中原中也
春の日の夕暮
半紙
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春の日の夕暮
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです
吁(ああ)! 案山子はいないか──あるまい
馬嘶(いなな)くか──嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か
ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが
瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです
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中原中也の有名な初期の詩です。
いわゆるダダイズムの詩として有名なのですが、
この詩を初めて読んだのは、たぶん、高校生のころの現国の授業のプリント。
なんだか変な詩だなあと思ったけれど
忘れられません。
結局、中原中也の詩では、これがいちばんいい、のかも、なんて思ってしまうのも
一行一行が、炊きたてのご飯みたいに「立っている」からかもしれません。
鬱屈して、何も考えたくないとき
頭の中を「トタンがセンベイ食べて……」が旋回するわけです。