キマグレ競馬・備忘録

競馬、MLB、スポーツ観戦、趣味など気になる事を書いています。

YS-11の機首の風景

2006年01月29日 | Photo (&Aviation)
所沢のYS-11は大変きれいに保存されていました。塗装もピカピカで、機首のペイントに周りの風景が写っています。意外なところが広角レンズの役割を果たしてくれました。



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所沢のYS11

2006年01月28日 | Photo (&Aviation)
初めて乗った飛行機がYS-11ということで、今年引退となるYS-11が大変気になるこの頃です。
所沢の航空公園にYS-11が展示されていることを知り、出掛けてみました。駐車場から公園の中を捜しまわること30分。やっと見つけたYS-11は、西武池袋線の航空公園駅前に展示してありました。非日常の風景ですが、YS-11好きで、この辺りの団地に住んでいる人は幸せかも。


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ジョージ・ワシントン

2006年01月21日 | Photo (&Aviation)
ジョージ・ワシントンと言えば、言わずと知れたアメリカ合衆国初代大統領でアメリカ独立の父です。2000年のアメリカ大統領人気ランキング(ケーブルTV局C-SPAN)によると第三位の人気者です。ちなみに、他の大統領はと言うと、
1位 リンカーン
2位 フランクリン=ルーズベルト
3位 ワシントン
4位 セオドア=ルーズベルト
5位 トルーマン
6位 ウィルソン
7位 ジェファーソン
8位 ケネディ
9位 アイゼンハワー
10位 リンドン=ジョンソン
注:歴史学者58人に歴代大統領の能力を「内政」「外交」「経済運営」「道徳性」「危機対応」などで評価・採点してもらって算出。
ということになっているようです。アメリカ人にとっては、どれもお馴染みの大統領の名前なのでしょうが、普通の日本人にとっては、リンカーン、ワシントン、ケネディくらいしか知らないのではないかと思います。
横須賀をベースとする航空母艦「キティホーク」に替わる原子力空母が「ジョージ・ワシントン」になるそうです。本当は、他の名前の空母(二ミッツ)の予定だったのを、「日本人に馴染みが無い」という理由で替わったという噂もあります。そういえば、ワシントンには桜に纏わる有名なエピソード(作り話らしいが)があり、桜は日本の国花ですから、共通点はあるようです。とは言っても、そのエピソードを知らなければ、関係は成り立たないのですが。。
写真は、ウォール街の中心にあるフェデラルホール・ナショナルメモリアル(1842年築)です。1789年に初代大統領ジョージ・ワシントンが大統領就任を宣誓した地を記念して作られたホールで、階段の前に立つ銅像がジョージ・ワシントン。
ちなみにウィキペディアでジョージ・ワシントンを検索したら、ジョージ・ワシントン・カーヴァー(George Washington Carver)という、アメリカの植物学者もいます。彼の父もたぶんワシントンにあやかって命名したのでしょう。期待に応えて、南部の農業に輪作を導入し、ピーナッツや他の作物の何百もの用途を開発したと記載されています。彼の名前もベンジャミン・フランクリン級潜水艦に命名されているようです。
あやかると言えば、アイルトン・セナにあやかって命名されたレーサー?「せな君」「セナちゃん」が大きくなって登場するのも、もう間もなくです。


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今は無きワールドトレードセンター

2006年01月18日 | Travel
2001年9月11日は、世界に取って衝撃の日でした。
今もその日の事はよく覚えています。当時、会社から帰宅してテレビの電源を入れると、いつもこの時間に放送していたニュースステーションが延長されて生中継をやっていて、最初は「どこかのビルで火事があったのかな」と思いながら見ていました。(CNNの放送だったようで、英語のコメントだったので事態が判らなかった)その後、飛行機が突入したというコメントがあり、その晩は次の展開がどうなるのかでほとんど寝られなかった記憶があります。(その後、ペンタゴンに突入したり、墜落した飛行機がありました)

先日、写真を整理していたら、1997年に観光旅行でNew Yorkに行った時の写真が出てきました。その時撮った写真がこれです。ワールドトレードセンター周辺のビルの高さを表現したくて撮った写真です。(スナップ写真です)中に入って上から撮った写真もありますが、広さも高さも本当に凄い大きさのビルでした。現在、その跡地には新しいフリーダムタワーが建設されることになっています。
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全体計画は、「フリーダム・タワー」など数本の超高層ビルとツインタワー跡地の慰霊スペース、地下の商業施設、パストレイン・ニューヨーク市地下鉄・バスターミナル等のターミナル施設などからなる。なお、「フリーダム・タワー」の高さはアメリカ独立の年にちなみ1776フィート(約541メートル)となっており、完成すればアメリカ合衆国内では最も高い建造物となる。
アメリカ同時多発テロ事件の教訓からテロ攻撃には万全の備えが求められており、一例として、自動車を使用した爆弾テロの可能性を考え、建物下層部は窓を無くしてコンクリートで固めた、非常に頑丈な造りとなっている。(ウィキペディアより抜粋)
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このビルは、2006年の着工、2010年の完成を目指すということですから、その姿を写真に撮っていけば、ある意味歴史の目撃者として記録に残せるチャンスかもしれません。
遺族には、不届きと言われるかもしれませんが。。。


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富士見からの富士山

2006年01月12日 | Photo (&Aviation)
富士見と呼ばれる地名が、関東にはたくさんあります。ここは埼玉の富士見と呼ばれる場所です。富士見からの富士山は、こんな感じに見えます。


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難波田城

2006年01月09日 | Photo (&Aviation)
難波田城は、埼玉の荒川沿いにある小さな城館です。
とてもきれいな夕暮れ時に写真を撮ってみました。一般には、ほとんど知られていない城館ですが、インターネットを見ると史跡愛好家の方のホームページに詳しく記載されています。
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難波田氏館は、平安時代末期に成立した武士団「武蔵七党」の一つ、村山党の中心の金子氏を祖とする難波田氏の居館跡です。難波田氏の祖とされる金子小太郎高範は、鎌倉時代の「承久の乱」に参戦して討ち死にし、その恩賞として幕府から、高範の子孫に難波田(南畑)の地が与えられ、その子孫が鎌倉時代に当該地に館を構え、地名を名字として名乗ったのが難波田氏の始まりと考えられています。
戦国時代になると難波田弾正善銀(憲重)が台頭し、扇谷上杉氏の重臣として活躍しました。
しかし、1546年(天文15)の「河越夜戦」で北条氏康軍と戦い、主君扇谷上杉朝定は討ち死にし、善銀も壮絶な討ち死にを遂げます。その後、難波田一族は北条氏の家臣となり、難波田の地は北条氏の家臣上田左近の知行地となります。1590年(天正18)の豊臣秀吉による小田原攻めにより、北条氏が滅ぼされたために難波田城は廃城となりました。
江戸時代前期、難波田氏の縁者という理由から、修験寺院である十玉院が幕府から移転・再興することを許可され、難波田城跡に建立されました。この十玉院も、明治5年(1872)の修験道廃止令によって廃寺となりました。(参考:「ザ・登城」ホームページより。)
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ちなみに管理している市役所のホームページには、歴史については何も触れていないようです。


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川越の時の鐘

2006年01月08日 | Travel
川越の時の鐘は、川越の観光案内には必ず載っている有名な鐘です。
何度も訪れているのですが、肝心の「鐘の音」は聞いたことがありません。
どんな音がするのか一度聞いてみたいです。


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本「フーコーの振り子」

2006年01月07日 | Book
アミール・アグゼル「フーコーの振り子」
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世界各地の博物館で、高い天井からぶらさがり、終日揺れつづける大振り子。あれがなんのために造られたか、ご存じだろうか?実はほかならぬ地球が自転していることを、一目瞭然なかたちで証明するのがその目的だった。この、ガリレオを初めとする歴代の天才科学者たちが試みて果たせなかった証明を19世紀になしとげた、卓越した理論と巧みな技術とを合わせもった科学者が、本書の主人公レオン・フーコーであり、この大振り子は彼の名をとって、「フーコーの振り子」と称されている。彼の振り子がもたらした証明は、科学に決定的な勝利をもたらした、と言われるのだが、その勝利とはいったいどんなものだったのか。
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高校時代に習ったはずのフーコーの振り子ですが、その意味するところまでは考えたことがありませんでした。(受験のための暗記だけ)
上野の東京科学博物館で初めて振り子を見たときに、フーコーの業績を身近に感じたのを覚えています。地球が静止していたとすれば、振り子の玉は何の力も受けず同じ方向に振れるだけなのですが、実際は地球が自転していることにより、少しずつ方向がずれていきます。それがどのような意味を持つのか、昔の人は実験を通して証明していったわけです。地球は動かないと信じている子供達を笑う大人は多いですが、ではそれを証明するように言われたら、できない大人も多いと思います。
彼の偉大な業績をこの本が教えてくれます。

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今年最初の本:三島由紀夫未発表書簡

2006年01月01日 | Book
今年最初に読んだ本です。
三島由紀夫と言えば、劇的な最期を遂げた有名な小説家ですが、彼の作品を読んだことがありません。そこで彼について知るために読んだ本がこのドナルド・キーンに宛てた書簡集で、1956年から1970年までの15年間に書かれた97通の手紙が収められています。この本では、彼の伝統芸能や演劇や文学についての考えや作品の発表の舞台裏(お金の話も含めて)や様々な出来事に対する本音を知ることができます。日本の古典的な伝統芸能や演劇についての背景知識を持っていないと何が言いたいのかさっぱり判らない部分がありますが、彼のユーモラスな人間性はこの書簡からも窺い知ることができます。自分のことを「魅死魔幽鬼夫」とユーモラスに書いていた三島由紀夫が、「小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました」と書いた
最期の手紙は、彼が親しかったドナルド・キーンに宛てた遺書とも読み取れます。「文士でなく武士として死にたい」という文章も彼なりの最期のユーモアのつもりだったのかもしれません。
意見交換を手紙で行っていた昔の人達は、その手紙自体が交友録であり、それを証拠として残すことができました。けれども電子メールに頼る私達は、電子データというある意味危うい
媒体で連絡しあっています。(パソコンや携帯が無いと見られず、しかもデータ簡単に消せるという意味での危うさです)友人との交友録を手紙で残すというのは、今でも価値のあることだと思います。


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