気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

滝をお題にした母の句~日光華厳ノ滝

2020年07月30日 | 伊代の俳句

華厳ノ滝(栃木県日光市)

仰ぐ人見下ろす人や滝の声

 滝 季語は夏

滝は四季に関係なく存在するものだが、

水が一気に落下する際、辺りに冷気をもたらすということで、夏の季語とされているようだ。

最初にこの句を読んだときの疑問は、なぜでなく?なのだろうということだった。

母が詠んだ、のように聞こえる大きな滝はおそらく実家から一番近い、栃木の日光・華厳の滝なのではないかと思い、少し調べてみた。

華厳の滝は私も中学二年の時、遠足で日光へ行った時、実際に見たことがある。

生まれてはじめて見た壮大な滝で、大地も揺れるのではないかと思えるほど、ドードーッと大きな音がしていた。そのせいか随分以前のことなのに覚えている。

瀑声(ばくせい)という言葉があった。瀑(ばく)は滝のことを言うらしい。

つまり、滝の声。

仰いで見ても見下ろしても、滝が放つ轟音が周り中に何かの叫び声のように聞こえてくる

そういった句でしょうか。

瀑声(ばくせい)という言葉に行きあたるまで長くかかった。

(ばくせい)と入力すると(幕政)しかでてこない、漢字もIMEパッドで入力しないと出てこなかった。

結局、俳句関連のサイトで知ったのだが、母はこんな言葉をよく知っていたと思う。

俳句の本を読んで勉強した?。分厚い広辞苑を持っていたので広辞苑で知った?。

それにしても日光にはいつ行った?。そんな遠くまで句会の ”吟行” があったの?。

それともまるっきりの想像から、このような句が詠めるの?

間違っているかもしれないけれど何とか解読したのに、疑問は深まるばかりです。

まだ聞きたいこといっぱいあるのだけれど?母さん

でも、そんな遠くまで吟行する句会とかあったら、入ってみたい。

いいえ、吟行でなくても日光への旅なんていいな…と想ったりする。

でもまだコロナウイルスの収束の見えない今は、県またぎの移動は無茶で、

特に神奈川の私が東京と埼玉を通り、栃木に行くなんてドン引きされそうだ。

      

ちなみに、華厳の滝の水系は利根川水系大谷川です。(※Wikipedia)

今年は川の氾濫もあちこちに被害をもたらしています。

熊本の球磨川、岐阜の飛騨川に続いて、

一昨日(28日)に山形県大石田町を流れる最上川が氾濫しましたとのニュースが流れました。

それで去年、平泉へ行った時に買った「俳聖かるた」を思い出しました。

五月雨を集めてはやし最上川 松尾芭蕉

誰もが知っているこの句。

芭蕉が平泉を訪れた後に山形県に入り、最上川を下るため大石田という港で俳諧の会を開き詠んだ句だそうで、
その時は集めて涼しと詠んだけれど、実際に船に乗ってみると思った以上に激流で難所も多く、思わず集めてはやしと替えたそうです。※ブログ(日本史はくぶつかん)

被害に合われた地域が一日も早く復興し、普段の日常が戻られることを願っています。

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退職で失うもの~私の場合 (^.^)

2020年07月29日 | 仕事

フォローさせて頂いているブロガーさんが「定年退職で失ったものとして、仕事、給料、ボーナス、肩書、達成感、連帯感などがある」という記述をされていた。

私の場合、先日退職した会社は、おまけのように就職し、思わず長く(17年も)勤めてしまったという感じで、ボーナスは寸志だったし、肩書は元から無い。

連帯感と達成感(これは多少ある、でもこれはこれからも得られる)。

ゆえ、仕事、給料の二つかな。

おまけとは、同居していた義母が68歳で亡くなり、10歳年上だった義父の面倒を見るために一度職を退き―病気ではなかったので介護ではないが、とにかく生活面は全て義母に委ねていて、身の回りのことが全くできなかった。 男は会社、女は家庭が基本の父母の時代には多かったので仕方ないけれど、今では通用しないかもしれない。―3年後、義父が亡くなってからの再就職だった為。もし義父がもっと長く生きていたなら再就職はできなかったので、おまけ

家族に合わせて(主に息子達の成長に合わせて)会社を転々とした働き方をした私は、

正社員、派遣、パートと合わせて、勤めた会社は21ほどある。

そんなわけで、一社を勤め上げたという実感があまりなく、

逆にいうと、あまり失ったものも無いような気がする。

ただ、来月からお給料が無いので年金生活の節約術を磨かないと と思っている。

義父は一社に50年務めた。偉いと思っていた。

でも、退職してから亡くなるまでの10年間、冒頭の失ったものの変わりを探すこともせず、

食事以外はほとんど座椅子に座ってテレビをみたり本を読んだり、散歩もほとんどせず、人との会合にも出かけることは無く、今のコロナ自粛生活のようだった。

仕事燃えつき症候群のひとりだったのかもしれない。

女性は退職しても家事という仕事があるので、少し違うような気がする。

燃えつきてはいられないのだ。

それなので最近は家事に参加している男性が多くなっているのは

男女、両方にとって良い事だと思う。

もう少し落ち着いたら、あちこちと行った(務めた)会社のエピソードなどもブログに書いてみようかなとも思っている。

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退職して~草取り三昧 (・・?

2020年07月26日 | 仕事

退職して10日経った。

これと言って退職後の計画は無く、とりあえず時間に追われずに家事をする。

何時のバスに乗らないと遅刻だ!

なんて脅迫めいた縛りの中で家事を片付けなっくっちゃならない・・・なんてもうないのだ。

嬉しい

そして仕事に行っている時は、見て見ぬふりをするしかなかった庭の草 !

天候の具合をみて毎日少しずつ庭の草取りをすることにした。

ママに「ほうれん草のように草が伸びちゃったね 」と言うと

「ほうれん草なら食べられるのに、雑草じゃあ駄目ですね  」とママ。

と冗談話ができるくらい雑草で庭が悲惨な状態なので、

「これからは時間があるので徹底的に綺麗にする」と思ったりしている。

そのせいか、雨のせいか、私がのろいのか?

10日かかってやっと終わった。

さほど広い庭でもないのに、どんだけ~~かかる~のか

まず始める前の用意  にも時間がかかる私。

顔と手に日焼け止めをする。

服装(長袖、長ズボン、腕カバー、帽子、庭用の靴、タオル⇐汗が出るのでを首に巻く)

携帯物 (蚊取り線香、キンチョール⇐虫に刺されないよう用意する。液体ムヒ⇐刺されてしまったときすかさず塗るために。スマホにワイヤレスイヤホン⇐♪を聞きながら作業をしようと思っているので必需)

そしてスマホを見ようとして、(アッツ、眼鏡)と眼鏡を取りに戻ったりする。

要するに段取りが悪い~のだ。慣れている人には笑われちゃうレベルかもしれない。

でもとにかく終わった。

もしコロナ問題が勃発していなければ、今、東京オリンピックが開催されていたはず。

それが無いなんて、誰か想定していた人はいたのかな

私はオリンピック自体にはあまり興味は無かったけれど、当然行われることと思っていた。

退職を、古希 & 東京オリンピックの年...なんて、

そう紐付けようと思っていたのに、人生の先に当然なんてないのかもしれない。

       

弟より「お盆のことは気にしなくていいので、出歩くな…」との、

姉に向かって上から目線のお達し?があった。

わりと行動的な私を心配してのことだろうけれど 

「はい、出歩きませんよ」しばらくはじっとしています。

草取りなどをして・・・。

オリンピックの延期より、両親のお盆供養にまで行けないことが、辛いです 。

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病葉(わくらば)を季語にした母の句~仲宗根美樹(川は流れる)(^^♪

2020年07月21日 | 伊代の俳句

 自宅庭のハナミズキ

病葉(わくらば)の落ちゐて愛し水子仏

病葉(わくらば)ー季語 夏

病葉(わくらば)とは、夏の葉が青く茂る中に蝕まれて赤や黄に色づいた葉。

秋をまたずに散ってしまう・・・。

水子とは、この世に生まれることのできなかった子供。

または生まれてすぐに亡くなった子供。

病葉も水子も、儚く哀れだけれども、

病葉の色づいた葉は美しく、周りの緑葉の中で際立っている

水子も、ほんの束の間の命だったからこそ、それは限りなく愛おしい・・・。

母はそんなふうに読んだのでしょうか。

      

(わくらば)という言葉はあまり馴染みがないかもしれないけれど、

私には仲宗根美樹という人の(川は流れる)という曲がすぐ浮かぶ。

終戦後の混乱と悲しみの中でそれでも前を向いて生きて行かなくてはという・・・

一説に反戦歌とも言われた歌謡曲で、たぶん小学生のころ流行った曲だと思うけれど

トントコトントン、トントン♪←(すみません音符で書けなくて

といういかにも演歌っぽいイントロで始まり、バックコーラスがある(ヴォーチェ・アンジェリカ)。

(※調べて見ると昭和36年のレコード発売とあり、記憶と一致。)

随分前なのに何故か歌詞まで覚えているのでひとつ歳上の夫にも聞いてみたがやはり知っていた。

もちろん小学生だった我々は歌詞の意味もわからず口ずさんでいたのだろうけれど、

そんな子供の記憶に残っているのだから相当流行ったのだろう。

YouTubeで探してみるとすぐに見つけることができた。※abm00005

仲宗根美樹/川は流れる

 

落ちたわくらばを川面に浮かべて、塵にまみれてもなお流れていく川をみつめて、

嘆くまい、明日は明るく生きていかなくては・・・。とそんな歌。

戦後まもなくだからこそ、死と向き合い生きるということに真剣だった昭和。

母の句もこの詩も、昭和の叙情を感じる。

昭和4年生まれの母は戦争体験者。そして昭和と平成を生きたけれど、

やはりその精神は”昭和”だったのでしょう・・・。

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母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉5

2020年07月16日 | 母への手紙

昨日、とうとう退職しました。

昨日は身の回りの片付けまでできなくて、今日半日ほど出て片付けてきました。

そして肩に食い込みそうな荷物を持って帰ってきました。

そういえば結婚式の前日にも夜8時まで残業をしていたっけ。

みんなに(花嫁は顔パックなどに行かなくていいの?)などとからかわれて。

まったく幾つになっても、相変わらずの要領の悪さです。

でも家に写真のお花をはじめ、たくさんの贈り物が!届きました。

未だコロナの収まらない状況なので私は~し.ら.っ.~と去ります...。

と言っていたのだけれど。

本社管理部、新潟営業所、名古屋へ転任になった人、東京へ転任になった人など

一緒に仕事をしていた人達からの心遣いです。

有難いことです。

ちゃんからも「長い間お疲れさま~」ってお酒が届きました。

今時風?の疫病退散(アマビエ)のお酒です。5本とも産地が違います。

チビチビと飲ませてもらおうと思います。

まだ頭の中は(もう仕事に行かなくてもいいのだ)ということを、認知していません。

とりあえず明日は目覚まし時計をかけないで起きてみようと思っています。

コロナウイルス感染者はまた増え始めたようです。

旅行にも行きたかったし、何かの講習にも参加してみようと思っていたけれど、

こんな時なので、先のことはゆるっと考えて行こうと思っています母さん。

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