巨大な松がそびえているのは壮観です。この街道(北陸道)に現在は9本しか残っていない県指定の天然記念物のうちの1本です。昭和40年の指定当時は29本あったのが、多くが枯死してしまいました。
今から400年ぐらい前、加賀藩の前田利長が参勤交代のため、街路の美観と冬の積雪時の往来を考えて植樹したのが始まりということです。多幹性の黒松で東岩瀬から浜黒崎までの約8キロの道の両側に植えられました。今はそのほんの一部が残り、江戸時代の浜街道の景観をわずかにしのばせます。百年前ぐらいまでは、旅装束の人たちが松並木の間から前方に立山の峰々を眺めながら、越後や江戸へ向かっていたのでしょう。
この浜街道(現在は県道)から海側は「古志の松原」と呼ばれ、街道とその北(写真画面より左側)に広がる日本海との間には松林が続いています。松林を抜けて海岸出ると松原を背にした美しい富山湾の景観が見られます。この松原の中を私のサイクリングロード「しんきろう自転車道」が通じています。そこをわがMTB「ロシナンテ」で走ります。
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