立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

裏のリンゴ畑への道の紅葉・・・妙高・北信濃へ(長野県飯綱町) つづく

2012年11月08日 | Zenblog
 家の裏の傾斜地にもリンゴ畑があって、そこへ行く軒下の道ですが、紅葉が美しいです。この辺一帯が高原なので、昼夜の気温差も大きく紅葉が鮮やかです。

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ミツバチの巣箱・・・妙高・北信濃へ(長野県飯綱町)

2012年11月08日 | Zenblog
 庭先に並んでいるのはミツバチの巣箱です。リンゴの花の交配をミツバチにやってもらうために飼っているのです。副産物としてリンゴの蜂蜜が採れます。寒くなってきたのでほとんどミツバチの動きは感じられません。

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収穫したばかりのリンゴ・・・妙高・北信濃へ(長野県飯綱町)

2012年11月08日 | Zenblog
 いつも訪ねるリンゴ農家に寄ってみたら、息子さんがリンゴを収穫して帰ってきました。大きいリンゴです。今年は遅くまで暑かったので心配したが、適当な時期に雨が降り、今収穫している「しなのスィート」は遅れて急に冷えてきたのでびっくりするような大玉が多いということでした。
 「サンふじ」はまだこれから蜜が入っておいしくなるので、収穫は例年より遅れるということです。食べさせてもらった「しなのスィート」は水気が多く甘いリンゴでした。

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大きなリンゴがぶら下がる・・・妙高・北信濃へ(長野県飯綱町)

2012年11月08日 | Zenblog
 リンゴの木には、驚くほどの大きさのリンゴがぶら下がっていて、折れないかと心配になるほどです。

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リンゴ畑点々・・・妙高・北信濃へ(長野県飯綱町)

2012年11月08日 | Zenblog
 屋敷の周りだったり、平地だったり、山の斜面だったり、あらゆるところに点々とリンゴ畑があります。標高500メートル以上の寒冷な気候になるため、やや低い長野市などと比べても甘い蜜が入りやすいということです。この町にはリンゴミュージアムまであります。しばらく前まで三水村と言っていたのがいくつかの村が合併して飯綱町になりました。

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墓の中から青銅製品など15404件の文物、8件が国宝・・・JingShangの湖北随州への旅(随州博物館)

2012年11月08日 | JingShang君からの上海レポート
 写真は蓋付きの鼎です。

 ウィキペディアの続きです。
 墓の中から大量の青銅製の礼器をはじめ楽器・兵器・金器・玉器・車馬器・漆器・木器・竹器および竹簡などの文物15404件が発見され、そのうち8件が国宝に指定された。

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墓主は45歳前後男性、殉葬者は13~25歳女性・・・JingShangの湖北随州への旅(随州博物館)

2012年11月08日 | JingShang君からの上海レポート
 写真は杖の上に取り付ける装飾品だと思います。

 日本語ウィキペディアの続きです。
 墓主は45歳前後の男性、殉葬者は13~25歳の女性。出土した銅鐘の銘文の鑑定を経て、戦国初期の曾国の名を「乙」という君主の墓であると判明し、このため墓主は曾侯乙と呼ばれるようになった。墓葬年代は楚の恵王56年(紀元前433年)頃と推定されている。

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墓の発見・発掘には経緯があった・・・JingShangの湖北随州への旅(随州博物館)

2012年11月08日 | JingShang君からの上海レポート
 写真は酒器か水差しのようですが、あまり実用的には見えません。祭器かもしれません。

 以下も日本語ウィキペディアの続きです。
 墓の発見・発掘の経緯:1977年9月、随県の東団破で中国人民解放軍空軍の営舎の拡張のために山腹に発破をかけていたところ、地下の褐色の泥土の中から墓の一部が発見された。施工者の王家貴と鄭国賢が県の文化部門に通報したが、当初は重視されなかった。このとき墓の車馬坑からは青銅製の文物が出土していたが、現場の工事担当者によって廃品として売り払われていた。その後、王家貴が3回にわたって県城におもむいて専門家の視察を求めたため、関連部門の注意を引いた。1978年5月11日に文物考古部門が発掘を開始し、17日に泥水につかった墓の排水をはじめた。21日に盗掘洞を発見し、23日には水位が下降して、曾侯乙編鐘が水面に露出した。

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曾侯乙墓・擂鼓敦2号墓について(日本語ウィキペディア)・・・JingShangの湖北随州への旅(随州博物館)

2012年11月08日 | JingShang君からの上海レポート
 この写真は、1枚目の写真の後ろに見えている杯です。

 曾侯乙墓(そうこういつぼ)あるいは擂鼓墩(らいことん)2号墓について日本語ウィキペディアの記述を借用します。これらの墓は、中国の湖北省随県(現在の随州市)で発見された戦国時代の墓。「卜」字形の竪穴墓で、南北16.5メートル、東西21メートル。

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大型の青銅器・・・JingShangの湖北随州への旅(随州博物館)

2012年11月08日 | JingShang君からの上海レポート
 昨夜から河北省に移動しています。明日夜上海に戻ります。今日の上海の予報は小雨、最高気温は18度、最低は14度です。

 今日も湖北随州博物館です。当分の間、展示品を続けます。最初は大型の青銅器です。写真後ろにも小さな青銅器が沢山展示されているのが見えると思います。

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