今は芦峅寺に移築されていますが、この嶋家はもとは飛騨街道の猪谷関所近くに建っていました。屋根の勾配が飛騨の影響をうけて緩やかで、板葺きの石置き屋根です。出入り口が板戸二枚に障子が設けてあり、町屋風です。街道筋にふさわしい建て方です。国指定の重要文化財です。
豪農の家や、宿坊とは異なり、街道を通る人たちに人なつこい顔を見せているといえます。越中から猪谷の関所をぬけると、もうそこは飛騨の国です。富山湾のブリもこの家の前を通ったはずです。旅人の足音が聞こえてきそうなたたずまいです。
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立山町芦峅寺(アシクラジ)は立山雄山神社(雄山頂上3003㍍)に登拝するための登山口で宿坊が並び、立山ガイドの住む寺院都市のようでした。今も立山黒部アルペンルートの拠点となっています。善道坊は19世紀中頃に建てられ、かつて軒を連ねていた宿坊の一つですが現存する唯一のものです。
現在では、当時の立山信仰がどのようであったか、信仰登山とはどのようなものであったか、想像するのがむつかしくなっています。芦峅寺にある県立立山博物館( http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/ )をお勧めします。
信仰によって立山に登った人たちが、ここで宿泊して何を思っていたのか想像をめぐらすのですが、具体的にはイメージが湧きにくいです。泊まった人たちの雰囲気は分かる気がしますが。
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立山の山中のまだかかりの部分ですが、山また山が連なっています。今は新緑ですが、これがやがて強い緑に変わっていくのでしょう。今の淡い感じは、もうしばらくだけのものです。こういう強烈ではないみどり色の山々の連なり重なる姿もいいものです。
話は変わります。むかし「若者よ、書を捨てよ、街に出よ」などと言われた時代がありました。学問の世界に埋没せず、実際社会に出て格闘せよ!という意味だったでしょうか。今、限界を越えて殺伐としてしまった社会で生活していると「情報を捨てよ!山に引き下がれ!」とでも言いたくなります。無益な情報に振り回され、混乱するのをやめて、百歩下がって冷静になりたいです。
富山県には、古いいわれのある小さい町が点在しますが、一方冬には雪で出られなくなるくらいの山がいくらでもありますよ。一度引っ込んでみてはいかがでしょうか。
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