田中冬二
親不知
半紙
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親不知(おやしらず)
暗い北国の海
オリオン星座は
烏賊(いか)を釣つてゐる
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そうだ、田中冬二にはこの名作があったのですね。
長らく忘れていました。
親不知は、母の故郷のすぐ近くです。
田中冬二の故郷は富山県。
生まれたのは福島県ですが、父も母も富山の人でした。
田中冬二
親不知
半紙
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親不知(おやしらず)
暗い北国の海
オリオン星座は
烏賊(いか)を釣つてゐる
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そうだ、田中冬二にはこの名作があったのですね。
長らく忘れていました。
親不知は、母の故郷のすぐ近くです。
田中冬二の故郷は富山県。
生まれたのは福島県ですが、父も母も富山の人でした。
田中冬二
人穴の村
半紙
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人穴の村
富士からのつめたい水に
顔をあらった
手をひやした
三里ヶ原の蜂蜜をとかしてのんだ
青いわさび醤油に
氷のやうな豆腐をたべた
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人穴というのは、富士宮市にある富士山の噴火でできた溶岩洞穴。
この豆腐、旨そう!
田中冬二
水郷
半紙
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水郷
水にひかりがきれいにゆれる真菰(まこも)の中
鯰(なまず)をとらえる
よくあたまをたたき
胡麻油であげ 紫蘇の葉にのせてたべる
あかるい水郷よ
初夏のかげ しずかな水に濃く
藍のよい瀬戸物のような水郷よ
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年のせいでしょうか、田中冬二の詩のよさが分かってきたような気がします。
この鯰の天ぷら(唐揚げ?)おいしそうだなあ。
「日本詩人全集18 中勘助 八木重吉 田中冬二」所収の「田中冬二・人と作品」で、安東次男は、「水にひかりがきれいにゆれる真菰(まこも)の中/鯰(なまず)をとらえる/よくあたまをたたき/胡麻油であげ 紫蘇の葉にのせてたべる/あかるい水郷よ/初夏のかげ しずかな水に濃く/藍のよい瀬戸物のような水郷よ」といわれてみれば、鯰は、戸外は明るく乾いた初夏の昼下がり、そのようにして水郷でたべるのがいちばん美味のように思えてくる。」と書いています。
開涅槃門扇解脱風
おしひらく草の庵の竹の戸に袂(たもと)涼しき秋の初風
半紙
【題出典】『無量義経』徳行品
【題意】 開涅槃門扇解脱風
涅槃の門を開き、解脱の風を扇ぐ。
【歌の通釈】
草庵の竹の戸を押し開くと袂に涼しい秋の初風が吹いてきた。(二乗から脱し菩薩となると、涼しい解脱の風が初めて袂に吹いてきた。)
【考】
二乗の位から菩薩の位を得て初めて解脱の風を受けることを、秋の初風を迎える「立秋」の心により詠んだ。草庵に止まることは、自利に徹する二乗の立場に止まることである。その草庵の戸を開け放てば、涼しき秋の初風が吹き込み、利他に尽くす菩薩の道が開ける。
★二乗=声聞と縁覚。これは、現世の執着を断つが自己中心的で利他の行に欠ける者。これを脱した者が菩薩となる。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
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この「寂然法門百首」も21番となり、ここから10首は秋の歌。この歌は、「立秋」ですね。
菩薩というのは、現世への執着を断つだけでなく、利他の心を持つ者。菩薩とは「悟りを求める人」の意味ですが、その中でも、最上位ということになるのでしょう。菩薩は、大乗仏教を理解する上でのキーワードのようです。
前回の歌と同様に、この歌でも、「悟り」が、「涼しい」秋風に例えられています。湿気が多く暑い夏に苦しんだ日本人には、涼しい秋風は、何にもまして嬉しいものだったのでしょう。それは現代でもまったく同じですね。