人の住んでいる家屋への対策であろう。先の阪神・淡路大震災でも、震災による家屋の倒壊によって、多くの人たちがなくなった。1昨年の新潟中越地震では、既に死んで生き埋めになっている人を大勢の救助隊員がで何日もかかって車の中から運び出す映像がTVで放映され感動を呼んだが、阪神・淡路大震災においては、震災直後の火災の発生により、倒壊した家屋の下敷きになったものの、危険が迫っており、救助すること出来ずに困っている家族に、自分を置いて逃げろと言って、家屋の下敷きになって、生きたまま焼け死んだ人が何人かいた。又、消防隊員なども、余りにも多くの被際者がいるために、倒壊家屋に埋まっている人がいても、少人数を助けることよりも他の大勢の人の方を助け出すことを優先しなければならないため、涙を飲んで、埋まっている人を助け出さないままその現場を離れた人もいると聞いている。田舎の広い土地に住んでいるのではなく、神戸のような狭い土地に大勢の人が密集して住んでいる大都市部に起きた大震災では、家屋の倒壊などによって、このような地獄図絵のようなことが実際に起こっているのである。
今、地震予知連などが地震予知の研究をしているが、一般に、地震の発生を事前に「正確に」予知することは困難とされている。だから、震災対策の基本はなんといっても建築物・構造物の耐震対策にある。私の弟は、阪神・淡路大震災のあったころ、大手ゼネコンに勤務していた。神戸にも自分が現場監督をした建物があることから、震災で建物がどうしてこんなに多く倒れたのか見ておきたいというので、私の家からの帰りに、遠くの神戸駅まで、歩いて倒壊した建物を観て回った。その時に、一番多かったのは、古い木造の家屋などでは、シロアリの被害にあっているところが多かった。シロアリの被害で柱の基礎部分がやられているのである。あるいは、外見や利便性ばかりを考え、小さな家なのに玄関部分に吹き抜けを造ったり、駐車場などのスペースをとっている為、構造上の欠陥が出来ている・・・などのところがやられている。又、鉄筋のビルでは、近く同士の同じ様なビルなのに多くの建物が倒れているところとそうでないところがあるが、埋め立て地域に被害が多く発生している。そして、倒壊した鉄筋のビルでは、鉄筋量を減らすなどの手抜きの工事が多いのに驚いていた。私は建築関係の人に知り合いが多いが、前々から、その人たちが言っていた。建物など「安くしろと言われたらいくらでも安く出来る。目に見えないところで、手を抜くことはいくらでも出来るので、素人がいくら外見を見ても気のつかないように建てられる」と言っていた。だから、建築関係の人間の間では昔から、建物だけは、安いからと言って買うものではない。信用のできるところに任せて建ててもらう、又信用のあるところから買うのが最善策である」と言われていた。去年、姉歯元建築士による耐震設計偽装問題が発覚した。姉歯元建築士だけの問題ではなく、木村建設や住宅販売会社ヒューザーなどが、震度5に耐えられないような欠陥建物を建設し販売していたことが問題である。日本のような地震多発国で、金の為なら何でもする、自分の魂まで悪魔に売るようなな人間が、戦後はびこってきたことを非常に悲しく思う。又、耐震強度偽装問題で、住民支援策の対象となっている分譲マンション10件から退去した101戸の大半が民間住宅に転居し、公的住宅など自治体が用意した受け入れ先には12戸しか入居していないことが12月30日、国土交通省の調べで分かったといわれるが、皆さん、どのような気持ちでこの正月を迎えられたのであろう・・・本当にお気の毒に思う。ただ、今回のヒューザーの物件など、同じ地域の同じ様な建物に比べると非常に安すぎるともいわれている。安くて良い物があればよいが、世の中、理由もなく安いものはないと考えるのが普通だろう。この点は購入者にも少し反省の余地があるのではないか?。阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判もされたが、今回の事件も同様である。しかし、阪神・淡路大震災のような天災でも何の対応もしてくれなかった政府が、本来は、欠陥のある建物を販売した販売者に第1義的な責任のある人災に対して、思いも寄らない速さで救済策を打ち出したりしたのは、政府に負い目があるからだろう。これから、少しは、今後同じ様な事件が発生しないよう対策を講じるであろうが、忘れてならないのは、どんなシステムであろうともそのシステムを行うのは人間である。システムを過信しない方がよいだろう。
今日、阪神・淡路大震災のあった日に、耐震構造に問題のある建物を販売したヒューザー小嶋社長の証人喚問が行われる。この問題に係わっていたのではないかとされる自民党の伊藤公介元国土庁長官は党住宅土地調査会長を辞任したから理由で、証人喚問されず、小嶋氏だけの喚問で、済ませようとしているが、もし、小嶋氏にほんの少しでも良心と言うものがあるのであれば、11年前の阪神・淡路大震災の時の状況を思い出しながら、知っているすべてのことを正直に暴露していただきたい。もし、陰に隠れて業者にたかっている政治家や官僚がいるのであればすべて表に引きずり出して欲しいものである。
それと、阪神淡路大震災から11年たって、神戸の街は復興したといわれるが、それは、表面的な目に見える建物が復興しただけのことであり、街の復興に対する政府の支援は余りなく、復興の為に、神戸市は、深刻な財政難に陥っており、これは、被災して、まだ、立ち直りかけている市民への税金と言う形で負担になっていることを知って欲しい。神戸市民への、震災の影響はまだまだ続いているのである。
(画像:マンションの耐震構造偽装次々発覚。該当マンションに住んでいる住民達は引越しを迫られた。11月26日千葉県船橋市での撮影。11月30日朝日新聞写真より)
参考:[PDF] 地球の歴史
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/gai/pdf/31.pdf
地震 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87
日本付近で発生した主な被害地震(1996年以降) /気象庁
耐震強度の偽装問題 (Yahoo)
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/false_quakeproof_data/
災害とボランティア
http://www.alc.co.jp/clubalc/vj/topics/39_01.html