著者のグランディン氏が、ピッツバーグ大学の学習研究開発センターの
ウォルター・シュナイダー氏から聞いた仮説として、
子供は生まれてから一歳になるまでの間に、乳幼児の発達の研究者が
言語的喃語と運動的喃語と呼ぶ二つの行動をするようになり、
一歳から二歳までに達する、一語文を話せる段階で、その二つが
神経学的につながるのだが、グランディン氏の場合、うまくつながらなかった
のではないかとのことだ。
自閉症、発達障害などでは、その二つのつながりがうまく形成されない
のではないかとのことだ。
この部分を読んでいて思い出したのは、中井久夫医師が、エディプス領域以前での
問題について、マイケル・バリントが「Basic Fault」と書いているのを
「基底欠損」と訳した事を、山中康裕医師が「こころの科学」誌上で
「欠損」ではなくて「ずれ」ではないかと指摘しておられたことだ。
山中康裕医師は、ほかの治療者には真似のできないレベルで、自閉症児の治療が
できるのだが、表面的な会話や動きではなく、言語的喃語と運動的喃語をつないでいくのが
うまいのだろうか?
「魂と暴力(ユング心理学研究 第3巻)」に掲載されている渡辺あさよ氏の
研究報告でも、発達障害における「言葉とイメージのずれ」というのが
指摘されていた
マイケル・バリントは基底欠損領域での回復として、良性の治療的退行からの
「新規蒔き直し」というのを書いていたが(「治療論からみた退行」)
自閉症、発達障害での治療では、言語的、運動的喃語レベルでの関係を築くことが
必要なのではないだろうか?
ウォルター・シュナイダー氏から聞いた仮説として、
子供は生まれてから一歳になるまでの間に、乳幼児の発達の研究者が
言語的喃語と運動的喃語と呼ぶ二つの行動をするようになり、
一歳から二歳までに達する、一語文を話せる段階で、その二つが
神経学的につながるのだが、グランディン氏の場合、うまくつながらなかった
のではないかとのことだ。
自閉症、発達障害などでは、その二つのつながりがうまく形成されない
のではないかとのことだ。
この部分を読んでいて思い出したのは、中井久夫医師が、エディプス領域以前での
問題について、マイケル・バリントが「Basic Fault」と書いているのを
「基底欠損」と訳した事を、山中康裕医師が「こころの科学」誌上で
「欠損」ではなくて「ずれ」ではないかと指摘しておられたことだ。
山中康裕医師は、ほかの治療者には真似のできないレベルで、自閉症児の治療が
できるのだが、表面的な会話や動きではなく、言語的喃語と運動的喃語をつないでいくのが
うまいのだろうか?
「魂と暴力(ユング心理学研究 第3巻)」に掲載されている渡辺あさよ氏の
研究報告でも、発達障害における「言葉とイメージのずれ」というのが
指摘されていた
マイケル・バリントは基底欠損領域での回復として、良性の治療的退行からの
「新規蒔き直し」というのを書いていたが(「治療論からみた退行」)
自閉症、発達障害での治療では、言語的、運動的喃語レベルでの関係を築くことが
必要なのではないだろうか?
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